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2016年を振り返る

2016-12-26 16:35:57 | エッセイ・コラム

2016.12/24
 今年もわずかとなった。
異常気象による災害、テロの横行、内戦による難民の増加など、今年も不安と不穏に翻弄された年だったように思う。

 異常気象は地球温暖化に起因するところが大きいが、利害の対立から思うように進まないものの、エネルギー問題と並び、解決を探る努力は営まれているし、市民レベルでも意識の共有が広まりつつあるように思える。しかし、家庭での電球交換によるCO2削減の数値など、世界各地に落ちる爆弾の熱に吹き飛ばされてしまうのではないかという疑問を抱かずにはいられない。
 今後は予測のつかない地震、噴火、津波など天災への備えが食糧問題と並び、より重要な時代になると思われ、戦争などしている場合ではないのである。

 無差別に人を殺傷するテロは市民生活を不安に陥れ、彼らを直接的要因である難民の排斥に走らせた。内戦による難民の急増につけいり、テロリストを紛れ込ませるという手法により、難民排斥の空気を作り、世界を全体主義への流れに導いている。
 シリア内戦の原因は、中東に吹き荒れた「民主化革命」の嵐が飛び火し、収拾がつかなくなってしまったことにある。ではこの「民主化」とは何か。いわゆる西側先進国の政治システムの導入ということなのだろうが、この「民主化」は資本主義という兵士を隠したトロイの木馬ではないのか。革命に石油の利権を巡る資本家達の関与はなかったのか。
利権を貪る一部の人間達の思惑と謀略の犠牲になるのは常に一般市民である。
 それほどまでして蓄財し、贅沢をするのはそんなに楽しいことなのか。環境も治安も悪化の一途をたどれば、いずれ自分達にとっても住心地の良くない世界になるだろうに、最大の謎である。
 
 不安や不穏は心を狭量にし、人は私利に過敏となり、不信が信頼を駆逐し、他者の排斥に走る。考えてみて欲しい。このまま世界が全体主義に傾けば、自分が生き残るために隣人を疑い、陥れ、ささいなことで誰かの機嫌をそこねただけで、生命が脅かされる事態になることを。
 
 不安や不穏を払拭するのは教養と思考の自由、合理的判断である。
戦時中、中勘助は「教養と思考の自由がなければ人は付和雷同となる」と言っている。また寺田寅彦は「流言飛語に惑わされないためには合理的思考が大切である」と述べ、関東大震災の際、一部の人々が井戸に毒を入れたというデマが流れたが、寺田によれば、そもそもそれだけの大量の毒をあの混乱の中でどうやって手に入れたのか、準備をしていたなら、地震を予知できたのか。そしてそれだけの組織だった行動があの状況で可能なのかを考えれば、おのずと結論はでるという。 
 
 現実を知り、思考し、受け入れるのは疲れる。しかし、それを怠ることは自らの生命を危険にさらすことにつながることを肝に銘じ、競争力より共存力への価値が高まるよう、来年に希望を見いだしたい。

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