その針箱は、燻んだ火鉢や積年の埃を着た狸の置物に隠れるよううに、栗茶色の四角い頭をのぞかせていた。
最近地方の旧家では、主の世代が亡くなると家財は一切合切処分されることが多く、この針箱もそうした品のひとつだった。少々ガタついてはいたが使い勝手が良く、思わぬ掘り出し物を得て喜んでいたが、あるとき、買ったばかりの絹糸が箱から消えた。
狐につままれた面もちで針箱をかき回し、ついには引出し全部を箱から出したところ、新品の糸をしまった引出しの奥板がはずれていた。ようやくみつけたと、箱の奥を探る指先にしなやかな感触が伝わり、いぶかしく思いつつ取り出してみると和紙の包みだった。譲り受ける際に引出しは空だったはず、と手品のような出来事によく調べてみると、引出しの奥行きが箱自体の寸法より不自然に短く、箱の奥が仕切られて、持ち主だけが知るわずかな隙間を造ってあった。
女性に今ほど自由がなかった頃、大切な私物や秘め事を保管できるのは針箱くらいだったのだろう。丁寧にたたまれた包みを開けると白檀が微かに香り、手紙が一通現れた。セピア色に滲んだ便箋には、戦地から想い人へ、胸を衝く言葉が情感を湛えて切々と綴られていた。文面・日付、封筒に記された没年から、手紙は針箱の持ち主の夫君からではなく、品格漂う香りは、底知れぬ哀悼が、心の襞に奥深く覆われていたことを窺わせた。
今は人々が遊興に集う遠い戦地の島から送られた、帰らぬ人の手紙を針箱に納めて明け暮れした歳月、針箱に寄り添い、家人の衣服に、ひとり針を運ぶしめやかな夜を想う。
切なさに耐えかね手紙を燃やそうとしたが、やはりからくりの隙間に戻した。いつか私の元を離れても、このからくり針箱は、命のひとひらが紡いだ想いを、白檀の香とともにひっそりと護り、語り継ぐのだろうから。
2015年香り大賞最終選考