やすら木

朗読・オーディオブック制作「やすら木」のページです。
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からくり針箱

2017-07-26 12:15:02 | エッセイ・コラム

その針箱は、燻んだ火鉢や積年の埃を着た狸の置物に隠れるよううに、栗茶色の四角い頭をのぞかせていた。
 最近地方の旧家では、主の世代が亡くなると家財は一切合切処分されることが多く、この針箱もそうした品のひとつだった。少々ガタついてはいたが使い勝手が良く、思わぬ掘り出し物を得て喜んでいたが、あるとき、買ったばかりの絹糸が箱から消えた。
 狐につままれた面もちで針箱をかき回し、ついには引出し全部を箱から出したところ、新品の糸をしまった引出しの奥板がはずれていた。ようやくみつけたと、箱の奥を探る指先にしなやかな感触が伝わり、いぶかしく思いつつ取り出してみると和紙の包みだった。譲り受ける際に引出しは空だったはず、と手品のような出来事によく調べてみると、引出しの奥行きが箱自体の寸法より不自然に短く、箱の奥が仕切られて、持ち主だけが知るわずかな隙間を造ってあった。
 女性に今ほど自由がなかった頃、大切な私物や秘め事を保管できるのは針箱くらいだったのだろう。丁寧にたたまれた包みを開けると白檀が微かに香り、手紙が一通現れた。セピア色に滲んだ便箋には、戦地から想い人へ、胸を衝く言葉が情感を湛えて切々と綴られていた。文面・日付、封筒に記された没年から、手紙は針箱の持ち主の夫君からではなく、品格漂う香りは、底知れぬ哀悼が、心の襞に奥深く覆われていたことを窺わせた。
 今は人々が遊興に集う遠い戦地の島から送られた、帰らぬ人の手紙を針箱に納めて明け暮れした歳月、針箱に寄り添い、家人の衣服に、ひとり針を運ぶしめやかな夜を想う。
 切なさに耐えかね手紙を燃やそうとしたが、やはりからくりの隙間に戻した。いつか私の元を離れても、このからくり針箱は、命のひとひらが紡いだ想いを、白檀の香とともにひっそりと護り、語り継ぐのだろうから。 

 

2015年香り大賞最終選考

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静謐なる詩情ーヴィルヘルム・ハンマースホイ展より

2017-07-26 12:14:43 | エッセイ・コラム

扉だけが描かれた誰もいない空虚な部屋。強い存在感を放つ家具や楽器に比べ、ほとんどが後ろ姿に描かれた人物の背中から放たれる寂寞に、部屋の空虚はさらに増幅する。
 ヴィルヘルム・ハンマースホイの絵に漂う共通した主題は「虚ーうつろ」ではないだろうか。
 画面の人物達の視線は交わることもなく、同じ方向を見るわけでもない。それぞれが、異なる場所へ視線を投げかけている。さらには実際に何かを見ているのかも疑わしい。視線を漂わせながら、心は別のところにあるようにさえみえる。物理的には同じ空間に在りながら、精神のある人間としては何の共有もない世界は、時代を超え、現代の疎外感をあまりに如実に表している。
 鋳物のストーブ、チェロなど、人の寿命を越えて存在しうる物を描くタッチは色彩と共に不自然なほど重厚感に溢れ、うつろいやすい人の営みを拒否しているかのようにさえみえる。それは、人との関わりを拒みながら生涯を終えた画家の内面を象徴しているかのようだ。
 人が暮らている以上、現実にはありえない、がらんどうの部屋を描くことにより、画家は、生命のはかなさ、生きることの虚しさを想い、開け放たれた扉の向こうにさらに開け放たれた扉が続く絵には、現実を超えた世界に想いを馳せたのかもしれない。

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月あかり 

2017-07-26 12:13:52 | エッセイ・コラム

 夜半、枕元を照らし出す不思議な明るさに目が覚めた。夜明けの色とは違う銀の光をいぶかしく思いカーテンを開けると、ミッドナイトブルーの空に木立が影絵のように浮き上がり、枝の間に満月が冴え冴えと浮かんでいる。こんなにも光り輝く月あかりを見たのは初めてだった。
 太陽は、家々に迎えられるのは当然、といわんばかりの自信に満ちた金色の帯を勢いよく窓に射し込む。それに比べ、温もりを携えない蒼く透きとおった月の光は、時に冷たく妖しいと疎んじられ、時に神秘的な美しさを讃えられるが、おずおずと戸惑いながら窓辺にゆらめく様はどこか恥ずかしげにみえる。
 月は日々姿形を変えては、はかなく湖上をうつろい、すがすがしく山あいに佇み、銀の雫となって心の奥深い襞にそっと触れる。すべての音を吸い込んでしまいそうな穏やかな静謐は、幸せに満ちた者より、世の流れに取り残された不運を嘆く者に優しい。
「私だって陽の光のご機嫌に翻弄されているのですよ。それに陽が何日も見えなければ皆大騒ぎするのに、私なぞ何日姿を見せなくても、誰も気にしたりなんかしません。でも、あなたが私に気づいてくれたように、きっといつか誰かがあなたに気づいてくれますよ」
 月下に音を奏で、詩や物語を綴った人々は、漆黒の闇をひそやかに漂う銀糸のヴェールと戯れながら月とみつめ合い、こんなささやきを交わしたのかもしれない。それは自身の内なる声との語り合いでもあっただろう。
 夜の色が残されていた地方ですら派手なイルミネーションがもてはやされる今日では、このような情景を想像することは難しい。人々は月あかりから眼をそらし、自身の心に背を向けて、あだ花のように華やかなだけの人工的な輝きに刹那的な高揚を分かち合う。
 しかしその輝きが増せば増すほど、人と人との温もりが失われ、心の内が荒涼としていくような気がする。
 イルミネーションは空に月や星の輝きを失った殺伐とした都市を明るく暖かい雰囲気にする、という考え方もあるが、その画一的なきらめきに惑わされ、人はいつしか天空の美しい輝きを忘れ、自身と語り合うことも忘れ去ってしまうように思えてならない。
 こんな不安をよそに、月は点滅を繰り返すイルミネーションを静かに微笑んで眺めながら、いつか人々が再び自分の存在に気づいてくれるのを、気長に待っているのかもしれない。 
 とりとめのない考えを巡らせているうちに、月が傾いたのか、いつしか窓辺の明るさが消え、わずかにうとうとした、と思ったら、月の憂いなどまるで頓着しない陽気な朝日に起こされた。
 きょうも一日が始まる。私は昨夜の月あかりをいつまで心に留めておけるだろうか。

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宮城県の観光PR

2017-07-21 11:10:53 | Weblog

宮城県の観光PRが話題になっている。これは最近どの地方でもみられる現象である。何かといえば、自治体の職員が「面白くて話題さえ集まればいい」という税金の使い方をしていることである。
 彼らはその企画の実効性や、費用対効果を検証しないし、それによって給与が下がるわけでもない。だから、都会のNPOや広告代理店が地方予算に群がって くる。そして職員も自分のお金ではないので、安直にNPOや有名な人に話題作りを頼む。私の目にはお金に群がる人々が、腹の底で地方の人間を見下して笑っ ているように思えて仕方ないのだが・・・
 国から拠出される地方の交付金は、都会の人々の納税分も含まれている。
 
 多額の納税をしている皆さん、あなた方のお金はろくでもないNPOや芸能プロダクション、広告代理店などに回っている可能性があります。SNSの発達した現在、地方のお金の使い方について大いに関心を持ち、御意見をお寄せ頂きたいと思います。

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