ハワイ中毒 旅の記録

旅行記です
ハワイ、オランダ、タリン、ヨーロッパ。。。。

2012 アマルフィ

2012-08-23 05:46:00 | ヨーロッパ旅行
2012年8月23日(木曜日)

アマルフィ・ポジターノ・ソレントの1日ツアー参加中


イタリア人ドライーバによる南イタリアの美しい海岸を訪れるガイドなしツアーです。

コリアン2名、ジャパニーズ3名、アメリカン3名の8名で出発。

美しい海岸線を走って行きました。
慣れないレンタカーでは走れそうもない細い道で、行き交う車もひやひやする場面がたくさんありました。

アマルフィ到着   
        
まずは、桟橋から海岸全体を眺めます。 その後海岸へ・・・・


        
今走ってきた高台の道路と白い家家が素敵です。

        
ビーチは南イタリアのリゾートの雰囲気たっぷりです。

        

      
     


                                             light泳ぎたいexclamation2     
        

海岸の後ろは断崖絶壁で、ホテルや白い家が崖に立ち並んでいます。 泊まりたい
        




海岸を出て、建物のトンネルの中をくぐります・・・・



そこにはアマルフィの街がありました。 大聖堂も。







れもん

レモンの産地であるアマルフィはレモンやレモンの雑貨がいっぱい。

れもん<imgsrc="/milkie/timg/middle_1349979958.png" border="0">

れもんのいい香りの石鹸をかいました。 アマルフィが一番安かったな。
れもん


れもん





   symbol4アマルフィはこんなに素敵なところでしたsymbol4  



そして、次はポジターノへ車は移動します。





アマルフィ・ソレント・ポジターノ

2012-08-23 02:24:00 | ヨーロッパ旅行
         
2012年8月23日(木曜日)


アマルフィポジターノソレント 


ドイツロマンチック街道のツアーは不満の多いツアーであった。
しかし、このナポリ人が連れて行ってくれたこの1日ツアーは大成功であった。

ナポリ5泊にあたっては、レンタカーで観光する予定であったが、空港から乗ったタクシーと周りの車の暴走を経験してしまったのでレンタカーは危険であると決断し、
思いつきで、ホテルのイタリア人のお姉さんに1日ツアーを予約してもらった。

イタリア人の英語が苦手なお姉さんが『友達に頼むから何時を希望する?何時でもいいわよ』というので 9時 にしてもらって、朝食後、お姉さんと外に出て車を待った。

 今日はトーストを注文



アマルフィとは、日本の映画で有名になった観光地だ。
ローマよりもしたの方にナポリがあって、さらに南に下がった素敵な海岸線にアマルフィ・ポジターノ・ソレント・・・はあるのだ。

 

このツアーは、バンに乗って観光地へ連れて行ってくれるけれど、ガイド解説はなしです。
各リゾート地で遊ばせてくれるツアーなのです。 
自由に歩きたい私たちにピッタリのツアーです。


ツアーの概略



 9:00 集合 

 10:30 ビューポイント下車




     マクドウウェルさん気をつけてexclamation2落ちないでexclamation2

   


   あああぁぁぁ~~~exclamation2



          
         



11:00 アマルフィ到着 1時間半自由時間 

13:20 ポジターノ到着 1時間半自由時間 

15:30 ソレント到着  2時間自由時間


美しい海岸線を走り続けた1日。

18:45 ナポリ到着 解散


3箇所のリゾート地へ連れて行ってくれて、
たっぷりの観光時間をとってくれて、
なんの不満もありません。

アマルフィ・ポジターノ・ソレントを堪能しました。


そして、3人だと65ユーロ(6500円)で安いとおもっていたところ、
同乗した人合計7人だったので、7人料金  

一人 たったの  35ユーロ 3500円 だったのです。


アマルフィ観光へつづく・・・・

2012 ナポリ

2012-08-22 02:46:00 | ヨーロッパ旅行
2012年8月22日(水曜日)

ナポリ観光の日


昨夜この宿に到着し、鍵が部屋の中から開かなくなってしまい一晩部屋に閉じこもり、翌朝大きな黒い人のおかげで鍵も開いて助かった。

全面閉ざされた窓を開けてみた。
厳重なる雨戸の鍵をいくつも開けてみたら、
開けることができた。
それらの扉はすごい防音だったらしく、一気に外の音が飛び込んできた。

そとは、まあぁ 驚いた。

    
マフィアから身を守るための鉄格子から下を見ると
出店がたくさん出ている。 興味深い


大きな驚きexclamation2exclamation2


なんと、窓を開けるとこんな広場が広がっていたのだ。
昨夜の騒音だけで判断したときはこのような広場は想像できなかった。
     

     ダンテ広場 ダンテ像も見える

     


正面はこんな建物で、教会もある。ダンテ駅へ降りる階段もある。
     

右を見ると小さな店店 興味深い
     

さて、オーダーしたとおり、時間通りにドアがノックされ
お給仕の黒いひとが朝食を運んできてくれた。

     TripAdvisor提供


ドアの外にキッチンがあり、そこで黒い人が二人で作ってくれているようだ。
大変上品で静かな人々だ。 おとなしいのだ。




コーヒー・オレンジジュース・パインジュース・クロワッサン(中に甘いものがはさんである)・サラミ・スクランブルエッグ・ソーセージ・フルーツサラダ


新鮮な生のフルーツにパインジュースがかかっているフルーツサラダは大変美味しい。
ソーセージも卵も美味しいのだ。 クロワッサンは美味しくない。

朝食後に部屋をチェンジした。
黒い人が私たちの荷物を丁寧に運んでくれた。
イタリア人の若い女性が来てナポリの説明をしてくれた。
自己紹介しないからこの人は誰だか最後まで不明。


イタリア人女性がくれた地図を持って観光へ出発。


大通りが何本かあってそこを歩くことにしたが、
それは大通りじゃなくて石畳のナポリ庶民の小道って感じだ。
観光地じゃなくて人々の生活の場だ。

朝食直後だけど美味しそうなパン屋さんで
おいしそーなパンを買った。


3人で一口づつ食べて・・・捨てた。

べちょべちょに水分がたっぷりのパン。
甘いグラタンみたいのが入っているパン


観光するべき建造物も多々あった。
歴史より現実が好きだ。 いまのナポリを感じたい。




こんな道道を歩いて、地元のスーパーに入ってみたり、
ナポリ庶民の街を散策できた。

街はスクーターがガンガンはしっている。
ひったくられそうで気をつけた。




巨大パスタの専門店だ。
  



ランチはもちろんイタリアン。 カフェでマルゲリータとパスタ
店の名前は ’O Munaciello s、r、l



     
写真を見ると、昼からビールを飲んだらしい。
ビール 2.5 €
スプライト 2.5€ × 2
マルゲリータ 5€
spaghe aglio e olio 5€
Coperti 1.5€ × 2       総額20.5€  安い!
Copertiとはサービス料みたいなもんで、チップの代わりになるらしい。しらなかった!チップ払った店もあるぞ・・・
     

ランチのあとは、トレド通りへ。
マクドウウェルさんの半ズボンを安く買ってすぐに履き替えた。

     

チョコパンがジェラートを買いに行った。
どんな味を買ってくるかと思ったら、全身茶色のジェラートだった。
       


トレド通りの終わりは港のそばで、こんな建造物が・・・     
     


     

サンフランチェスコディパオラ聖堂らしい・・・

     

     空中に浮かぶことができるチョコパンさん(大道芸人)

     

     空中に浮かびたいみるき~さん。

     

ナポリ湾 サンタルチア・・・ここに来たかった 感動   

     
太い腕をモヤで隠しながらサンタルチアを歌うみるき~さん   ship

     
暗くなってきました。 だんだんライトアップされますが、カメラは隠して持ちます。

     

    建物のあいだのライトは、サンタルチアの港です。

    あちぃ~~
  
     


     
『僕、今日おまわりさんに カメラは隠したほうがいいって言われちゃったの』
     

     
『空中浮遊はトアル集団で修行しました。』


     
『私は修行が足りませんが、幽体離脱はあと一息です』


夕飯はピザのお持ち帰り。 種類の違うのを2枚注文したけど、ノリノリのピザ職人が適当に勢いよく作るので、まるで同じものだった。
    クルクル クルクル
    
    
小さい店なのに釜があってすぐに出来上がるの。
PizzaBra 2枚11ユーロ 

  

従業員もお客も居ないひっそりとした清潔なお部屋に戻ってピザを美味しくいただきました。
大変美味しかった。

クーラーも効いているし気持ちの良いお部屋です。
あすの朝食オーダー表を外のくぎに刺して・・・

おやすみなさい 



ミュンヘンからナポリへ

2012-08-21 13:03:00 | ヨーロッパ旅行
2012年8月21日(火曜日)


ドイツロマンチック街道4日間たっぷりのツアーが二日間で終わってしまい、最終日はミュンヘンにあるダッハウ強制収容所へ自分たちで行き、人間としての勉強をすることができた。

観光後ダッハウ強制収容所でタクシーを呼んでもらい、ミュンヘンの空港まで行った。

途中にある城などへ立ち寄る気も失せ、空港へ行ったが、出発まで早く来すぎて空港には人もいないわ。 夕方までのんびり空港で過ごします。

ドイツのケーキを食べなきゃ!
お昼だべなきゃ!
スワロフスキー見たいし!
チークも買いたい! と、4時間ほどあっても希望はいろいろです。

しかし、ケーキもランチもどうも乗れるものがなく、どれだけウロウロウロウロしたことでしょう。

巡り会えました
ずっと探してたスワロフスキーのピアス

日本だと16000円だけど、ミュンヘンで7900円。
マクドウウェルさんが買ってくれました。
 kirakira symbol4 kirakira ありがとう kirakira symbol4 kirakira 大事に使います。  うれし

オーストリア・ドイツはスワロフスキーが大変安いし豊富だ。
ああ、悔やまれる、4月の香港旅行。 だまされたなぁ
悔しいからどんな顔をしてだましさまされたかご覧いただこう。





さて、ミュンヘンの空港で出発までの4時間を買い物と食事で過ごしました。
マクドさんも、リモアのスーツケースみたいなカードケースを買って財布をスッキリさせていました。
そして搭乗口へ。

ルフトハンザ航空の太っ腹は、
空港内ドリンク飲み放題で各所にドリンクバーがある。
さっそくありがたく頂いた。



待望の機内食はこれだ。
大変美味しかった。 これが本日の夕飯となったのだ。

ドイツソーセージ・それにポテトのドレッシングあえ。 


      ナポリ空港
 荷物がなかなか出てこないので、親猿が子猿のシラミを取り始めました。

タクシーでホテルまで。

ぼったくられた

ナポリのタクシーに注意することは聞いていたが、ひどいよ
空港タクシー乗り場でちゃんと乗った。
メーターも回していたからぼったくられることもない予定だった。

空港から5キロだから、数分10ユーロくらいだろうと思った・・・

乗っても乗ってもなかなか到着しない。
挙句にすっごいスピード暴走
なんか、高速道路を走ってるし、暴走暴走

50ユーロ札しかなくて支払ったら20ユーロしかおつりが来ない。
これは[僕のチップね]とかいわれてさ・・・

遠回りの術を使われたのだ。どうしようもないわ・・・

しかしそれより、
唖然

ナポリの街々は、想像もしていなかったスラム街です。
家も汚く、落書きだらけで、ボロボロで、人々も貧しく、
走るところ全部がスラム街。
スラム街にタイムスリップ・・・これは夢じゃない

夜だったので大変恐ろしく汚い街でした。

タクシーのぼったくり運転手にトンネルの手前で下ろされ、
案内されたとおり歩道を歩いてホテルに到着。

TripAdvisor提供

よる9時すぎに空港到着だとメールしておいてよかった。
メールしていなかったら、このスラム街で身ぐるみ剥がされるところだった。

しかし、このホテルを私は予約したのだろうか?
このホテルを予約しようとして予約したんだろうか?
こんなに小さなB&Bだったっけ?
ちゃんとしたホテルだったような気がしたんだけど
いまだに謎だ。



中は驚いたりなんだりかんだり・・・



Portalba Relais






呼び鈴を鳴らすと黒い男の人が一人出てきてこのロビーに案内され、
名前も告げてないのに部屋の鍵をくれて
朝食オーダーの紙をわたされ、不思議な部屋に入った。

ギョ!
大丈夫だろうか!
洞窟ホテルをかんじさせる・・・
窓を開けてみたら、暗い雨戸。それも厳重に鍵がかかってる。
外は見れない。
このマフィアの街で窓は開けれない。。。
鉄格子・・・

ここに5泊もチョコパンは出来るだろうかと心配したが
[天井が高くて気持ちがいい] と言ってくれたのでほっとした。

鉄格子で金庫の中に閉じ込められた気がしたが、大変清潔なので安心。

ここは、6部屋だけの小さなB&Bだった。
フロントもなく誰もいないの・・・
ほかに、ひと組ご夫婦が泊まっているようで
私がロビーでパソコンの前にいたら遅くに帰ってきた・・・
不思議な空間。


とりあえず一日が終わり、
ほっとして、二人が寝てしまったところで 事件だ

朝食のオーダー表をフロントに置きに行こうと、鍵をあけようとしても
鍵があかないのだ。

やられた、閉じ込められた。
誘拐事件だ

1時間以上鍵を開ける努力したが空かない。
そして、誰もいない家。

唖然・・

そこで私は一人で考えた。

light助けを求めるのだlight

help help

朝食オーダー表の裏に、『鍵があかないからドアが開けられない、ドアを開けて』exclamation2 と書いてドアのしたから廊下に紙をだしておいて、どうか開放される日がやってきますようにと願って寝た。

あさ、7時。

声もなく、ドアがガチャガチャ音を立てている。
何者かがドアをこじ開けようとしている。
数分、ガチャガチャこじ開ける音が続く。

ギギギ・・

ドアが空いた。

大きくて黒い人が立ってる。
彼は言った

『 朝食のオーダー表がまだ出てないんだけど 』

ダッハウ強制収容所

2012-08-21 01:55:00 | ノンジャンル
2012年8月21日(火曜日)

ドイツロマンチック街道3泊の旅がとうとう今日でおわります。

ミュンヘン Europaisher Hof ホテルの日当たりの良い最上階にて8時起床。

熱くて眠れない夜でした。

お楽しみの朝食バイキングは満足です。
十分なパンとおかずとフルーツとドリンクも充実しています。


大変美味しかった。 

さて、私たちは今夜ミュンヘンからナポリへ飛びます。

11時のチェックアウトまではまだ時間があるので1ユーロショップヘ行き、これからの水分を購入してきた。 昨年の例で行くと、イタリアの観光地はドリンクが非常に高かったのだ。

ベリーダンスの街みたいなインド人の通りを歩いてお買い物。
100円ショップと同じでいろいろありました。
ハムスターやインコの餌も買いました。

ペットボトルのコーラや紅茶をスーツケースにしまって
さて、 この荷物をどうしよう・・・・

検討の結果、 フロントに荷物は預けず観光に持っていき
そこから直接空港へ行くことにしました。

Konzentrationslager Dachau 
ダッハウ強制収容所


かなしいかなしい歴史の場所に行きます。
いままで、いくつかの本も読みました。映画もたくさん見ました。
悲しい悲しい殺人現場です。
集団皆殺しの土地です。 

人間の最低のイジメ現場です。
人間という動物の醜い実態です。

ミュンヘン中央駅HauptbahnhofCentralStationからSバーン2 5ユーロで25分
Dachau下車

 

駅から観光客はバスをまっていたけど、私たちはスーツケースもあるし3人だからタクシーで10ユーロで強制収容所に到着。

入場無料。 広い敷地だった。
広いくて歩きにくい地面をスーツケースを引っ張って歩いた。

ダッハウにスーツケースで来ているのは私たちだけだ。
暑い
灼熱の太陽だ

虐待された人々の悲痛が聞こえる。

偶然にも現在BSにて [ドレスデン、運命の日]を放送中、いままさにドレスデンが壊滅しようとしている中、ブログ更新中。ユダヤ人は防空壕に立ち入り禁止・・だって



入り口扉の中央には「ARBEIT MACHT FREI=(働けば自由になる)」という文字があります。
ナチスドイツの嘘です。 
4日間まるごとたっぷりご案内という言葉もわたしは信じていたんだ。  ナチスドイツの裏切りです。

      
公開されている収容所の様子は、写真やビデオで伝えてられていました。
ムチウチの刑、超高度低気圧での人体実験、冷却人体実験・・それはそれは悲惨な現場が次から次へと展示してあります。

収容所に来たら人々の霊を感じるだろうかと心配していた。
わたしは、何一つ霊を感じなかった。 私の心は冷静だった。
もう、悲しみしか襲ってこなかった。

悲しくて悲しくて。

      
     本当の地獄、地獄以下に送られてきた人々。


      
    収容所監獄は収容所の中でも残虐行為による恐怖の中心地




     拷問に使われたムチと台
     

囚人が書いたリアルな絵もたくさんありました。
悲しいシーンの絵ばかりです。

     

毒殺でしょうか、ひどい、ひどすぎる。

    

逃げようとした人が死んだり、絞首刑にあったり

     
   

    

映画で知った、シマシマの囚人服。 実際の服と靴と帽子が展示されていました。
血と涙で一杯の洋服だった

展示されていた楽譜は、人々が歌っていたものだろうか。怖くて演奏することができない。


      

この大勢の人は、アメリカ軍によって解放された喜びの人々だ。 よかった開放されて。
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亡くなっていった人のモニュメント

      
        


別の棟には、大勢が押し込められて極めて不潔状態であったという収容所なか
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祈祷するところとか、慰霊塔とかあった。追いつかないきがした。


別の敷地には、殺人鬼たちがひどいことをしたところがある。

ガス室



ここに書いてある文字は シャワー室

シャワーかと思って安心して入室し、ガス殺人が行われたのだ。
ダッハウに限らずガス室殺人は各所で行われてたのだ。 ひどい。

焼却炉・・・死んだ人を焼却したんだよね? 生きている人じゃないよね?









       
ガス室のそばにあった銅像、 そして大変気持ちの悪い川がながれていました。



当時、収容所の周囲は、電流の通る有刺鉄条網が張りめぐらされていた。





チョコパンとマクドウウェルさんは、私と交代でガス室や遺体焼却呂のある敷地へ歩いて行きました。 炎天下の陽炎のなかを ふたりは歩いて行きました。
そして、
       数秒後


 白い光が二人を包んだ  そして

この二人の姿は二度と見ることがなかった。