ジュリー見〜つけた💕

沢田研二さんやザ・タイガースにかかわることを あれこれと・・・

週刊文春「ジュリーがいた」 〜 熱狂のザ・タイガース 4 〜

2021年07月14日 23時52分00秒 | 日記

milky4465です。

ジュリー見〜つけた
 
夏〜っ
空には大きな入道雲、公園は蝉時雨、
気温は軽く30度超えの今日(7月14日)、
週刊文春 7月22日号が配信されました。
 
島﨑さんの記事、再開から4号めです。
 
 ジュリーがいた
  〜 熱狂のザ・タイガース 4 〜
 
 
初めて、この曲
 Long good−by     
(アルバム「ROCK'N ROLL MARCH」に収録)
を聴いたとき、
ザ・タイガースのメンバーの顔が、次々に
浮かんできて、胸の奥深い部分が、苦しいくらい 
キューンとなったことを思い出します。
 
それは、・・・。
1971年1月24日の解散コンサートの後、
決別の言葉を残して京都へ帰り、京都府立
山城高校定時制、慶應義塾大学文学部を
見事に卒業して、慶應高校で漢文の教師と
ったPeeへ、再会を呼びかけた曲だと、
すぐに分かったからです。
 
 
 ほんとうに ほんとうに 楽しくて
 いつも いつも いっしょにいた
 永遠に今が続いていくと
 思っていた あの頃に 
         (作詞・岸部一徳)
 
 ほんとうに ほんとうに 君のこと
 いつも いつも 気にかけてる
 永遠の今が続きならば
 一度酒でも飲まないか 
  (作詞・沢田研二/作曲・森本太郎)
 
永遠の今が続きならば
 森本が歌っていたこの曲を、08年5月、
 沢田が自身のアルバム
  「ROCK'N ROLL MARCH」に収録
 し、同9月、NHK「SONGS」で歌う。
 岸部が、歌詞の1番、2番を書き、3番が
 書けないと沢田に託した楽曲である 
 沢田はどんな気持ちで書いたのか。  
 
 〈ピーさんがこの世界から足を洗って学
 校の先生になるというのは、当時は変
 わったやつやなとは思いましたけど、
 どこかでやっぱり凄いやつだなと思った
 んですよね〉〈やっぱり最後は「めでたし
 めでたし」になりたい〉〈一緒に飯くうだ
 けでもええから、なんか集められたらい
 いなって思いを込めてできあがったのが
 3番でございます〉(08年NHK–FM
 「今日は一日ジュリー三昧」)
    (週刊文春デジタルp4より引用)
 
この後、
 永遠の今が続きならば
   一度酒でも飲まないか 
J様の願い通り、現実のものとなっていく
のです。ほら、ねっ。
 
 
続きは、また・・・。 
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週刊文春「ジュリーがいた」 〜 熱狂のザ・タイガース 3 その2 〜

2021年07月11日 21時13分00秒 | 日記
milky4465です。
ジュリー見〜つけた

 ジュリーがいた
  〜 熱狂のザ・タイガース 3 〜

週刊文春 7月15日号に掲載された
島﨑今日子さんの記事について
前回の続き・・・です。

ザ・タイガースからPYGへ
 この時期、GSは次々と解散し、タイガー
 スもメンバー内では解散が既定路線に
 っていた。ソロになることを噂されて
 いた沢田であったが、他のメバーが次の
 道を決めていく中で自分が何をするのが
 見えてはいなかった。彼はその頃の不
 を、2008年放送のNHK−FM「今日は
 一日ジュリー三昧」で語っている。

  〈僕は困っちゃって、休みの日になったら
 事務所に行って、お茶なんか入れたりし
 てましたよ。何か仕事くれないかなあ、
 みたいな。すごく淋しくなってね〉〈ひょ
 んなことから「スーパーグループ作る」っ
 ていう話を、くれまして〉〈えっ、そこによ
 せてくれるのん? つていう話ですよ。
 うわぁ、やったー! って思ってね〉
     (週刊文春デジタルp5より引用)

姉から、
「(1971年)1月24日、ザ・タイガースは
   解散することになったわよ」
と聞いた時、私の中に激震が走りました。

ファイナルコンサートになど、絶対に
けるはずないし。
悲しくて、悲しくて、
でも、何もできなくて。

武道館でのファイナルのVTRを見たのは、
ずっとずっと、後になってからでした。



ザ・タイガース解散から、約1週間後の
2月1日に、PYGは、デビューしています。

メンバーは、ザ・タイガースからJ様と
岸部修三さん、ザ・テンプダースからショ
ーケン大口広司さん、ザ・スパイダース
から、井上堯之さんと大野克夫さんという
超豪華陣。

デビュー曲は 花・太陽・雨 
小学生の私には、大人テイストで、少し難
しく感じました。

ただ、どんな形であれ、これからも、
J様の歌声を聴き続けられる。
その嬉しさの方が、何倍も優っていた事は
言うまでもありません。


ジュリー〜〜〜っ

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週刊文春「ジュリーがいた」 〜 熱狂のザ・タイガース 3 〜

2021年07月09日 00時25分00秒 | 日記
milky4465です。
ジュリー見〜つけた

7月7日(水) 七夕 16時に、
週刊文春 7月15日号が配信されました。

島﨑さんの記事が再開されてから、
早くも3号めです。
 ジュリーがいた
  〜 熱狂のザ・タイガース 3 〜


新生ザ・タイガースのスタート
 タイガースはあらゆる雑誌の人気投票
 で1位を獲得する勢いだった。だが、
 空前絶後の人気は彼らが自分たちのや
 りたい音楽から乖離していくことと同義
 だった。「10年ここで頑張ろう」と仕事に
 向かう沢田と、「アーティストであるべき
 だ」と言う加橋の不仲が報じられ、翌69
 年3月、加橋は脱退。代わってアメリカに
 いた岸部シローが加入して、新生タイガ
 ースがスタートする。

      (週刊文春デジタルp10より引用)

当時、私は、まだ小学生。
トッポが脱退した理由や、トッポの代わり
として、サリーの実弟がメンバーに加わる
ことになった経緯など、知るよしもありま
せんでした。

ただ、シローを初めてテレビで見た時に、
髪が長くて、とても背の高い人だなぁって
思ったことは、鮮明に覚えています。



新メンバー紹介の記者会見では、J様も、
「背も高い、言うことも大きい、頼りになる」
と、シローを称賛していました。

後になって、シロー自身が何かの番組で
語っていた笑えるエピソードです。
 今で言うエアギターだったこと
 バレて、ダンバリン担当になったこと
 タンバリンは、音が出ないようにして
  あったこと
 ても、時々音が出てドキッとしたこと

そして、シローの十八番は、
 若葉のころ(ビージーズのカバー)
シローの細く高い声、透明感のある声が、
爽やかな情景とよくマッチしていました。

もう、この新生タイガースのメンバーが、
揃ってステージを飾ることはないと思う
寂しく、また、残念でなりません。

改めて、岸部シローさんのご冥福を
お祈りいたします。

続きは、また。
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週刊文春「ジュリーがいた」 〜 熱狂のザ・タイガース 2 その2 〜

2021年07月05日 00時02分00秒 | 日記
milky4465です。
ジュリー見〜つけた

7月3日(土)は、「BALLADE」追加公演の
チケット発売日でした。

これまでは、澤会へ申込みをしてから
チケットが手元に届く迄、
のほほ〜んとしていた私ですが、
まさか、この年になって、特別着信先行を
経験することになろうとは・・

前回同様、多くの会場が、あっという間に、
予定枚数終了。
私も、どうにかこうにか、希望の会場が
取れて、ほっかり。
J様ファンの皆様、お疲れ様でした。

さて、前回の続きを・・・

初演映画「世界はボクらを待っている」



 68年4月に公開されたタイガース最初
 の映画「世界はボクらを待っている」
 には、ヒートアップしたタイガース人気
 が映し込まれている。ジュリーの影武者
 が何人かいたことは、ファンの間では
 よく知られていた。影武者が先に出て
 出待ちのファンをひきつけている間に 
 隙をねらってジュリーが脱出するといった
 具合なのだ。
    (週刊文春デジタルp3〜4より引用)

部屋の下に、プレゼントをもったファン
たくさん集まって、ヒートアップ





ライブ会場から出るのに、もみくちゃ


時には、変装して







時には、非常階段を駆け降りて、
通用口から専用バス




・・・とまあ、こんな感じで描かれています。

時は流れましたが、ライブ会場でお会い
する先輩ファンの皆様から感じることは、
「今もジュリー愛は熱く燃え続けている」
ということです。

ジュリー〜〜〜っ
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週刊文春「ジュリーがいた」 〜 熱狂のザ・タイガース 2  〜

2021年07月01日 22時10分00秒 | 日記
milky4465です。
ジュリー見〜つけた

昨日、夕刻
週刊文春 7月7日号が配信されました。

先週号から再開された、島﨑さんの記事
 ジュリーがいた
  〜 熱狂のザ・タイガース 2 〜

今回は、どんなことが書いてあるのかしら?
心がワクワクおどります


「シャボン玉ホリデー」レギュラー出演
 ファニーズ時代やジャズ喫茶に出ていた
 頃、20歳前後だったタイガースのファン
 は、「シャボン玉ホリデー」にレギュラー
 出演するようニなると一気にローティー
 ンにまで広がった。ジャニーズ事務所初
 のアイドル、ジャニーズの前座で歌った
 タイガースが「シーサイド・バウンド」
 「君だけに愛を」で、たちまちトップを上
 り詰めていく。テレビの力は大きかった。
    (週刊文春デジタルp5より引用)

ザ・タイガースが、テレビに出始めた頃、
私は、ローティーンどころか、まだ、10歳
にも満たない「おませちゃん」でした。

その「おませちゃん」が、特に、好きだった
番組は、記事にある「シャボン玉ホリデー」
「ザ・ヒットパレード」です。

だって、レコードからは甘い歌声と演奏が
聴こえるだけなのに、テレビからはJ様
ザ・タイガースの映像と歌声が、同時に
流れてくるんですもの。

まあ、その嬉しかったこと嬉しかったこと。
絶対に、忘れられない思い出の一つです。


少女向けの雑誌
 62年創刊の「週刊少女フレンド」も63
 年創刊の「週刊マーガレット」も総合
 としてスタートして、女性誌が生活誌や
 ファッション誌に細分化される70年代
 後半までその路線が続いた。
              (p7より引用)

 GSブームが頂点に達した68年4月に
 はタイガースがCMソングを歌う「ティ
 ーンルック」が、5月には「セブンティー
 ン」が創刊され、ティーンエイジャーを
 ターゲットにする2誌の中心記事はGS
 情報だった。既に「週刊マーガレット」や
 「週刊少女フレンド」など小学生も読む
 少女漫画誌に、「ザ・タイガース物語」や
 「沢田研二物語」が連載されていた。
 ひらがなの多いノンフィクション風の
 事は、芸能誌に連載された同様の記事と
 ほぼ同じストーリーであった。
            (p6〜7より引用)

幼い頃の私の愛読書は、
もっぱら「週刊マーガレット」でした。
しかも、表紙とグラビア専門
だって、・・・
ひらがなの多い って言われても、
私には、漢字まじりの文章が難し過ぎて、
全く読めなかったんですもの〜(笑)。

週刊マーガレット」のお気に入りの
グラビアを家族に見せては、
「ジュリーが好き、大好き
って、言ってた私。
皆からは、面白おかしくからかわれていた
記憶が蘇ってきます。

あれから、長い長い時間が流れたのに、
運良く残っている「週刊マーガレット」が
何冊かあります。


想いと思い出が、たくさん詰まった
私の「週刊マーガレット」
大好きなJ様と出会わせてくれた
私の「週刊マーガレット」

生涯、大切にしたい宝物たちです。

この続きは、また・・・。

ジュリー〜〜〜っ
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