「チョルノブイリ原発が爆発炎上して、膨大な放射能が地球上に飛び出した事故は、1986年4月のことで、この事故のために、ウクライナの大地はいまだに放射能に汚染されたままになっている。…この本のもとになったものは、ソ連崩壊の後の1998年に、独立ウクライナでウクライナ語によって書かれた。…事故処理作業に当たった消防士、医師などの証言を中心に、旧ソ連で長く秘密にされ、日本ではほとんど報道されていない原発内のその後の重大事故や処理作業についての数々の証言などで構成されていて、チェルノブイリ原発事故を記述した本の中でももっとも詳細かつ衝撃的な内容を持つものであろう。…キエフにある原本の出版社と連絡がとれず、あえて私家版としての出版で、公表に踏み切ることとした…」(「チョルノブイリの火」翻訳者あとがきより)。
「チョルノブイリの火」は、日本で初めて東海村に原子力発電所が出来てからずっと反対運動に携わってきた河田いこひさんが、ウクライナ語で書かれた原本を、ウクライナ語を習得することからはじめて何年もかかって翻訳し、2011年1月30日に私家版として出版された本だ。
翻訳者である河田さんからこの本が送られてきたのが去年の2月半ばのこと。
私は久しぶりにチョルノブイリという言葉を目にして、「わあ、河田さんのライフワーク、やっと形になったんだ!」とうれしく思ったものの、600ページにも及ぶこの本を読みあぐねていた。そして一ヶ月も経たないうちに、あの福島の原発事故が起こったのだ。
ヘタレの私がやっと読み終えたこの本の持つ意味はとても重い。
チョルノブイリは遠いことだったとしても、日本の人たちの多くは、あの福島の事故で、原子力というものを今まで以上に考えるようになったはずだ。
エネルギー消費は拡大させたい、しかし地球温暖化は食い止めたい。そういう虫のいい考えで原子力発電を推進しようとしていた動きを、疑問に持つ人が増えたはずだ。
核の使用は、兵器であれ発電であれ、地球全体の問題であるということを、多くの人が知ったはずだ。
「結局何も変わらなかった」では、事故で犠牲になった人たちは報われない。
「チョルノブイリの火」は、日本で初めて東海村に原子力発電所が出来てからずっと反対運動に携わってきた河田いこひさんが、ウクライナ語で書かれた原本を、ウクライナ語を習得することからはじめて何年もかかって翻訳し、2011年1月30日に私家版として出版された本だ。
翻訳者である河田さんからこの本が送られてきたのが去年の2月半ばのこと。
私は久しぶりにチョルノブイリという言葉を目にして、「わあ、河田さんのライフワーク、やっと形になったんだ!」とうれしく思ったものの、600ページにも及ぶこの本を読みあぐねていた。そして一ヶ月も経たないうちに、あの福島の原発事故が起こったのだ。
ヘタレの私がやっと読み終えたこの本の持つ意味はとても重い。
チョルノブイリは遠いことだったとしても、日本の人たちの多くは、あの福島の事故で、原子力というものを今まで以上に考えるようになったはずだ。
エネルギー消費は拡大させたい、しかし地球温暖化は食い止めたい。そういう虫のいい考えで原子力発電を推進しようとしていた動きを、疑問に持つ人が増えたはずだ。
核の使用は、兵器であれ発電であれ、地球全体の問題であるということを、多くの人が知ったはずだ。
「結局何も変わらなかった」では、事故で犠牲になった人たちは報われない。