ねむたいむ

演劇・朗読 ゆるやかで懐かしい時間 

星が丘洋裁学校

2006-03-22 | Weblog
ku:nelという雑誌をよくみる。自然なもの身体にやさしいもの古いもの懐かしいものを大切にしている人たちや、それをもとに何かを作りだしている人たちが、こんなにもいるのだと思う。
以前その雑誌に紹介されていた「星が丘洋裁学校」のことが記憶に残っていた。草ぼうぼうの広い敷地内に、古い木造校舎が建っている。かつては洋裁学校だったというその建物は、今はギャラリーになっていて、若い作家の作品が展示されたりしている。枚方市にあるというその場所を、私はいつか訪ねてみたいと思っていた。
今さらに、その同じ敷地内にある古い納屋が改造されて、ソーイングテーブルという名前の喫茶店になっているのだそうだ。ku:nelの最新号では、そこに引き寄せられるように集まってくる人たちのこと、日々のこと、四季の移り変わりが紹介されていた。

いろいろな思いや願いが溢れていた古い建物や場所には、人を立ち止まり振り返らせ、そこからまた新しいものをみつけ出す、そんな不思議な力があるのかもしれない。

ひみつ

2006-03-16 | Weblog
ひみつという言葉に昔から弱かった。それが書名についていると、かならず手にとってみた。「秘密の花園」とか、「魔女のひみつ」とか「うさぎ屋のひみつ」とか。あ、「ひみつのアッコちゃん」っていうのも。最近では文庫本になったおーなり由子の「ひみつブック」。とても可愛い本です。
ジョン・バーニンガムの「ALDO・わたしだけのひみつのともだち」という絵本がある。日本語訳は谷川俊太郎。主人公の少女には特別な友達がいて、それがALDO。ALDOは少女以外の人にはみえない。絵でみると特大のうさぎ。少女が困った時にいつも来てくれる。恐い夢を見た時やいじめられた時、少女はALDOがいると思うと元気になれる…。
この絵本を読んだ時、私にも子供の頃、そういう存在がいたことを思い出した。私のALDOは、バットマンみたいなかっこうをしていた。名前もちゃんとあった。その名前も思い出したけど、あんまり変な名前なのでここでは言えない。
彼はよく夢に出てきた。夜中に目を覚ました時、そばにいてくれたこともあった。いつも、いじけたわたしを慰めてくれた。いつのころからか夢にも現れなくなって、そのうち忘れてしまっていた。何度も夢に見ていたのに、彼のことは誰にも言わなかった。信じてもらえないからというより、自分だけのものにしておきたかったのだと思う。ひみつという宝物に。
大人になった今はと言うと、ひみつの人やらひみつの時間やら。やっぱり、誰にも言いません。


森茉莉のこと

2006-03-14 | Weblog
森茉莉は自分の著書に「Marie Mori」とサインしたそうだ。とても彼女らしいサインだと思う。私は、「恋人たちの森」や「枯葉の寝床」などの小説も、「贅沢貧乏」や「私の美の世界」などのエッセイも大好きだが、それよりもなによりも、森茉莉という人そのものが好きなのだ。
亡くなる何年か前の、70才ごろの写真がある。童女がそのまま老女になったような、拗ねたような、困ったような、心もとないような、甘えたような、そんな横顔の雑誌の切りぬきを、私は赤い手帳に大切にファイルしている。
六畳間ひとつの古びたアパート(戦前のものだが、アールデコ式のしゃれた建築だという)の一室に住んで、米軍払い下げのぼろベッド(天蓋付きのベッドでないなら、彼女にとって、そのベッド以上のものはないのだ)に、愛猫ジュリエッタと横たわり、日がな一日夢と戯れていた。石鹸(シャボン)のひとつ、空き瓶のひとつ、鉛筆の一本にもこだわって、自分なりの贅沢を楽しんでいた。そして、その気に入りのベッドの上で、静かに眠るようにあの世に行った。
こだわりの作家は、あの世でも、永遠の夢を紡ぎつづけているのだろうか。

猫の喫茶店

2006-03-13 | Weblog
(男)もう、半年になるかな。あの夢を見るようになってからさ。感じのいい喫茶店なんだ。ただ、マスターもウエートレスもね、猫なんだよ。で、マスターの方がさ、俺んちにいたプータなんだ。18年生きて、去年死んじゃったんだけど。
(女)店の様子ははっきりと覚えているの。だって、一度や二度じゃないのよ。もう、繰り返し同じ場所ばかり夢にみるんだから。木製のテーブルとか椅子とか、古ぼけているんだけどなつかしいの。落ちつくの、すごく。窓際の席につくと、ウエートレスが注文を取りに来るの。それが猫なのよ。よく見ると私が小さいころ飼っていたちいちゃんなの。ちいちゃん、こんなとこにいたんだって、嬉しくなって、私、ミルクティをひとつねって言うの。窓から夕日が差し込んで、お店全体が古い写真みたいで、あ、これってどこかでみた感じって思うの。先客がひとりいるの。若い男の人。
(男)でさ、コーヒー飲んでると、客がやってくるんだ。可愛い女の子なんだよ。で、俺、その子に話しかけるんだ。
(女)どんな話をしたのか覚えてないんだけど、とにかくその人と話がはずんで、またここで会いましょうねって言うの。
(男)客なんて、他に誰もいないんだよ。俺と彼女だけ。ブータとウエートレスが暇そうにトランプ占いをしてるんだ。
(女)この間行った時には、まだストーブが入っていたわ。そのストーブの上でね、ちいちゃんがパンを焼いてくれたの。夕焼けが、いつのまにかマーマレードに変っていて、それを付けて食べるわけ。もう、おいしくって、私達、何枚も食べちゃうの。
(男)それだけなんだけどさ。
(女)それだけなのよ。でも。
(男)でも、なんかいいだろ?
(女)なんかいいのよ。

待っている

2006-03-12 | Weblog
(女) 私の前を、いそぐ肩が追い越して行く。いそぐ足。わらい声。立ち止まる。歩く。遠ざかる。
悪い交差点。悪い信号。赤、黄、青。悪い空気。悪い背中。悪い人達。
追い越して行く。追い越して行く。人、人、人。
走るバス。バスの窓。窓に映る街。切り取られた街。
一瞬、街がジグソーパズルになって崩れて行く。ビルのかけら。車のかけら。レストランのショーウインドウ。ウインドウのなかのサンプル。
ばらばらになった風景を、拾い集めて組み立てる。空に雲。ビルにいくつもの窓。窓にはカーテン。点滅する信号。何本もの街路樹。
終わらない日曜日。終わらない時間。
パズルが完成する。でも、一つ足りない。空のまんなかに穴が開いてしまっている。
開いた穴から雨が降っている。
捜さなくちゃ。ジグソーパズルの残りのひとかけらを。そこにある私の約束。そこにいるあのひとを。
雨はまだ止まない。雨は私の上にだけ降っている。たったひとつのパズルの穴。もどれない。すすめない。
と、傘?
(男)ごめん、遅れちゃった。でも、来たよ。

迷宮ごっこ 再び

2006-03-10 | Weblog
散歩に出かける。電車に乗って長岡天神の駅で降りる。今も昔も変らない古い商店街を歩いて行く。苺を買う。パンを買う。きゅうりを買う。ふと横道を見ると、古ぼけた建物がある。アパートだ。古いアパートに出会うと、私はいつだって立ち止まってしまう。ひび割れた石の門からそっと覗く。きれいに手入れされた庭。石畳に続く木製の扉。閉ざされた扉のその向こうを思う。
私の次の作品のタイトルは決まっている。「森陰アパートメント」。そこに、一人二人と住人が住みついて、物語が動き出して行く。
京都北白川の疎水沿いに銀月アパートメントというところがあるそうだ。70年以上もたつ古いアパートで、前は京都大学の学生の下宿屋だったらしいが、今は普通のアパートになっている。炊事場もトイレも共同で、住みにくそうなのに満室で、部屋が空くのを待っている人までいるという。
苺とパンときゅうりを抱えて、古いアパートメントに思いを馳せていた私は、いつものごとく迷子になった。一時間も歩き回ったすえ、やっと駅前の見なれた喫茶店に辿りつく。
家に帰って、ネットで銀月アパートメントを捜した。bibliomania、アトリエ箱庭、とらんぷ堂書店と散歩していった。今度は迷子にならなかった。

公演の鬱

2006-03-03 | Weblog
自分の作品の上演の日が近づくといつも落ちこむ。とても理不尽な鬱。嬉しくないわけでは、もちろんない。役者さんたちがこの日に向って稽古を積んできていることも、もちろん知っている。自分が関わっている劇団なら稽古に参加していろいろ口出しもしている。自分でお客さんも呼んでいる。もちろん、観てもらいたいからだ。でも、でも、だ。
自分が芝居に向いていないと思うのは、いつもこの時期だ。
好きなのは作品を書くことだ。書きながら、私は、私の頭のなかでその作品を上演している。そして、私ひとりが観客のその舞台は、書き上げた時点で、もう終わっているのだ。
明日、まさに幕が開こうとしている公演。それは、私だけのものではない。いろんな人の手が加わっている。いろんな人が協力して出来あがっていく。そして、それが芝居というものだ。そして私はそういうものを書いている。そういうものに関わっている。感謝もする。緊張もする。楽しくもある。でも、でも、だ。
理不尽にも、そうなってしまうと、私は私の作品が私から奪われてしまったと思うのだ。
公演の鬱は、もうはじまっている。