10年ほど前に、「詩のボクシング」という企画が盛り上がっていて、その全国決戦大会がテレビで放映されていたりしていた(今でも企画自体は続いていると思うのだけど)。
自分の書いた詩を自由な読み方で読んで、ボクシングのリングのような所でトーナメント方式で戦ってジャッジされて勝負が決まるというもので、最終決勝戦ではその場でいきなり題を与えられ即興で詩を作って読んでいた。
静かに届ける声、エネルギッシュな叫び、人目を引くパフォーマンス、老若男女がそれぞれの形で自作の詩を表現していて、観ていて面白かった。
でも、私自身はこんなおそろしいことは絶対に出来ないと思っていた。
人前で自分の書いたものを読むなんて、その上ジャッジされるなんて、そんな恐ろしいこと!
大きな劇団に作品を書かせてもらった時にも、読み合わせというものがあって、役者さんたちの前で読んでくれと言われたことがあった。私にはそんなことは出来なかったので、代わりに演出家に読んでもらっていた。
演技のプロの前で読むなんて、そんな恐ろしいこと!
なのに昨日、インプロ(即興)のお芝居を観て、怖いけどちょっとやってみたいなと思ってしまった。人って変わるもんだ。
アトリエ劇研で上演されたトランク企画の「窓」。
ストーリーは決まっていなくて、いきなりその場で観客に題をもらって芝居を作っていくというものだ。何がおこるかわからないわくわく感やハプニング性もあって面白い。
考えたらインプロって誰でもがしていることだ。人は普段相手の言葉が次にどう出てくるかなんてわからないところで生活しているのだ。
インプロの訓練は相手の言葉を聞く訓練にもなるし、表現力を身につける訓練にもなる。教育の現場でも最近盛んなようだ。
でも、わざわざお芝居にして観せるなら思いがけないものを観せてほしい。
昨日のインプロのお芝居は、面白かったけど観ているとちょっといらいらした。なんであんなわかりきった方向に行くんだろうとか、もうちょっと気の利いたセリフは出てこないのかとかいちいち思ったり。でも実際、自分が舞台に出てたら、舞い上がって何もしゃべれなくなってるにちがいないので、あまり偉そうなことは言いません。
普段木で鼻をくくったような返事しか返ってこない酒井君にしたら、昨日はよくやっていたと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・
私って子供のころから閉じこもりで損をしてきたなあとつくづく思ったのが一昨日。
昼間観たヤザキさんたちのワークショップの発表会では、子供たちは生き生きとダンスやお芝居に参加していた。
私が子供のころにしていたのは、一人遊びばかりだった。
一人で絵をかいて、詩を書いて、縄跳びをして、フラフープをして、かくれんぼをしていた。一人じゃない時もあったけど、誰と一緒で楽しかったということはなくて、ただ私はこんなことをして楽しんでいましたという記憶しかない。友達を必要としない子供だったのかも。これってなんだか孤独。
人になつかなかったので仲間外れにされていたのかもしれないけど、そういうこともあまり記憶にない。
ただ、今現在の私自身は、孤独もいいと、どこかで思っているところがある。
仲間と一緒に何かできる子が喜ばれるけど、一人で遊んでそれで満足している子も、それはそれでいいんじゃないかと思う。
人生は人それぞれ、それなりのやりかたで楽しく生きていけばいいのだ。
写真は一昨日の夜に行った中崎町のコモンカフェ。ラパン寄席で落語をする瓦屋一六八こと元りゃんめんの松本くん。
お芝居してた時よりも生き生きしていたように思いました。
自分の書いた詩を自由な読み方で読んで、ボクシングのリングのような所でトーナメント方式で戦ってジャッジされて勝負が決まるというもので、最終決勝戦ではその場でいきなり題を与えられ即興で詩を作って読んでいた。
静かに届ける声、エネルギッシュな叫び、人目を引くパフォーマンス、老若男女がそれぞれの形で自作の詩を表現していて、観ていて面白かった。
でも、私自身はこんなおそろしいことは絶対に出来ないと思っていた。
人前で自分の書いたものを読むなんて、その上ジャッジされるなんて、そんな恐ろしいこと!
大きな劇団に作品を書かせてもらった時にも、読み合わせというものがあって、役者さんたちの前で読んでくれと言われたことがあった。私にはそんなことは出来なかったので、代わりに演出家に読んでもらっていた。
演技のプロの前で読むなんて、そんな恐ろしいこと!
なのに昨日、インプロ(即興)のお芝居を観て、怖いけどちょっとやってみたいなと思ってしまった。人って変わるもんだ。
アトリエ劇研で上演されたトランク企画の「窓」。
ストーリーは決まっていなくて、いきなりその場で観客に題をもらって芝居を作っていくというものだ。何がおこるかわからないわくわく感やハプニング性もあって面白い。
考えたらインプロって誰でもがしていることだ。人は普段相手の言葉が次にどう出てくるかなんてわからないところで生活しているのだ。
インプロの訓練は相手の言葉を聞く訓練にもなるし、表現力を身につける訓練にもなる。教育の現場でも最近盛んなようだ。
でも、わざわざお芝居にして観せるなら思いがけないものを観せてほしい。
昨日のインプロのお芝居は、面白かったけど観ているとちょっといらいらした。なんであんなわかりきった方向に行くんだろうとか、もうちょっと気の利いたセリフは出てこないのかとかいちいち思ったり。でも実際、自分が舞台に出てたら、舞い上がって何もしゃべれなくなってるにちがいないので、あまり偉そうなことは言いません。
普段木で鼻をくくったような返事しか返ってこない酒井君にしたら、昨日はよくやっていたと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・
私って子供のころから閉じこもりで損をしてきたなあとつくづく思ったのが一昨日。
昼間観たヤザキさんたちのワークショップの発表会では、子供たちは生き生きとダンスやお芝居に参加していた。
私が子供のころにしていたのは、一人遊びばかりだった。
一人で絵をかいて、詩を書いて、縄跳びをして、フラフープをして、かくれんぼをしていた。一人じゃない時もあったけど、誰と一緒で楽しかったということはなくて、ただ私はこんなことをして楽しんでいましたという記憶しかない。友達を必要としない子供だったのかも。これってなんだか孤独。
人になつかなかったので仲間外れにされていたのかもしれないけど、そういうこともあまり記憶にない。
ただ、今現在の私自身は、孤独もいいと、どこかで思っているところがある。
仲間と一緒に何かできる子が喜ばれるけど、一人で遊んでそれで満足している子も、それはそれでいいんじゃないかと思う。
人生は人それぞれ、それなりのやりかたで楽しく生きていけばいいのだ。
写真は一昨日の夜に行った中崎町のコモンカフェ。ラパン寄席で落語をする瓦屋一六八こと元りゃんめんの松本くん。
お芝居してた時よりも生き生きしていたように思いました。