私の父が急逝しましたので、しばらくブログをお休みいたします。
※この記事にはコメントは投稿できないようにしてあります。
拍手コメントは通常通り、受け取れます。
お返事が書けそうにないので・・・ごめんなさい。
----------
お悔やみの言葉やご心配のコメント、メッセージ、メールをたくさんありがとうございました。
通夜、告別式も無事に終わりました。
あまりに突然だったので、いまだ全く実感がわきません。
なので、現在はいたって普通に元気です。
(ご心配いただいてる母も同様です)
私は一人っ子のため、実家で母についていながら、手続き等を進めています。
まだまだ、やる事が尽きません。
実家にはパソコンがないので、更新やお返事が遅れますが、今後ともよろしくお願いいたします。
(なお、パートには27日から復帰予定です)
このあと、父の死の経緯を書きますが、苦手な方や悲しい思い出がある方などは、飛ばしてくださいね。
父は大変穏やかで優しく、そして寡黙な人でした。
我慢強く、責任感も強く、几帳面で頑固で、そして弱みを口に出さない人でした。
ちょっと不器用だったので、交友関係などは広くはなかったのですが・・・。
今年の9月末に、三浦海岸の近くへ法事で一緒に出かけたときは、いつもと変わらずとても元気でした。
母によると10月後半あたりから、便秘を訴え始めたそうです。
足がちょっと弱っていたので、あまり出歩かなかったり、野菜嫌いだった事もあり、よく母に「もっと食べて、もっと歩きなさいよ~」と言われていました。
ところが11月に(1日が母の誕生日だったので)電話したら、まだ便秘が続いていて、ちっとも出ないとのこと。
下剤を処方してもらって、やっと少し出るくらいだったそうです。
そのせいでお腹が張り、もともと少食だった父がさらに食べなくなり、どんどん痩せていったそうです。
私も心配し、便秘に効くお茶を送ったりしました。
(でも、たいした事はないと思ってしまっていました)
かかりつけの近所の「O病院」でエコー(?)で検査したところ、どうやら腸の下の方に、何かポリープよりも少し大きな腫瘍があるとの結果が出ました。
大きな病院でさらに検査してもらうように、市立病院の検査入院予約を12月11日に取りました。
これは、私が送っていく予定でした。
しかし、相変わらずどんどん痩せて衰弱していき、あんまり歩けなくなってしまいました。
その様子を聞いたO病院の先生が、急いだ方が良いと言い、早急に入院できるように市立病院の先生宛に紹介状を書いてくださいました。
19日朝、母が紹介状を持って私立病院に行き、入院できるか聞きに行ったところ、担当の先生が不在とのことで、帰されてしまいました。
家に戻ると、痛いとかあまり言わない父が、とても腰が痛いと言っていたそうです。
そして、あまりに痛いので寝ると言って布団に寝たそうです。
夜7時、ご飯が食べれるか聞いたところ、首を振ったそうで、そのまま寝かせたそうです。
その時、私は映画の試写会を見ていました。
見終わって、自宅の最寄の駅に着いたところ(夜9時頃)、母から電話がありました。
・・・(父の)様子がおかしい。意識がない。
すぐに救急車を呼ぶよう言い、私も一度家に戻った後にすぐ向かいました。
救急車はすぐに到着、父の様子を見た救急の人が、心臓マッサージなど蘇生措置を始めたそうです。
(本当はこの時、もう心臓が止まっていたそうです)
そして、母が市立病院への紹介状と診察券を見せたところ、そこへ運んでくれました。
私が着いた時は、人工呼吸器がついていました。
心臓はやはり止まったままでした・・・。
当直の先生から、救急車が着いた時は、すでに心臓が止まって1時間くらい経っていたことを聞きました。
呼吸器を外すと、それが死亡確認時間になるとのことで、私に判断が委ねられました。
夜遅かったので、父の兄弟に電話したけれど、(仕事で)不在だったり、もう寝ていたり・・・。
悩んだ末、1時間後にとーちゃんが来た時に呼吸器を外しました。
11月20日午前1時48分、72歳でした。
その後、当直の先生がCTの画像を見せてくれながら、詳しい死因を説明してくれました。
ポリープより少し大きめだった腫瘍。
衰弱具合や大きさから見て、おそらく「癌」と見て間違いないそうです。
(解剖すれば、はっきりわかるそうですが、亡くなった父が戻るわけでもなく、死んだ後に切られるのは可哀相なので、解剖はお断りしました)
そしてその癌が破裂し、腸に穴を開けたそうです。
それが、腰の激痛の原因でした。
その破れた腸から、毒素や菌などが身体中にまわり、心臓が止まったそうです(敗血症)。
それを聞いた母は「もっと早く救急車呼べば・・・」と口に出しましたが、破裂した時点で緊急手術しても、助かったかどうかわからないそうです。
癌の可能性が高かったこと、衰弱具合も激しかったことなどで、いつ病院にかかれば助かったとは一概に言えないので、「もう少し早く・・・」と考えすぎて悔やまないでくださいと言われました。
父が痛かったり苦しかったのは、その腸が破れた時間から数時間と短かったようです。
父の顔は痩せてはいたけれど、寝ているように、とても静かで穏やかでした。