少し日が経ってしまいましたが、
皆さんは12月8日と聞いて何の日?と思いますか。
そう、いわゆる一般的に太平洋戦争と呼ばれる戦争が開戦した日です。
あれからもう70年も経つんですね。
今、ちょうどこの時期に偶然、ゴーマニズム宣言で有名な小林よしのりと
田原総一郎があの戦争について対談してる「戦争論争戦」を読んでいます。
その中で先の大戦で亡くなった兵士の方についての扱いで考えさせられました。
今も時々考えてしまうんですが。。。
小林よしのりは「英雄」「英霊」といいます。
一方、田原総一郎は「被害者」といいます。
今の日本の大半の人たち(とくに戦後に生まれた方)は後者ととらえるのではないでしょうか?
私はというと、前者の小林さんと同じく「英霊」と考えていました。
元々、太平洋戦争に高校時代から興味を持ち出し、いろんな戦争の体験書物を読みました。
あの当時の、日本の兵士の方は食べるものはおろか戦う武器まで不足する中、
精神力で戦わされていました。
特に戦争末期に至っては、自らの命を武器に敵艦体当たりする攻撃も常道する事が起こっています。
確かに、そういった状況を被ったという点では「被害者」だと思います。
ですが、その一方でそんな状況の中でも心の中では文句も言いたかったし、逃げたかったであろう、
兵士の方は数多くいたと思います。それでも公には国の為にと思い戦い無念にも亡くなった彼らを、
とても偉大だと思います。いまの現代人に果たしてそんなことが出来るとはとても思いません。
そういう点を考えれば確かに「英霊」と思います。
ここで勘違いしてはいけないのは戦争賛美で「英霊」といってるのではないという事です。
たとえるならカップルでハイキングしていたときに熊に襲われたとします。
そのとき、彼氏が彼女を守るため、命を張って熊と戦い彼女を無事逃がすことが出来ました。
その代わりに彼氏は亡くなったとします。
これを聞いて、彼氏を「英霊」ととるか熊に襲われた「被害者」ととるかどちらをとるでしょう。
たぶん、大方の方が「英霊」と考えるはず。
うまくはいえないのですが、それと同じことなのかなって最近思うようになりました。
つまり、「被害者」と捉える方は、熊(戦争)というものに偶然出会った(戦争に巻き込まれた)為、
被害にあったと考えるのかなと。
逆に「英霊」と考える人は、自分の命と引き換えに彼女(国または家族を守るために)を助けたという偉大な行動に
着眼点を持ってるんだと自分で考えるようになりました。
どちらの捉え方が正しいとは言えません。
ただ、戦後のGHQの洗脳教育からは早く脱却するべきだと思います。
あの当時、日本がアジアへの侵略戦争をしたという前にその以前にアメリカ、イギリス、オランダといったいわゆる戦勝国が
すでにそのアジアを侵略して利益を搾取してたことに対して日本の教育はほとんどされていません。
あの当時は帝国主義自体が悪いという思想はなかったのです。
日本はもっと賠償しろ謝罪しろと中国や朝鮮はいいますがあれも政治的に利用してるだけ。
そもそも、今の政治家がそいういった背景を勉強していないのが悪い。
日本はもう十分すぎるほど賠償と謝罪をしたと思います。
それなのに、未だに首相や天皇が靖国を公式に参拝できないなんていうのは本当に情けない話です。
なんか、話がどんどん妙な政治色の濃い方向に向かってしまいましたが。。。^^;
いいかげん、あの当時の日本は愚かだったとかいうようなことを国民に教育するのはやめてほしいです。
愛国心や日の丸、君が代に反対する教師が私には理解できません。
時々、思うんですよね。。。
あの戦争以前の日本はちょうどアメリカの先住民のインディアンのごとく駆逐され、
戦後の日本人はアメリカ人の都合のいい人種に変えられたのかなと。
話がだんだんまとまらなくなってきましたが^^;
言いたいことは、先の戦争で亡くなった方を被害者という見方だけでとらわれず、
今の豊かな日本を作る礎となった立派な方々であったという認識も持ってほしいということです。
皆さんは12月8日と聞いて何の日?と思いますか。
そう、いわゆる一般的に太平洋戦争と呼ばれる戦争が開戦した日です。
あれからもう70年も経つんですね。
今、ちょうどこの時期に偶然、ゴーマニズム宣言で有名な小林よしのりと
田原総一郎があの戦争について対談してる「戦争論争戦」を読んでいます。
その中で先の大戦で亡くなった兵士の方についての扱いで考えさせられました。
今も時々考えてしまうんですが。。。
小林よしのりは「英雄」「英霊」といいます。
一方、田原総一郎は「被害者」といいます。
今の日本の大半の人たち(とくに戦後に生まれた方)は後者ととらえるのではないでしょうか?
私はというと、前者の小林さんと同じく「英霊」と考えていました。
元々、太平洋戦争に高校時代から興味を持ち出し、いろんな戦争の体験書物を読みました。
あの当時の、日本の兵士の方は食べるものはおろか戦う武器まで不足する中、
精神力で戦わされていました。
特に戦争末期に至っては、自らの命を武器に敵艦体当たりする攻撃も常道する事が起こっています。
確かに、そういった状況を被ったという点では「被害者」だと思います。
ですが、その一方でそんな状況の中でも心の中では文句も言いたかったし、逃げたかったであろう、
兵士の方は数多くいたと思います。それでも公には国の為にと思い戦い無念にも亡くなった彼らを、
とても偉大だと思います。いまの現代人に果たしてそんなことが出来るとはとても思いません。
そういう点を考えれば確かに「英霊」と思います。
ここで勘違いしてはいけないのは戦争賛美で「英霊」といってるのではないという事です。
たとえるならカップルでハイキングしていたときに熊に襲われたとします。
そのとき、彼氏が彼女を守るため、命を張って熊と戦い彼女を無事逃がすことが出来ました。
その代わりに彼氏は亡くなったとします。
これを聞いて、彼氏を「英霊」ととるか熊に襲われた「被害者」ととるかどちらをとるでしょう。
たぶん、大方の方が「英霊」と考えるはず。
うまくはいえないのですが、それと同じことなのかなって最近思うようになりました。
つまり、「被害者」と捉える方は、熊(戦争)というものに偶然出会った(戦争に巻き込まれた)為、
被害にあったと考えるのかなと。
逆に「英霊」と考える人は、自分の命と引き換えに彼女(国または家族を守るために)を助けたという偉大な行動に
着眼点を持ってるんだと自分で考えるようになりました。
どちらの捉え方が正しいとは言えません。
ただ、戦後のGHQの洗脳教育からは早く脱却するべきだと思います。
あの当時、日本がアジアへの侵略戦争をしたという前にその以前にアメリカ、イギリス、オランダといったいわゆる戦勝国が
すでにそのアジアを侵略して利益を搾取してたことに対して日本の教育はほとんどされていません。
あの当時は帝国主義自体が悪いという思想はなかったのです。
日本はもっと賠償しろ謝罪しろと中国や朝鮮はいいますがあれも政治的に利用してるだけ。
そもそも、今の政治家がそいういった背景を勉強していないのが悪い。
日本はもう十分すぎるほど賠償と謝罪をしたと思います。
それなのに、未だに首相や天皇が靖国を公式に参拝できないなんていうのは本当に情けない話です。
なんか、話がどんどん妙な政治色の濃い方向に向かってしまいましたが。。。^^;
いいかげん、あの当時の日本は愚かだったとかいうようなことを国民に教育するのはやめてほしいです。
愛国心や日の丸、君が代に反対する教師が私には理解できません。
時々、思うんですよね。。。
あの戦争以前の日本はちょうどアメリカの先住民のインディアンのごとく駆逐され、
戦後の日本人はアメリカ人の都合のいい人種に変えられたのかなと。
話がだんだんまとまらなくなってきましたが^^;
言いたいことは、先の戦争で亡くなった方を被害者という見方だけでとらわれず、
今の豊かな日本を作る礎となった立派な方々であったという認識も持ってほしいということです。