お松のルーテル日記

キリスト教会(プロテスタント)での学びや聖歌隊での活動、
趣味の小説執筆や読書、サイクリングなどに関する日記

不思議は気付き

2012年09月15日 | スピリチュアル
この前の聖書勉強会で内藤先生がおっしゃった事柄についてこのところ考えている。
それは「奇蹟」について。

イエス様のおこなった数々の奇蹟。
先生曰く、牧師でも事実と認識していない人々がいるらしい(少々意外)
先生は奇蹟を否定することに否定的なスタンスをとってらっしゃる
僕も同じで、かなりのパーセンテージで信じている

僕自身も幼少から不思議な体験をしてきたというのが大きいかもしれない。
もちろんイエス様のほどの奇蹟なんて無くて、かなり小規模にだけど
でもいくら小規模でもあったことは確かなので否定的になるのは無理なのだ。

だからといって、そういった現象・・奇蹟的な力そのものに価値を求めるのは違うと思う
そういった事象を自身の「喜びの記憶」としてあたためるのはOK
だけどそれを他人に開示したり、それ自体に価値を見出すのはNG
何故ならそれをやっちゃうと「オ○ム」になっちゃうからだ(←名前書くのさえ汚らわしい!)

霊を「見える」「見えない」で区別するということは、イコール「選民思想」であり、
「選民思想」は「差別」を生み出し、「差別」とはこれすなわちナチスだ。
ヒトラーが過度のオカルト好きだったのは決して偶然ではない!


僕はそういった現象を「道路標識」のようなものと捉えている
「気付き」を与えてくれて、自分の努力に陰ながら応援をしてくれるあたたかなモノ
それくらいの認識だ。

僕も人間だから、時にはその「気付き」に逆らってしまうこともある
そうすると決まって「ヒドい目」にあうのだ
そうと分かっていてもまたやってしまうのだけど
こんな出来の悪いやつにいつもありがとう聖霊たちよ
アーメン