晩夏から初秋へ。
めっきりと涼しくなってきた。
こんな日は、チャリもよかろう。
何処に行くのかって?
フッ
答えは風の中さ。
あ。いや。失礼。
言ってみたかっただけである。
進める。
高良川沿いを行く。
そう言えばこの先は、数万株の彼岸花が植栽されている筈だが・・・
見頃は、もう少し先のようだ。
彼岸頃には、赤やピンク、白に黄色と、色とりどりの花を咲かせる事だろう。
筑後川河川敷に出た。
このコースは、この前走ったばっかりだもんな。
よし、川を渡って、対岸の北野まで行ってみるか。
北野には、前から訪れたかった、古い神社がある。
高良天満宮
天満宮と名を変えてはいるが、この地こそ、高良山に移る前にあった、原高良社であるとの説もある。
私は、案外と信憑性は高いと思っている。
高良山麓には高樹神社がある。
元々この山の主であった高樹神社の祭神高御産巣日神が、よそから来た高良の神に山を乗っ取られて、しぶしぶ麓に移り住んだとの伝承が、今も残っている。
案外と、高良族は筑後川の対岸から、宗教的権威である高良山を、虎視眈々と狙っていたのかもしれない。
よって、高良山と言う名は、高良族によって名を代えられた後の山の名という事になる。
北野から高良山を望む。
北野の古代人も、この風景を見ていたのは間違いない。
更に行く。
赤司八幡宮である。
この社は、嘗ては豊姫神社であったと由緒書には記されている。
豊姫とは言わずと知れた、魏志倭人伝に見える台与(とよ)である、
と、思っている。
果して、簒奪者である高良族とは何者か。
そして、台与との関係は・・・
その後は、北野天満宮へ向かった。
西鉄甘木線の大城駅。
何やら、乗り方がややこしいらしい。
田舎道を走る。
走る。
着いた。
北野天満宮だ。
太宰府天満宮から分祀し創建された社だ。
狛犬の代わりに鳩とは珍しかろう。
どんな謂れで、こうなったのか。
天満宮の裏の土手沿いは、コスモス街道と呼ばれている。
秋には、色とりどりのコスモスが風に揺らぐ、3~4kmの街道である。
流石にまだ早いだろうと思いきや、
慌て者はどこにもいるものだ。
ケイトウ
んじゃ、ぼちぼち帰ろうかな。
あ!
今気づいた。
股間、全然痛くない。
イエーイ
追記
先程、北野で生まれ育った友人から、指摘を受けた。
拝殿前に置かれた、私が鳩と書いた木像は、鷽(ウソ)という鳥なんだそうな。
友人によると、北野天満宮では、毎年1月7日には、『鷽替え』と言う神事が執り行われているのだそうだ。
「鷽」を「嘘」になぞらえ、旧年の邪気を追い払うというもので、
輪になって「替えましょ、替えましょ。」と唱えながら、鷽の木像を取り換えている、
との事である。