諸行無常の響きあり

フィリピンの小さな焼き鳥居酒屋の親父のつぶやき

その時どうする・・・・。

2011年10月25日 10時06分58秒 | つぶやき
海外在住者、日比関連の夫婦しか私は知らないが、大概の方は伴侶がフィリピン人女性が多いだろう。
しかも女性がかなりの年下というパターンも多いのではなかろうか・・・・。

人間誰しも人生に終わりを告げる時がくるのは、不老長寿の薬でも飲まない限り自然の道理である。
年の順から行けば自分自身が妻より先に、この世から去ることの方が確立が高いだろう。

しかしごく稀に妻に先立たれる場合もある。その場合は外国であるこの地で一人で暮らしていくということになるが、
現在日本語を流暢に話す妻がいるからこそ、生活が成り立っているいることを忘れきっている人も多いだろう。

昨日のことであるが、P市にある日本グロッサリー店に仕入れに行った際のことである。
かなり年配の日本人男性と20歳以上は年下かと思われるフィリピン女性の夫婦が買い物をしている姿を見かけた。

高齢である男性は店内のベンチに座ったきり、妻に人目が悪いほどの大声で

『バカヤロ、何を余計な物を買っている』
『さっさと買い物をしろ、そんな物はいらない』

などと店内中聞こえるような声で怒鳴り散らしている。

日本語が解る妻だからこそ、そのような態度に出るのだろうが、日本人客の多い店内では何を言っているのか
周りは理解が出来るし、夫婦連れで来ている人や、同じく日本人男性の妻であればその状況を理解できる。

言葉もろくすっぽ話せない高齢の日本人、現在妻がいるからこそ成り立っているフィリピン暮らし、
妻が亡くならないまでも妻が何処かに立ち去ってしまい、一人取り残されても状況は同じである。

事実そういう方の生活も見ているが、ことフィリピン暮らしに置いてのフィリピン人妻の存在は日本人男性にとっては
大きなものとなっている。一緒にいるのが当前だと思っていた矢先に妻が突然いなくなったら途方に暮れざるを得ないだろう。

それは現地の人とのコミュニケーションを支障なく出来る人間にとっても、所詮は外人という他国籍の人間にとっての現実が
妻がいなくなったと同時に降りかかってくる現実、まあ一生使い切れない程の財産があっても人生の上での苦労が
始まるのではないかという気がしてならない。

いずれにしても『ア・ウェイ』の地フィリピンでの暮らし、残された老人にとっては生易しいことではないのは確かだろう・・・・。