カウンセリング・メンタルトレーニング鶴添コミュニケーションの外部ブログ

半世紀以生きてきて、指導歴30年以上のカウンセラー・メンタルトレーナーが365日24時間対応します。

どこまで食べますか?

2020-08-14 21:34:43 | 日記
私のスイカの食べ方は妻から見ると不思議なことだらけのようです。①塩をかけて食べる…妻が育った地方では砂糖をかけるそうです。②タネごと食べる……面倒くさいからですが。昔は盲腸になるとか言われていましたが、盲腸は取ったので(笑)③白いところまで食べる……これは誰からも不思議がられます。ウサギを飼っているのですが、お裾分けできません(笑)貧乏性ですかね。

連載「私の恋文」第3回。

2020-08-14 15:07:05 | 日記
高校でもフォークソング同好会に入り,音楽中心の生活は続きました。



ヤマハのポピュラーソングコンテスト(ポプコン)やCBSソニーオーディションに応募もしました。

もちろん予選落ちですが。



志望校は東京芸術大学、なんていうとアホかと言われそうですが、本気で考えていました。

すぐに学力的にも才能的にも無理だとわかりましが。



それでも音楽大学を目指し厳しいレッスンは続きました。



そして高校2年生の時、志望校を決定するために、ピアノの先生のもとへと母と向かいました。

先生はピアノの能力は、例えば国立(クニタチ)音楽大学や武蔵野音楽大学などにも

行けそうだという話をしてくれました。



すると母は東京で生活させるだけの余裕はないと消極的な返事をしました。

さらに追い打ちをかけるように、先生は「声楽や楽典も勉強しなくてはいけません」と言いました。

そのためにはレッスン料が倍になることも。



母は「やっぱり貧乏人には無理よ。音楽は趣味にしなさい」と言って、さっさと帰ろうとしました。

私は「バイトをしてがんばるから」と言いましたが、聞く耳を持たず、私も仕方なく帰ることにしました。



その日から1週間部屋に閉じこもりました。

高校に行っても、帰りは友達のバイクの後ろに乗って夜遅くまで走ったり、

友人の家の納屋でバンド活動をしたりして現実を忘れようとしました。



俺から音楽を取ったら何が残るんだ!



そんなことを考えているとき、友人を探しに図書館に行ったときのこと。

入学以来片思いしていた美香ちゃんが図書委員の作業をしていました。

私が片思いをしていることを彼女は知っていましたが、友人としていつも

優しく接してくれました。



そんなこんなで、私の図書館通いが始まりました。

もちろん目当ては美香ちゃん。

しかし、美香ちゃんをじっと見ているわけにもいかず、

ふと手にしたのが太宰治の『人間失格』。

読書の習慣の無かった私は3日かけて読みました。

それから太宰の作品を次々と読んでいき、自分と太宰を重ねて考えるようになりました。



そうして私は厭世観を持つようになりました。

自分も40歳までは生きないだろうなとなんとなく思いました。



それから次第に三島由紀夫にも興味を持ち、大学に入ったら学生運動(右翼活動)をしようなどと

考えるようになりました。



そして、高校3年生の志望校決定時には自然と文学部志望になりました。

その後私は国語の教師になるわけですが、きっかけはそんな他愛もないことなのです。



本気で文学部に行こうと決めたのは高校3年生の2学期。

当然間に合うはずもなく、後に職場にもなる予備校で1年間浪人し、費用があまりかからない地元の公立に入学しました。



「恋文」の本題はこれから始まります。





~第3回おわり~



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連載「私の恋文」第2回

2020-08-12 22:55:31 | 日記
中学生になると、当時はフォークソング時代で、友人に誘われて、フォークソングに

はまりました。



しかし、目標は「ピアノ」で食べていくこと。

厳しいレッスンを受け続けました。



当時は「3年B組金八先生」のシーズン1が放映されていた時代で、

私の通った中学校はドラマと同じ状態の「荒れた学校」でした。



私はピアノが弾けるだけではなく、成績もまあまあで真面目だったので

クラス委員に選ばれることが多かったです。



そういう生徒はいじめの対象となりやすく、ひどい暴力も受けました。



しかし、ある日を境に私の人生は逆転しました。



ある日、また暴力を受けて血だらけの私を見た女子生徒達が、

「鶴添くん、先生に言わないとずっとやられるよ」と言って私を職員室へ

連れて行ってくだました。



すると先生は、「君はクラス委員だから、クラスのことは君に任せる。私は忙しいんだ」と。



私は耳を疑いました。後でわかったことですが、その先生は昇任試験を受けるために

勉強していたということでした。



その先生の言葉で、私は真面目に生きていくことが馬鹿らしくなり、不良グループの仲間に入り、

校舎のガラスを割ったり、先生の車を壊したり、ドラマののように道を転げ落ちていきました。

ただ、その頃に「なぜ先生はあんなことを言ったのだろう。俺も教師になって確かめたい」と思うようになっていました。



「音楽の先生になりたい」。そう決めた私は前にも増してレッスンに励みました。

高校も音楽系の高校を探し、音楽の勉強を本格的に始めようと思いました。

しかし、男子が通える音楽系の高校は一つしかなく私立で学費も高額。

貧しい我が家にそんな余裕はなく、両親や兄弟の「高校は普通科に行って大学は音楽大学に行けばいい」

という言葉の通り普通科の高校を受験することにしました。



不良になる前の志望校(進学校)とはほど遠い普通の高校を受験し、たいした勉強をしていなくても合格しました。

それでも高校は荒れた学校ではなく、普通の高校生活を送るつもりでした。



~第2回おわり~



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連載「私の恋文」

2020-08-08 14:41:30 | 日記
◇◆はじめに◇◆



これから私が書くお話は実話です。

ただ、

原作:連城三紀彦

主演:渡部篤郎、和久井映見

「恋文」

というドラマと内容が酷似しています。



しかし、実話なのです。

興味のある方はお読みください。



◆◇ピアノとの出逢い◆◇



私の大学生時代はほとんどがサークル活動の日々でした。

「ピアノ研究会」



私は生まれつき目が悪く、母親が、「目がダメでも耳は大丈夫」ということで、

貧しい生活をしているにもかかわらず、7歳のころからピアノを習わせてくれました。



最初は、父が大型ゴミで拾ってきた足踏みオルガンで練習していました。

ところが周りの予想を遙かに超えて、私は日々上達してゆき、

半年後にはバイエルを修了。先生から「そろそろピアノにしませんか?

この子の才能は私が保証します」と言われるほどでした。



しかし、炭鉱社宅の長屋に住んでいる我が家にピアノなんて

高価な物を購入する余裕はありません。



私はそれを知った時、初めて我が家が貧しいんだということを知りました。



ピアノの先生は無償でレッスン日を増やしてくださり、厳しくも愛情あふれる

指導をしてくださいました。



そして、1年が経ったある日、学校から帰宅すると居間に、周りと不釣り合いな

黒く輝くアップライトのピアノが届いていました。



私には腹違いで14歳離れた兄がいるのですが、その兄がローンを組んで、購入してくれたのでした。

最初に鍵盤に触れたときの感動は未だに忘れられません。、



それから私はピアノ三昧の生活が送れると思っていたのですが、

我が家にはもう一つ問題がありました。



父が三交代の仕事をしていたので、昼間にピアノを弾けない日が多かったのです。

おまけにその父は酒乱。毎日のように母に手をあげていました。



そんな家庭で私は許された時間はピアノに熱中することで現実を一瞬でも

忘れることができました。



学校では病弱でひ弱な私はいじめの対象になり、ピアノが上手いと評判になると、

「男のくせに、ピアノを弾いとう~」と冷やかされていました。



私が不登校にも引きこもりにもならなかったのは「ピアノが他人より上手い」という

自負があったからでしょう。



今の時代では考えられない状況でした。



~第1回おわり~



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作り笑顔の重要性。

2020-08-02 16:57:03 | 日記
私は15年前うつ病になってから3年前までずっと「うつ顔」でした。



「うつ顔」とは表情がなく目も死んだ魚のようなものです。



それではいけないと思い、毎朝鏡に向かって「笑顔」を作るようにしました。

何年も続けました。すると口角が上がってきました。

そして次第に気分も上がってきたのです。



しかし、時すでに遅し。私の評価は最低になっており、3年前に退職勧告を受けました。



ところがその時は心理学を徹底的に勉強し、カウンセラー・メンタルとレナーの資格を75種類以上

取得していました。



そして起業し、今があるのです。



私は昨年「鴨頭嘉人」という講演家と出会いました。



あえて「先生」はつけません。盲目的に信仰しているわけではないし、みなさんに

彼のすばらしさを押しつけるつもりはありませんから。



ただ、今まで触れてきた自己啓発とは一線を画します。



動画の後半に「倫理法人会」への勧誘がありますが無視して下さい。

私も入会していません。



右下の設定マークを左クリックすると再生速度を速められます。

この動画があなたの気づきのきっかけになれば幸いです。



https://www.youtube.com/watch?v=Ze-yqSgJac4



これからは彼の動画をアップすることが度々あると思います。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



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