カウンセリング・メンタルトレーニング鶴添コミュニケーションの外部ブログ

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2020-09-17 22:33:43 | 日記
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鶴添和彦 / 自身の過去の経験を生かし、心理学に基づいた悩み相談のプロ - [マイベストプロ福岡]

自身の過去の経験を生かし、心理学に基づいた悩み相談のプロ、鶴添和彦(カウンセリング・メンタルトレーニング 鶴添コミュニケーション)のご紹介。...

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連載「私の恋文」最終回。

2020-09-05 21:18:39 | 日記
以前妻が指摘したように、私は歌織ちゃんと再会する直前まで、

過労とストレスで休日は寝たきりの生活でした。

内科医に相談しましたが、

「疲れているときはそんなもんですよ」

で済まされました。



すでにうつ病の兆候があったのに見逃されたのです。



当時はまだ「心の病」が社会問題化されていない時代でしたので、

仕方ないと思います。

現在は内科でも「うつ病」のチョックをするようになっているようです。



そんなボロボロだった私は、歌織ちゃんと再開したことによって、

テンションが異常に上がり、さらに無理をしたのです。



歌織ちゃんが雲の上に去った後、すぐ寝たきりになりました。

出勤も不可能になりました。

当時の私はまだ予備校から必要とされていたため、

3ヶ月の休職が認められました。



しかし、それでも以前のような勢いはなく、年々受験生からの指示、

職場での評価は下がっていきました。



さらに、心療内科の最初の主治医が、私の行動から、

「双曲性障害」、いわゆる躁鬱病と診断し、テンションが上がらない

薬を処方していたのです。



それに気づいたときには職場の評価は下がりに下がって、

どうしようもない状態になったので、思い切って主治医を替えて、

療養型の病棟に入院しました。



そこでの合宿のような生活のおかげで、症状は少しずつ改善し、

心理学とも出逢い、自分が相性の合うカウンセラーと出会えなかったことから、

カウンセリングの勉強も始めました。



皮肉なことに職場ではほされていて、カウンセラーの資格をいくつも取る

時間がたっぷりありました。「ココナラ」で実践も始めました。



そして、まるで計画したように、出勤途中に転んで大けがをしたことが

きっかけで予備校から退職勧告を受けました。



生活の基盤が崩れたのに、不思議と焦りはありませんでした。

すでにカウンセラー開業の準備を進めていたので、3年前に

カウンセラー生活を始めました。





経済的には収入が半減(いや3分の1かな)し、生活は楽ではありませんが、

毎日早起きして散歩して、シャワーを浴びてメールを確認し、朝からカウンセリングを

する日もあれば、夜中にする日もありました。

結構収入を得ることは出来たのですが、広告費がかさみ、純益が増えなかったので

広告をやめました。

さらに後払い制にしていたので不払い事案が多くありました。



すると新規のクライアントさんが減って収入も減りました。

しかし、ありがたいことにリピーターの方がいらっしゃって、

ある程度の収入は保っています。



収入を補うために大学病院で3日に1日のペースでアルバイトをしています。



気がつくと今では、孫も生まれ、毎日妻ともコミュケーションがとれ、

平和な日々を過ごしています。



特筆しておきたいのは、私が病んでから、毎日メールや電話をくれたり、

定期的にドライブや食事に付き合ってくれた大学時代の

友人の存在です。

前にも書いた、歌織ちゃんの親友です。

心理学を学ぶきっかけをくれたのも彼女です。

もちろんお互い恋愛感情はありませんでした。

ただ、妻に申し訳ないので、自分から距離を置きました。

しかし、彼女には心から感謝しています。





第1回で書いたとおり、連城三紀彦氏の「恋文~ラブレター」と酷似した

体験ですが、一度整理をしたくてこの度ブログに連載することにしました。



稚拙な文章を読んで下さりありがとうございました。





~完~





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連載「私の恋文」第9回。

2020-09-02 23:32:35 | 日記
歌織ちゃんの容態は日に日に悪くなっていきました。

輝いていた瞳もうつろな感じになていきました。



施設の担当者の話によると、この1週間が山場だということでした。

話は前後しますが、歌織ちゃんは大学卒業後、自分の育った施設の職員になりました。

入院してからは施設の人が身元保証人となりいろいろな世話をしてくれていました。



私は歌織ちゃんの食べたいもの観たいものを何でも準備してきましたが、

歌織ちゃんは何も話さなくなってしまいました。



私は可能な限りそばにいました。



そして、ちょうど今頃の季節で、蝉時雨の賑わしいころ、携帯に着信があり、

職場で私は歌織ちゃんの死を知りました。



残念ながら通夜には参加できず、葬儀の場で、薄化粧をした歌織ちゃんの顔を

見ました。

幸い苦しまずに安らかに息を引き取ったということで、寝ているような表情でした。

葬儀はしめやかに行われ、遺骨は施設を運営するお寺に納められました。



自分でも不思議なくらい涙が流れませんでした。



葬儀の帰りに施設の人から一通の手紙を受け取りました。

歌織ちゃんの筆跡でした。



「鶴添君。これを読んでいるということは私はもうこの世にいないんだね。

本当にいろいろありがとうございました。

お礼の意味を込めて正直に言うね。

大学時代、鶴添君のことが好きでした。

そう、これはラブレター。

でも、あなたは学校の先生になって素敵な女性と結婚して、

健康な子供を授かって幸せな人生を送るべき人だと思いました。

私と付き合うと鶴添君は優しいから私のために生きようとしたでしょう。

それが耐えられませんでした。

私は物質的にも精神的にもたくさんのものをもらいました。

この写真はお礼になるかな…。

でも奥さんには見せないでね。

もちろん部屋に飾ったりしないこと!(やりそうで心配)

最後に…。私と出会ってくれてありがとう。

再会してくれてありがとう。

これからは家族のためにピアノを弾いてね。

私は空の上でいつも聴いています。

さよなら。(オフコースの曲みたい)」



涙が止めどなく流れました。

手紙と写真が濡れないようにするのが精一杯でした。

私が結婚していて子供もいることを知っていたのです。

写真にはウエディングドレス姿の歌織ちゃんの隣に

タキシード姿の私が写っていました。

合成写真を合成されてしまいました。



家に帰ると妻の第一声は、

「写真はまたあなたのお友達に頼んだんだからね。お礼言っといて。

どっか好きなところに張ったら?」。



そう、合成の合成は妻の仕業でした。

歌織ちゃんには内緒で大学時代の友人に頼んだらしいのです。



でも写真は張らずに、大学時代のアルバムに付け足しました。



これからは家族のために生きよう。家族のためにピアノを弾こうと

決めました。



しかし、その時にはすでに私の心は崩壊していたのでした。



~第9回終わり~





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