先日ランチで行ったお店の帰り、歩道脇の石垣の上にコレ↓が見えた。
あれ、これはいったい何だろうかと見回すと、神社の境内にあるものらしい。
気になったので少し戻ると階段の上に鳥居が見えたので入ってみる。
大宮神社、なるほど。
手水舎の手水鉢は文政2年(1819年)。
狛犬は近代だが、本殿は江戸時代初期、本殿流造で神紋は三つ巴。
灯篭は文化11年(1814年)だった。
神楽殿
ここ、大宮神社の神楽は船橋の市指定文化財(無形民族)だとある。
本殿に至る階段の手前左側にも鳥居、そして塚。
おぉ、これは大きい!そして美しい!!
、
フェンスがめぐらしてあるので登る事は出来ない。
ここ数年のうちにめぐらせたと思われるフェンスが無ければ、
もっと近づいて観察できるのに、まことに残念。
神社境内側にある裏側に回ってみた。
ワクワクしてくるがこれより左は崖側なので回り込めないのが残念。
戻ってフェンス越しに横から見てみる。
色々盛り込んであるのに、近寄れないのが惜しい。
この塚には登れるように道がついている。
そういえば手前の石碑。
北口登山…。
そうか。
おそらく「不二」というのは「富士」なのだろう。
そういえばこの塚は火山の溶岩のようなもので出来ている。
北口とは吉田口。
ならば一つ上の写真中央は烏帽子岩、右は小御岳神社か。
ここを登ると富士山に登ったのと同じことになるという。
ってことは、大宮神社はパワースポット?
飯山満富士、やるな。
なんてことを思いつつ、観察をつづけていると、
画像左側には、よく見ると人の像がある穴がある。
ん?2体か?何体入ってるんだろう?と角度を変えてみた。
リアルな人物像は2体確認。奥は見えない。
このヒトガタは何者なのだろう…と、すぐに謎はとけた。
この3人の像らしい。
その下に大きな石碑。御山改築なんたらかんたら。
アップ画像が見当たらないのは、
撮影時は意味もわからず撮ってたということの証左。
うーん、残念。
正面から見て右下にも穴がある。
富士の裾野の人穴…なるほど、長谷川角行の富士講か。
ならば先ほどの像の穴の横にも穴のようなものがあったのは
食行身禄(じきぎょうみろく)やもしれない。
うーん、興味深い。
その横にも石碑が…
下のを見ると、富士浅間神社改築費の寄付一覧だった。
少し見づらいが、寄付の上位3名は上の人物と同じ名前。
この3名はあちこちでみることが出来るので有力者だろう。
昭和三年 戊(つちのえ) 辰(たつ)のもの。
この塚には実に色んな石がある。
首杖(しゅじょう)?首杖流?これは不明。
寳永山(ほうえいざん)とは富士山の南東にある側火山。
とすれば、この石は塚の南東にある。
富士に牡丹(ぼたん)の花を添えたという意味であろうか?
不動澤(ふどうさわ)は富士山南麓。
鬼?澤
役行者(えんのぎょうじゃ)像の脇にあるのか?
登って確認できないことがもどかしい。
富士講と修験道とは関わりがあるのだろうか?謎ばかりが増えて行く。
不浄流…富士北面。
正面が吉田口なら寳永山の位置とともに頷ける。
真面目に富士を再現しているところが信仰の深さを思わせる。
他にも小さな石碑がたくさんあったのだが、
これほど面白いものだと知らず、撮ってこなかったのは不覚だった。
実に心がそそられる場所である。
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