未熟児で生まれた二男は何をするのも遅かった
幼稚園 小学校 中学校と進んでもいつも友達のお世話になり
忘れ物は常習犯だった
小学校3年生のころは鉛筆や箸で机だの教室のそちらこちらをたたき
よく叱られたものでした
4年生のころの記録を見ると
何かものを教える人になりたいと書いてあり
5年生になると ドラマーになりたい!気持ちが固まって
その夢は何かと引き換えにしても代えられない大切な目標になった
高校2年の最後の日 学校にっている時間がもったいない ホームレスになっても
ドラムを叩きたいと夢の実現に向かって歩き出した
あれから15年
ドラム講師になって一応何かを教えたい夢はかなったが
本人の本当の夢は自分の音楽を作ることらしく
時間があればパソコンに向かい音を作ったり
いくつかのバンドに参加したり
とにかく一年中音楽浸けの毎日なのだ
疲れているのかどこにでも眠れる
車の中で何時間も寝てしまうのは序の口で
すでにホームレスにいつなっても生活できる準備は出来ている?
そんな彼だが音の妥協はできず
せっかく持ち込まれる良い話も自分の意志に反することは乗らない
あーもったいないと思うこともある
周りから見ればかっこよい仕事華やかな世界のように映るようだが
家族はたまったもんじゃない
時間はまちまち 収入も決まらない
どこで誰と仕事をしているのかさっぱり見当もつかない
帰ってきたら暖かいお風呂とおいしいご飯を食べさせたいと
待っている私の気持ちは毎日踏みにじられる
でも 息子のライブに行き
ドラムの前に座りドドンとバスどらを鳴らしスネアをダダンと鳴らすとき
私は背筋がぞくっとする
水を浴びた魚のように 生き生きと輝きだす
そんなこんなの繰り返しで
もう世話を焼くのはやめようとか勝手にしてとか言いながらも
こんなドラ息子が愛おしい
いつまで世話を焼けるのか焼かせてくれるのかわからない
真っ黒いトンネルの中にどっぷり入り
一筋の明かりを目指し抜け出せるのはいつだろう
楽しみと苦しみの背中合わせの中で
ドラムを叩くことが楽しくてたまらない
かなり常識から外れているが本人なりに頑張っていると認め
もう少し付き合ってあげようと思う
息子の音が世界中になり響く日があることを祈りつつ・・・・
幼稚園 小学校 中学校と進んでもいつも友達のお世話になり
忘れ物は常習犯だった
小学校3年生のころは鉛筆や箸で机だの教室のそちらこちらをたたき
よく叱られたものでした
4年生のころの記録を見ると
何かものを教える人になりたいと書いてあり
5年生になると ドラマーになりたい!気持ちが固まって
その夢は何かと引き換えにしても代えられない大切な目標になった
高校2年の最後の日 学校にっている時間がもったいない ホームレスになっても
ドラムを叩きたいと夢の実現に向かって歩き出した
あれから15年
ドラム講師になって一応何かを教えたい夢はかなったが
本人の本当の夢は自分の音楽を作ることらしく
時間があればパソコンに向かい音を作ったり
いくつかのバンドに参加したり
とにかく一年中音楽浸けの毎日なのだ
疲れているのかどこにでも眠れる
車の中で何時間も寝てしまうのは序の口で
すでにホームレスにいつなっても生活できる準備は出来ている?
そんな彼だが音の妥協はできず
せっかく持ち込まれる良い話も自分の意志に反することは乗らない
あーもったいないと思うこともある
周りから見ればかっこよい仕事華やかな世界のように映るようだが
家族はたまったもんじゃない
時間はまちまち 収入も決まらない
どこで誰と仕事をしているのかさっぱり見当もつかない
帰ってきたら暖かいお風呂とおいしいご飯を食べさせたいと
待っている私の気持ちは毎日踏みにじられる
でも 息子のライブに行き
ドラムの前に座りドドンとバスどらを鳴らしスネアをダダンと鳴らすとき
私は背筋がぞくっとする
水を浴びた魚のように 生き生きと輝きだす
そんなこんなの繰り返しで
もう世話を焼くのはやめようとか勝手にしてとか言いながらも
こんなドラ息子が愛おしい
いつまで世話を焼けるのか焼かせてくれるのかわからない
真っ黒いトンネルの中にどっぷり入り
一筋の明かりを目指し抜け出せるのはいつだろう
楽しみと苦しみの背中合わせの中で
ドラムを叩くことが楽しくてたまらない
かなり常識から外れているが本人なりに頑張っていると認め
もう少し付き合ってあげようと思う
息子の音が世界中になり響く日があることを祈りつつ・・・・
楽しそうに叩いてる姿見ると幸せそうですよね(^o^)
素敵な生き方だと思います!
でも母親は大変ですよね。お疲れ様でした!これからも頑張ってください!
何を考えているのかさっぱりわかりません
期待とあきらめの繰り返し。こんなことで悩むなんて
平和だねー?・・・根競べです。