日々思うこと

日々の暮らしの中で、心に留めた様々な思いを、書き込みます。

こんな顔で・・・?

2008-11-30 14:50:10 | Weblog
ねー!かわいいでしょ?

我が家のアイドル猫フーちゃんです。

こんなに可愛くちゃ何をされても? 怒れません



何かと せっかちな私たち夫婦は 愛犬・愛猫たちに 心を和ませてもらい

助けられています。

最近は介助犬たちが なんとかセラピーに役に立っているようですが・・・



地球の中で運命共同体ですから 仲良く暮らしたいものですね。

ずるがしこいことを考えず 本能のまま生きている

この子たちに 教えられることがたくさんあります。



我が家に住んでくれてありがとう!です。


フーこのいたずら

2008-11-29 23:49:37 | Weblog
ブログのテンプレートと同じような我が家の障子が フーこの反逆により?

写真のような始末になった。


3年前に障子を張り替えているとき じーっと見ていたフーこは


古い障子を剥がす あの音と 感触をすっかり身につけてしまったらしい。


毎年11月から12月にかけて 暇を見ては障子の張り替えをしていたが


終わった頃には 爪を立て びりびりびり・・・と気持ちよさそうに


爪を立てる。


今年は何事もなく…と思っていたら3日前 夜中に突然騒ぎ出した。


部屋中を駆け回り 障子を破り 「こら!」と怒ると


ますます調子に乗って ビリビリびりびり・・・


ってなわけで あちらこちらが破れました。


可愛い顔して こんな悪戯を…


それでも かわいいので怒れません。夜は寒いよ?

17歳の拓也

2008-11-28 10:47:32 | Weblog
最近昔のCDを聴きかえしている。

宇短大付属に通いながら バンドの活動が多くなり 音楽か?学校か?の選択を担任から毎日のように せかされていた頃組んでいたバンド

「ディフィート」のたった一枚のCDを見つけた。


17歳のDr拓也と、G梁嶋 B後藤 VO稲見君の4人の青春がぎっしりつまった
音源が入っていた。


今改めて聞いてみれば こんなんで東京に行ってプロになりたいなんて

なんて無謀な・・・なんて思うけれど 当時はみんな燃えていたっけ。



拓也は高校2年で 学問より音楽の道を選び メーザーハウスに2年間通った。

時間や日程がそれぞれに合わなくなって 先に東京で待っていた梁嶋君と

食い違っていき とうとうディフィートで プロデビューは果たせなかった。

しかし、お互いに今でも連絡を取り合い 何らかの形で 音楽に関わっている。



ホームレスになってもドラムを続けたい!と言い続けた拓也は その後

多くの人に助けていただき 現在に至ります。


そのCDの中の5番目の曲が私は大好きで 今も時々口ずさんでいる。



 思いを込めたこの歌を いつまでも歌っているよ・・・あなたへ

 眠れない夜はこの歌を 何度でも歌っているよ 隣で・・・

 涙が止まらないときは いつまでもそばにいるから・・ずーっと

 ・・・・・・・    」




この歌を初めて聞いたのは 宇都宮ヘルプだった。ここのオーナーにも可愛がっていただいて何度もライブをさせて頂いた。女子高校生がコスプレを楽しんで
ディフィートの追っかけをしてくれて 私も混じって応援したものだった。
今はヘルプもなくなってしまった。
私にとっても大切な思い出の一曲になっている。



雨の日 ゆっくりCDを聴き ちょっと感傷的になっている。



みんな頑張ってきたなー。我が家にも何組のバンドマンたちが集まったかな~?


どうしているんだろうか?


みんなに会いたくなった。

歯医者さんに4時間?

2008-11-26 23:15:09 | Weblog
以前ブログにも紹介した、転んで前の差し歯4本を折った事故があった時の

前歯が ずいぶん出っ張りすぎているので それを修正するために

インターパークにある歯医者さんへ行った。


今入っている差し歯をはずしてからの作業なので 時間がかかる予測で2時間も見ておけば・・・と。

もともと歯の性が悪く 子供のころから 虫歯やら 何やらで歯医者さんとは縁が切れなかったが 高齢になるとますますお世話になることが多くなってくる。


まだ 何ともなっていなかったが、歯の検診から引き続き 前歯の調整をしていただく決心をして 今日にいたった。


なんとか仮歯を作っていただいて 来週の予約を取るまで約3時間。



そのあと5時30分から 聾者の手話通訳が入っていて約1時間。

合計4時間近くH歯科にいた。


まー!こんなに長い時間いると ずいぶんリラックスしてしまい

居心地が良くなって仕舞う変な錯覚を感じ始めた。


まるで歯科衛生士さん達が 零式やジャンクの仲間のように親しみを感じ

なんだか他人ではないように思えた。


いつだって 私の感覚はそんなところで動き出し、身内・他人の見分けがつかなくなって来て おせっかいが始まってしまう。


オイオイ だめだよ!けじめをつけなくちゃ


そんなことを考えながら我が家に戻った。


長ーい時間丁寧に治療して頂き・・・お楽しみさまでしたー!

思い込み

2008-11-25 21:08:10 | Weblog
昨夜のこと、蔵がレストランで食事をしながら ジャンクのコンサートを楽しんだ。その時 夫は アルコール0%のビールを飲んだ。


コンサートが終わり 自宅に帰るために車に乗ったら 「お母さん 俺はビールを飲んじゃったから運転かわって!」と言う。


あれ?アルコール0%なんだけどー・・・
登志江ちゃんと二人で 何回となく説明したが・・・・・
お父さんには聞こえなかったらしい。?


仕方なく夜の山道を運転した。なんとか としえちゃんを家に送ってから
夫と運転をかわってもらった。


目が悪くなってから 特に夜、それに小雨が降り 私にとってはあんまり良い状況ではなかったので 運転はしたくなかったのだ。




ところで・・・今日仕事から帰ると 「お母さん ごめんね あのビールは酔わなかったんだよ。飲んだのに変だな~とおもってたんだ。」
と言っている。


だ・か・ら・ あれはアルコールが入ってないから注文したんだよ って
何度も言ったんだけど。。。ねー!


ビールを飲んだと思いこんで酔っ払ったつもりになるなんて・・・
それでは水を飲んでも お酒だと思うと酔うのかなー?
なんだかへんだよ?


などなど しばらく議論になって これ以上続くと まずいことに突入しそうなのでやめた。



思い込みは あんまりないほうが いいですね

信頼つながり

2008-11-24 23:10:01 | Weblog
一昨日は両親の法事があった。準備やら何やら忙しい中 拓也は結婚式があり

スーツを出したり靴を用意したり 長男は兄嫁を石橋まで迎えに行ったり


たりたりたり・・・と、そんな中ファックスが入った。


「昨日の朝 夫が突然亡くなりました・・・・・・・」


通夜は24日 告別式は25日と書いてありました。

返事をしている暇もないまま 次の日は 宇都宮市民福祉の祭典で仕事。


24・25日とも 都合がつかないため 失礼かと思ったが 今朝自宅を訪問した。



聴覚障害のご夫婦で 奥さんは私が手話を勉強していた時の先生で

何かとお世話になっていた。ご主人は 温厚で優しくなぜか気の合う

人だった。3年くらい前 老人部の旅行で 丸沼公園へ行ったとき 

難聴の夫を優しく仲間に入れてくれて 一緒に助け合いながら

頂上まで歩き いつもなかなか見られないという白根さんを目の当たりにして

感動したことを思い出した。実は一週間ぐらい前にアルバムを整理していて

その時の写真を見つけ どうしているかなー?と思っていたのだった。



聞くところによると 二週間ほど前から 食欲がなくなって おかしいと思って

病院に連れて行き そのまま入院になったらしい。

奥さんといろいろ話ができて 大森夫婦と山を登ったことが一番記憶にあり

楽しかった!と話していたそうだった。

それで奥さんは 他の人には連絡していないが 私の所にファックスを入れてくれたらしい。



手話通訳としてでなく 大森夫婦にファックスを入れてくれたことに 

何とも言えなく嬉しかった。

私もUさんの人柄に触れ そんなに親しくしていたわけではなかったが

温かいものを感じており 通訳者として扱われるのではなく

心通じるものがあり ずーっと前から気になっていた人だったので

「思えば思われる」ことが証明された。


今にも起きだしそうな 穏やかな顔で眠っていた。


静かに眠る枕元で 思い出話をたくさんできたことは本当に良かった。

もし時間があって お通夜・お葬式に参加出来たら こんなにゆっくり話ができなかったろう。神様の心ずかいだと感じた。



大した通訳者でもない私を 信頼してくれた聾夫婦に感謝し、

たった一日でも 一時間でも 誠実にかかわることの大切さを

身にしみて感じたひと時だった。



人の信頼を裏切らない人間になることを神様に誓った。



90歳の大往生だったUさん。ありがとうございました。

そして、お疲れ様でした。

宇都宮市民福祉の祭典

2008-11-23 23:10:57 | Weblog
福祉祭り改め福祉の祭典となって第2回目の開催だった。

障がいを持ちながら 社会に貢献した栄誉をたたえる 感謝状の授与式など

年に一度のお祭り日だ。


駐車場には障害者の団体が 各々の知恵をしぼって屋台を出している。

支援センターはワンタンメンでなくラーメンだった。


かなり力をいれて作ったらしいので 味もほぼプロ級?

12時前には135食の完売で終わってしまった。



行列が出来るほど 口コミで広がって行った。
?らしい。


自分たちが食べる間もなかったので来年は早めに食べてしまおう?





朝7時半から夕方5時半まで 座ることができなかったので

疲れてしまったが それなりに楽しい一日だった。

みなさん お楽しみ様でしたー





両親の法事

2008-11-22 23:34:48 | Weblog
今日は私の両親の法事だった。父17・母7回忌ということで

4人の姉妹と一人の兄嫁、それに孫たちが集った。


一男四女と孫13人ひ孫4人を残したのだから すごいことだ。


孫たちはそれぞれ遠くに住んだり 仕事の関係で出られない人も多く

ほんとにささやかに行われたが それでも女たちが集まると

かなりかしましく 楽しい時間が過ぎた。


これも両親のお陰さまだと思った。


13人の孫のうち 女の子は 我が家の純子ちゃんと、三女の長女希(のぞみ)
ちゃんの二人。


純子は、結婚して主婦になり 平凡な暮らしをしている。


希ちゃん(写真)は子供の時から 動物のお医者さんになりたかったらしい。

それは叶わなかったが ○○サファリーパークで ライオン君のお世話掛かりになっている。


大きい動物が好き!という彼女は 明るくて 素直に育っていた。


専門学校の入学式で 母親ともども太っていたので すぐ痩せるように!とくぎを刺されたそうだ。


何かが起きたとき 体が重くては 逃げられなかったり 仕事が早くできないからだそうだ。


又、髪の毛はショートカット、ロングの場合はきちんと縛る。

ズボンはGパン シャツはTシャツ イヤリングとかマニキュアは禁止

などいろいろ 規則があるそうだ。

動物たちに 刺激を与えないためだそうだ。



お客様と写真を撮るコーナーでは 心ない子供たちが

いやがらせをしたり しつこくして 我慢できずにウーっと声を立てたり

前足でひっかいたりしたら お仕置きをされるそうで

可哀そうで見ていられないと言っていた。

間違って噛みついたら 二度と人前には出してもらえず 暗い檻の中で過ごしているらしい。



大きな動物が死んだ時などの始末は 何とも悲しく、

想像していたような 楽しい世界ではなかった・・・見たくなかった!と

言っていたことがあったが 今はどうなんだろうか?



長男も職場で 人材に悩み かなり疲れていることを純子ちゃんと旦那さんに
打ち明けていたし・・・


普段無口な長男が 心を許して話ができたことで ずいぶん気持ちが軽くなっただろう。


そんなこんなも両親の法事のお陰・・と感謝だった。

天気もよく“晴華楼”の中華バイキングも美味しく 楽しい一日が終わった。


又2年後 兄の13回忌に元気な顔でそろうようにと約束した。


皆様お楽しみ様でした。


傷口に塩?

2008-11-21 22:31:09 | Weblog
今日は私が20数年も通っている教会の勉強会の当番だった。

駐車場整理の担当だった。晴れてはいたが かなり冷たい風が吹いていた。

一日の反省会で 髪の毛の長い彼女が 「髪が乱れて 困った!美空ひばりの

乱れ髪?」なんて冗談をいった。そうしたら 「乱れる髪があっていいじゃない?」と kさんが笑って言った。

「そうかー 若干2名の前では髪の毛の話は禁止だねー。でもそんなことくらいで
くじけないよね?」

と私が すかさず言ったので またみんながおかしくなって大笑いした。


「大森さん 傷口をこじ開けて塩を塗り込むようなことをしないでよねー。」

と返したので さらに大笑いになり 最近はおなかを抱えて笑うことが少なくなっている 変に大人になっているので こんなことに喜んでいる仲間がいることに感謝し それぞれの家に帰った。


寒かった一日のお手伝いだったが、心の中はホカホカだった。


素敵な仲間に出会え 一緒に学べることに感謝だった。

困った時に思い出す。

2008-11-20 20:48:48 | Weblog
麦ちゃんの車が故障した。思い当たる友達に片っ端から連絡したが

つながったのは拓也だけだったらしい。


拓也も睡魔が襲い電話には出たものの 体が動かず

お父さんなんとかしてくれ!と頼まれた。


こんな時ばっかり!なんて口では言っているが


顔は嬉しそうな夫だった。すぐにいろいろ準備して出かけて行った。

今日は2人して寝坊したため かなり焦ってのスタートだったので

さらに焦ってしまったが なんとか無事にことは済んだ。



日ごろゆっくり話をすることもなかったので 麦ちゃんといろいろ話ができたらしい。(実際は勝手にしゃべって麦ちゃんに迷惑をかけただろう。)



零式のみんながどれほどの努力をしているか?は私たちが一番知っている(つもり)。親兄弟も みんなが賛成しているわけでなく
いつまでそんな夢を見ているんだろう 早くまともな仕事を見つけて
落ち着いた人生設計を立てればいいのに・・・なんて
大なり小なり批判を浴び バンドをやっていることに引け目を感じながら
ライブをやっていた日もあったと思う。しかし何があっても 零式は不滅!!




頑張っている皆の力になりたいと 夫ともども思っている。

私たちが宇都宮に越してきた30年前 PTAで知り合った友人が

「困った時に思い出してね」と優しく言ってくれた言葉は 今も心に深く残っている。


そんなカッコいい言葉を使えるようにはなれないが、

麦ちゃんの役に立てたことが嬉しかったらしい。


60有余年 周囲の人に支えられて なんとか暮らしてこられたが

少しはお返しができるようになったかな?



借主から 貸主に

恩返しが始まっている。