20XX年・クエスチャン (-13-)
アメリカのケネディー空港では、離陸中に、それも家族が見送る目前で消えている。
この静岡では旅客機の墜落と言う悲惨になった。
他の国で消息を絶った航空機はSOSを発信する事も無く、突然レーダーから消えている。神宮寺博士のチームが観測したデーターでは、4年前の地軸のずれから更に西に5度も傾き、18度も傾いている事が分かった。
しかし、地軸がずれた原因に関しての解明はされていなかった。
続々と入って来る行方不明機の情報。
すると、その中に墜落した航空機が数機あった事が書かれて居た。
そのファイルを持つ佐伯の手が震えた。
4月3日木曜日、日本時間PM15時25分、オーストラリア、ニューサウスウェールス、で発生した個人所有小型セスナ機墜落状況。離陸後5分、突然救難信号を発信。15時30分、墜落炎上。同時刻、シドニー空港を離陸したジャンボ機一機の機影がレーダーから消える。もっか捜索中。小型機の残骸を調べた中間報告書。乗員2名、観光客10名。全員死亡。
事故原因、垂直尾翼脱落に因り操縦不能となり、墜落に至ったと思われる。
注目するは垂直尾翼脱落部、まるで何か鋭利な刃物で切られた様に断面が綺麗である。
突然起こったこの訳の分からない現象。それは、かまいたち現象とでも言っておこう。
これは科学では立証されない推理ではあるが。大変な事が起こり始めているもは確かだ。この地球は今に破滅する。
第二章 JESチーム発動。
三週間後。佐伯は何日も徹夜し、手掛けていた小説をようやく書き上げた。
そんな佐伯の隣には、体を気遣う真由美の姿があった。
数日後、静岡を引き払い、真由美を連れ立って東京へ出向いていた。出版社に直接出向き、事情を話し、全ての仕事をキャンセルして神奈川へ向かった。
五月、日本列島は長いウィークデーに入った。湿め湿めした蒸し暑い日々は一際増した。静岡の用宗港に墜落した旅客機の残骸は全て回収され、航空安全局による現場検証も終り、破壊された港の復旧に入っていた。
航空機の残骸は海軍横須賀基地の広大な倉庫に運ばれ、更に墜落原因を調べて居た。
墜落原因の情報を持つ唯一のボイスレコーダーを調べた。が、何一つ墜落の原因に結び付くデーターは得られなかった。
ただ、死亡した乗員乗客の司法解剖の結果、全員の遺体から生活飯能が得られず、墜落時には全員が死亡していたという驚きの鑑定がなされていた。
死因、搭乗員乗客280名の全ての死因は不明だと言うのだった。
しかし、客席に酸素マスクが下りた形跡は無く、真っ先に着ける筈の機長、コックピットでも使った形跡は無かった。調査を続ける航空安全局は困惑していた。
そこへ、佐伯と真由美の二人が顔を出した。倉庫一面に旅客機の残骸が置かれ、大方の形に復元されて置かれて居た。
二人を待っていたかの様に公安として調査を手伝っていた林と田島が駆け寄った。
「どうも、待ってました。静岡の方は・・・」。
「ええ、引き払って来ました・・・俺たち結婚しました」。
「ワ~ッ!ヤッターッ。早瀬先輩、先生、おめでとうございます」。
「うん、ありがとう・・・なんか照れてちゃうな」。
そう、二人は今し方届けを出して来たばかりだった。
佐「ところでこの観測データーを見て下さい」。
佐伯は手にした書類ケースから数枚の書類を出す。すると、事務所のドアが開き、航空安全局の新田が駆けよった。
「待ってたぞ。どうだ、答えは出たか。墜落の原因は解ったのか」。
「ええ、漸く答えがでました。これは4月3日午後3時頃、事故当日の日本列島を気象衛星が観測していたデーターの一部です。酸素、窒素、一酸化炭素、ほか大気中の様々な汚染物質を濃度別に現した表です。当時、あの海域6000メートル上空まで、数分間ですがノンエアーゾーンが存在していた事が分かりました」。
「待ってくれ、俺たちにももっと解りやすく話してくれないか」。
「話しは最後まで聞かないと。簡単に言うと、大型タンカーが航行していた海域と旅客機が飛行していた高度6000メートルには酸素か無かったって事です。それどころか真空状態だった事がデーターが物語っているんです」。
「なんだってッ!・・・」。周囲は騒然とした。驚きは無理はなかった。林も礼子も唖然と二人を見つめて居る。
NO-12-26
アメリカのケネディー空港では、離陸中に、それも家族が見送る目前で消えている。
この静岡では旅客機の墜落と言う悲惨になった。
他の国で消息を絶った航空機はSOSを発信する事も無く、突然レーダーから消えている。神宮寺博士のチームが観測したデーターでは、4年前の地軸のずれから更に西に5度も傾き、18度も傾いている事が分かった。
しかし、地軸がずれた原因に関しての解明はされていなかった。
続々と入って来る行方不明機の情報。
すると、その中に墜落した航空機が数機あった事が書かれて居た。
そのファイルを持つ佐伯の手が震えた。
4月3日木曜日、日本時間PM15時25分、オーストラリア、ニューサウスウェールス、で発生した個人所有小型セスナ機墜落状況。離陸後5分、突然救難信号を発信。15時30分、墜落炎上。同時刻、シドニー空港を離陸したジャンボ機一機の機影がレーダーから消える。もっか捜索中。小型機の残骸を調べた中間報告書。乗員2名、観光客10名。全員死亡。
事故原因、垂直尾翼脱落に因り操縦不能となり、墜落に至ったと思われる。
注目するは垂直尾翼脱落部、まるで何か鋭利な刃物で切られた様に断面が綺麗である。
突然起こったこの訳の分からない現象。それは、かまいたち現象とでも言っておこう。
これは科学では立証されない推理ではあるが。大変な事が起こり始めているもは確かだ。この地球は今に破滅する。
第二章 JESチーム発動。
三週間後。佐伯は何日も徹夜し、手掛けていた小説をようやく書き上げた。
そんな佐伯の隣には、体を気遣う真由美の姿があった。
数日後、静岡を引き払い、真由美を連れ立って東京へ出向いていた。出版社に直接出向き、事情を話し、全ての仕事をキャンセルして神奈川へ向かった。
五月、日本列島は長いウィークデーに入った。湿め湿めした蒸し暑い日々は一際増した。静岡の用宗港に墜落した旅客機の残骸は全て回収され、航空安全局による現場検証も終り、破壊された港の復旧に入っていた。
航空機の残骸は海軍横須賀基地の広大な倉庫に運ばれ、更に墜落原因を調べて居た。
墜落原因の情報を持つ唯一のボイスレコーダーを調べた。が、何一つ墜落の原因に結び付くデーターは得られなかった。
ただ、死亡した乗員乗客の司法解剖の結果、全員の遺体から生活飯能が得られず、墜落時には全員が死亡していたという驚きの鑑定がなされていた。
死因、搭乗員乗客280名の全ての死因は不明だと言うのだった。
しかし、客席に酸素マスクが下りた形跡は無く、真っ先に着ける筈の機長、コックピットでも使った形跡は無かった。調査を続ける航空安全局は困惑していた。
そこへ、佐伯と真由美の二人が顔を出した。倉庫一面に旅客機の残骸が置かれ、大方の形に復元されて置かれて居た。
二人を待っていたかの様に公安として調査を手伝っていた林と田島が駆け寄った。
「どうも、待ってました。静岡の方は・・・」。
「ええ、引き払って来ました・・・俺たち結婚しました」。
「ワ~ッ!ヤッターッ。早瀬先輩、先生、おめでとうございます」。
「うん、ありがとう・・・なんか照れてちゃうな」。
そう、二人は今し方届けを出して来たばかりだった。
佐「ところでこの観測データーを見て下さい」。
佐伯は手にした書類ケースから数枚の書類を出す。すると、事務所のドアが開き、航空安全局の新田が駆けよった。
「待ってたぞ。どうだ、答えは出たか。墜落の原因は解ったのか」。
「ええ、漸く答えがでました。これは4月3日午後3時頃、事故当日の日本列島を気象衛星が観測していたデーターの一部です。酸素、窒素、一酸化炭素、ほか大気中の様々な汚染物質を濃度別に現した表です。当時、あの海域6000メートル上空まで、数分間ですがノンエアーゾーンが存在していた事が分かりました」。
「待ってくれ、俺たちにももっと解りやすく話してくれないか」。
「話しは最後まで聞かないと。簡単に言うと、大型タンカーが航行していた海域と旅客機が飛行していた高度6000メートルには酸素か無かったって事です。それどころか真空状態だった事がデーターが物語っているんです」。
「なんだってッ!・・・」。周囲は騒然とした。驚きは無理はなかった。林も礼子も唖然と二人を見つめて居る。
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