2024.7.22(月)
岩手山焼走り国際交流村キャンプ場の朝5時。
テントから外を確認すると雨が降っている。
昨晩から今朝にかけて強風と雨音で騒がしく寝付けなかった。
雨の止み間でお湯を沸かし、テント内で朝食を済ませる。
8時過ぎに雨が止んだので、テントを片付けバイクに荷物を積み込み出発。
キャンプ場近くの「岩手山焼走り溶岩流」を見に行くことにした。
「焼走り溶岩流」は享保4年(1719)の岩手山噴火の際に流出したもので、国の天然記念物に指定されているとのこと。
宮沢賢治もこの地を訪れ、この溶岩流を「鬼人たちの棲み家」とうたっている。
溶岩流形成後260年以上経た今でもコケ類がほとんど占めているのは不思議なことらしい。
灰白色のコケは「シモフリゴケ」で「ハイイロキゴケ」という地衣類も混生しているとのこと。
本日は陸前高田市の地域歴史博物館「東日本大震災津波伝承館」に行く予定。
気温は35度と暑い。
熱中症に気を付けて移動する。
途中道の駅やコンビニで休憩しながら移動していく。
「道の駅みやもり」には「宮守川橋りょう」という名の5つの半円からなるアーチ橋がある。
資料によると岩手県が生んだ名童話作家・宮沢賢治は、ここをモデルに「銀河鉄道の夜」を描いたともいわれている。
東日本大震災津波伝承館に到着。
2011年3月11日14時46分発生。
日本国内観測史上最大規模、世界で(1900年以降)4番目の規模の地震。(マグニチュード9.0)
被災した消防車
流出した気仙大橋
館内では地震に関する展示・ビデオなどにより多くの情報を得ることができた。
館内の売店では陸前高田市の商品が多く販売されていた。
お土産を購入した後、伝承館から海に向かって歩いてみる。
津波に飲み込まれた「陸前高田ユースホステル」「奇跡の一本松」
高田松原の約7万本の松(江戸時代に始まった植林の松)はいくつかの大地震により被害を受けてきた。
・1896年 明治三陸地震津波
・1933年 昭和三陸地震津波
・1960年 チリ地震津波
この「奇跡の一本松」は以上の津波被害を乗り越え生き残ってきた。
アカマツとクロマツの交雑種で高さ約27.5m、幹の直径約90㎝。(資料より)
震災後に大きな防波堤が建設されている。
陸前高田市を出発し、東松島の宿泊地に向かう。
東松島のホテルには16時頃到着。
近くのサイゼリアで食事をした後、ホテルでのんびり過ごす。
本日の走行距離
242.4キロ
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