おはようございます。
こちらは、昨夜から断続的に大雨、雷鳴もとどろきます。
どうやら、一番ひどい時間帯に出勤することになりそうです・・・
どうぞ、どなた様もお気を付けて。
本日の「秋旅ふたたび」は小江戸・とちぎ「蔵の街」さんぽ。
下書きしてあった記事を、大急ぎでアップします。
どうぞ、おつきあいくださいませ。
(栃木で女学校に通った吉屋信子展が開かれていました。この街と
吉屋信子、合います!)
小江戸といえば、埼玉・川越、千葉・佐倉・・・
栃木県の「とちぎ」も知ってはいましたが・・・
ここまで、風情があるとは!
嬉しい驚きでした。
歩き始めたのは、4時過ぎ・・・
晩秋の薄暗くなった頃、巴波川(ウズマガワ)沿いを歩きました。
川面を吹く風は冷たかったはずながら
・・・いやいや・・・
街並みに興奮していたせいか、寒さを感じませんでしたw
はしゃいで歩いていたせいか、
お散歩中の奥さまが声をかけてくださいました。
「今日は横山郷土館↓↑は撮影があって、臨時休館なんですよ」と。
おお、確かに、ロケ機材を積んだワゴンが帰り支度中・・・
地元の方が声をかけてくださると、
その土地ならではの感覚がうかがえて、とっても嬉しい。
しかも、この方は、とってもお詳しいんです!
(鯉のいる県庁堀)
「とちぎは、県内で一番栄えた街だったのだけれど・・・
鉄道を敷くのを反対したんです。
ここは川を使う、水運の街だったから・・・
それで宇都宮に鉄道を通したら、あちらが栄えて県庁も移って・・・
結果として、ここは取り残されてしまって・・・
今は、いろいろ鉄道も通って便利になりましたけれどね・・・」
(旧栃木町役場。明治16(1883)年まで栃木県の県庁があった場所に、
大正10(1921)年に建てられた。)
奥さまは、県庁が宇都宮に移ったことに対し、
ちょっぴり悔しい想いをなさっていらっしゃるようでした。
そういうエリアって、日本全国あちこちにありますよね・・・
でも、奥さまのおっしゃる「取り残された」結果、
これだけの蔵の街が残ったわけですから・・・
観光資源としてだけでなく、歴史のあゆみを知る、貴重な財産です。
「とちぎ」に、これほど蔵があるということは、
それだけ豊かな街だったという証。
まずは、徳川家康を祀る、日光東照宮へ朝廷が勅使(日光例幣使)が
毎年通る「日光例幣使街道」として栄えたそうです。
また奥さまの教えて下さったように、巴波川の舟運で、
江戸から「日光御用」の品や塩が、栃木からは木材や農産物が送られるなど、
交易が盛んだったとか。
当時、豪商は、白壁の土蔵を巴波川の両岸に建てたとのこと。
それが今に残っているわけです。
とちぎに近付くと、道を譲ってくれるドライバーさんが増えました。
話し言葉も穏やかなだけでなく、お人柄も穏やかなのかもしれません。
豊かな土地が、豊かな心を育み、今に伝えられているのでしょうか♫
(とちぎ蔵の街美術館。200年前に建てられた土蔵3棟を改修。)
ああ、もっとゆっくりしたかった・・・
蔵づくりのカフェで、お茶するのを楽しみにしていたのですが、
余裕がなく、かなわず・・・
こうして、旅に付きものの心残りが、またひとつ・・・w
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本日も、おつきあいいただき、どうもありがとうございました。
夕方だったこともあり、画像は今ひとつで(腕の問題もw)
魅力がお伝えできず、残念です。
参考:パンフレット「小江戸とちぎ 蔵の街 のんびり散策マップ」