B年 四旬節第三主日 2012・3・11
「イエス様」
「神の国の福音」
イエス様の姿を描き続ける前に、洗礼者ヨハネについて一言付け加えたいと思います。洗礼者ヨハネはイエス様より数か月前に生まれて、人間の体をもち心がメシアであるイエス様の到来を準備しました。砂漠の舞台から、力強い話しを通して、人々の心の準備を願って、自分でも厳しい生活の中で人々の心の回心を求めました。そして、やがて来られるメシアを受け入れるように勧めていました。洗礼者ヨハネはイエス様より身分が低く、イエス様の親しい友達と自覚してそのように紹介していました。そしてイエス様とまったく同じように真理の証として自分の命を全うしました。それに従って、洗礼者ヨハネの心を知った初代キリスト信者は、その中にイエス様に従う者の姿の手本を読みとりました。では、イエス様の生涯に戻りましょう。イエス様は30年間ナザレのお父さんの工房で過ごした後、3年間の公生活を送られました。その時のイエス様の話し、そしてそのメッセージについてお話ししてみたいと思います。まず、イエス様の話しを好んだ者たちは貧しい人、体と精神の病気の人不自由な人、当時思われていた罪人で人里離れた所に住む者たちでした。その話に反発した者たちはファリザイ派、律法学者、長老たちでした。イエス様が心と体でお話しになったのは、神秘的に秘められた神の国でした。ご自分のことはその国の王だと示されながら、ご自分が神の子であり、その国の心であることも引いて神の国を紹介されました。イエス様が神の国のことを色んなたとえ話で伝えてくださいました。その国は小さくても宝のようなものです。その国は人の心の中で神秘的に広がって増え成長します。その国の名義は愛の国であり、その愛の大きさを見せたのは死と復活によったイエス様ご自身でした。その国に入る為に心の回心は欠かせないのです。回心と言うのは神様に出会い、その存在に気付き神様を知り、愛するのです。神様の愛は隣人に対する愛によって確認されています。このようにイエス様の国の到来は「福をもたらす音」となっているのです。
モヨリ神父
「イエス様」
「神の国の福音」
イエス様の姿を描き続ける前に、洗礼者ヨハネについて一言付け加えたいと思います。洗礼者ヨハネはイエス様より数か月前に生まれて、人間の体をもち心がメシアであるイエス様の到来を準備しました。砂漠の舞台から、力強い話しを通して、人々の心の準備を願って、自分でも厳しい生活の中で人々の心の回心を求めました。そして、やがて来られるメシアを受け入れるように勧めていました。洗礼者ヨハネはイエス様より身分が低く、イエス様の親しい友達と自覚してそのように紹介していました。そしてイエス様とまったく同じように真理の証として自分の命を全うしました。それに従って、洗礼者ヨハネの心を知った初代キリスト信者は、その中にイエス様に従う者の姿の手本を読みとりました。では、イエス様の生涯に戻りましょう。イエス様は30年間ナザレのお父さんの工房で過ごした後、3年間の公生活を送られました。その時のイエス様の話し、そしてそのメッセージについてお話ししてみたいと思います。まず、イエス様の話しを好んだ者たちは貧しい人、体と精神の病気の人不自由な人、当時思われていた罪人で人里離れた所に住む者たちでした。その話に反発した者たちはファリザイ派、律法学者、長老たちでした。イエス様が心と体でお話しになったのは、神秘的に秘められた神の国でした。ご自分のことはその国の王だと示されながら、ご自分が神の子であり、その国の心であることも引いて神の国を紹介されました。イエス様が神の国のことを色んなたとえ話で伝えてくださいました。その国は小さくても宝のようなものです。その国は人の心の中で神秘的に広がって増え成長します。その国の名義は愛の国であり、その愛の大きさを見せたのは死と復活によったイエス様ご自身でした。その国に入る為に心の回心は欠かせないのです。回心と言うのは神様に出会い、その存在に気付き神様を知り、愛するのです。神様の愛は隣人に対する愛によって確認されています。このようにイエス様の国の到来は「福をもたらす音」となっているのです。
モヨリ神父