B年 四旬節第五主日 2012・3・25
「イエス様」
「ご受難と復活」
イエス様は自分の人生の中で神様の思い、その目標、その心を最後まで果たすことを決心しておられました。神様の心を人類に伝えるために、どうしてもエルサレムに上らねばならないと決心されたのでした。そこで一旦は人々に歓迎されましたが、ご自分の人生も使命も全うされる時が近づきました。イエス様にとっても、ご自分の人生の中でエルサレムは、イスラエル人が奴隷から自由になったところのように読みとれました。そして、出エジプトの時にイスラエル人達が羊を殺して神様に捧げたように、イエス様もいけにえとして神様への捧げものになって、人類の救いを得られました。イエス様は弟子の中の一人ユダに裏切られて、ファリザイ派、律法学者、長老たちの手に渡されました。そこで不正な裁判を受けて、死刑に定められました。死なれるまで、鞭打たれ、茨の冠と赤いマントを着せられて侮辱され、死刑場カルバリオまで重い十字架を運ばされて上って行かれました。そこで、皆を大きな愛で包んで敵までも赦しながら、ご自分の命を神様への捧げものにして、神様の人類のための愛を実現されました。しかし、ここでイエス様の全てが終わりではなく、神様の愛の中でご自分の命を全うされた瞬間に、新しい命の種となられました。イエス様が神様の命の力によって復活されたのです。イエス様は生きておられます。イエス様はご自分の死によって私達の罪を全て赦し、あがなってくださって最高の愛の印を示してくださいました。ご自分の復活によって、イエス様が人類に希望を与え、愛の力、愛の喜びを教えてくださいました.イエス様を信じる者たちは、死んでもイエス様と一緒に生きる、罪を犯しても赦されて神様から大いに愛されています。弱さの中で、イエス様の死と復活は欠かせない素晴らしい出来ごとになり、人類の救いの見事な印となります。イエス様と一緒に十字架を運ぶ者はイエス様と一緒に復活し、喜び、心の平和を豊かに味わいます。
モヨリ神父
「イエス様」
「ご受難と復活」
イエス様は自分の人生の中で神様の思い、その目標、その心を最後まで果たすことを決心しておられました。神様の心を人類に伝えるために、どうしてもエルサレムに上らねばならないと決心されたのでした。そこで一旦は人々に歓迎されましたが、ご自分の人生も使命も全うされる時が近づきました。イエス様にとっても、ご自分の人生の中でエルサレムは、イスラエル人が奴隷から自由になったところのように読みとれました。そして、出エジプトの時にイスラエル人達が羊を殺して神様に捧げたように、イエス様もいけにえとして神様への捧げものになって、人類の救いを得られました。イエス様は弟子の中の一人ユダに裏切られて、ファリザイ派、律法学者、長老たちの手に渡されました。そこで不正な裁判を受けて、死刑に定められました。死なれるまで、鞭打たれ、茨の冠と赤いマントを着せられて侮辱され、死刑場カルバリオまで重い十字架を運ばされて上って行かれました。そこで、皆を大きな愛で包んで敵までも赦しながら、ご自分の命を神様への捧げものにして、神様の人類のための愛を実現されました。しかし、ここでイエス様の全てが終わりではなく、神様の愛の中でご自分の命を全うされた瞬間に、新しい命の種となられました。イエス様が神様の命の力によって復活されたのです。イエス様は生きておられます。イエス様はご自分の死によって私達の罪を全て赦し、あがなってくださって最高の愛の印を示してくださいました。ご自分の復活によって、イエス様が人類に希望を与え、愛の力、愛の喜びを教えてくださいました.イエス様を信じる者たちは、死んでもイエス様と一緒に生きる、罪を犯しても赦されて神様から大いに愛されています。弱さの中で、イエス様の死と復活は欠かせない素晴らしい出来ごとになり、人類の救いの見事な印となります。イエス様と一緒に十字架を運ぶ者はイエス様と一緒に復活し、喜び、心の平和を豊かに味わいます。
モヨリ神父