カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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「今週の公教要理の錠剤」19

2012年03月29日 | メッセージ(その他)
B年 四旬節 受難の主日         2012・4・1
「イエス様」「神の子」
「神の子」イエス様は神様でありながら、人間として自分の姿を人類の間に置いた生活を送られました。イエス様が人々の間に生れ、神の子として父である神様の姿を人間的な形で人類に紹介し、ご自分も神様であることも見せられました。このような神秘的な出来事は、つまり神様が人間の姿を受け取ったことは「受肉」と言われています。それは神様が人間となったと言う意味です。イエス様はご自分の生涯の中で、この神秘的な真実を忘れず生活を送られました。実際にこのような神様の神秘的な働きによって、人間は神の子となり神様と一体になりました。イエス様は神様でありながら、マリア様から生まれて30年も普通の人間の生活を送られました。そして洗礼者ヨハネの所に上がった時、イエス様も普通のもの達の中に並んでおられました。その時、天から、ある声が聞こえました。「あなたは私の愛する子、わたしの心にかなう者。」イエス様はメシアで同じ意味で「キリスト」として、つまり「神様に選ばれたもの」で、人間の間に神様から使わされてご自分が人間であることだけではなく、神様であることもたびたび見せてくださいました。神様である証拠として、マリア様の体内に宿られた不思議な方法、一生神様のみ旨を果たすために生きてこられ、神様のみ心を果たすためにご自分の命を捧げて十字架の上で亡くなったのです。けれども三日後、神様ご自身がイエス様を蘇らせて、人類の間にずっと一緒に生きるようになさったのです。それでキリスト信者はイエス様を「主」と呼んでいます。旧約聖書と同じように、王も神様ご自身も「主」と呼ばれていました。そしてイエス様が弟子達の前でご自分の姿を輝いている姿に変えられたように、復活されたイエス様は弟子達にとって全てになっていましたから、ずっと、いつまでも主と呼ばれるようになりました。     
                       モヨリ神父