◆【拡散希望します】
【北朝鮮による日本人拉致】4
🔴北朝鮮を擁護、日本人拉致を捏造と言い張った売国党
●旧社会党~社民党時代に「拉致はでっちあげといっていない」「偽情報(北朝鮮擁護)の為選挙に影響が出た」などといっているが下記の党季刊誌にも証拠として残っている。
月刊社会民主7月号「食糧援助拒否する日本政府」社会科学研究所 日韓分析編集 北川広和
また北朝鮮による日本人拉致問題 にも拉致被害者の家族が旧社会党に助けを求めて、冷淡に扱った子が記載されている。
(以下引用
■石岡・有本家は日頃から北朝鮮とパイプがあることをアピールしていた日本社会党系の政治家に助けを求めることにした。石岡の家族は札幌市の日本社会党北海道連合にも相談したが、「本部に連絡をする。国交がない国なので口外しないように」と言われた。「国交がないから」という言葉は、それ以降も外務省や様々なところで言い訳に使われることとなる。
一方有本の両親は日本社会党委員長土井たか子の事務所(兵庫県西宮市)に相談。当初土井は有本夫妻に同情する姿勢を見せて暖かく対応したため有本夫妻は安心したが、その後土井事務所からは返事はなくなり、一切連絡が途絶えてしまった。
このため有本夫妻は上京して自由民主党の政治家に助けを求めることを決め、1988年9月、東京都千代田区永田町の衆議院議員会館に自由民主党幹事長の安倍晋太郎を訪ねる。
安倍は夫妻の訴えを聞き届け、当時秘書だった次男の安倍晋三に夫妻を外務省と警察庁に案内するよう命じ、夫妻はここに至って事の次第を外務省・警察庁に伝えることができた。
以後有本夫妻は安倍父子に連絡するようになり、安倍父子はこの問題に取り組むことになるが、1989年6月、晋太郎は癌を発症し入院。幹事長も退任した。以後入退院を繰り返したが、1991年5月、晋太郎は他界した。
後継者となった晋三はに亡父の地盤を引き継ぎ、1993年、第40回衆議院議員総選挙に立候補し当選。以後国会議員としてこの問題に取り組むことになった。
※拉致被害者地村保志父「土井党首なんかは、拉致はありえないと北朝鮮の口上をそのまま私たちにぶつけて、拉致ということはそんなことはありえない」
以上が当時の社会党の拉致被害者に対する冷酷な対応です。
この様な売国奴達を糾弾と、世論の高まりをもって排除する事が、日本社会適正化に繋がると考えます。
【北朝鮮による日本人拉致】を風化させる事が無い様に、絶えずこの拉致事件を啓蒙啓発していきましょう❗
#北朝鮮拉致4