🔴【戦後ソ連によるシベリア抑留】
●収容所の生活
シベリア抑留では、その過酷で劣悪な環境と強制労働が原因で、厚生労働省把握分では抑留者全体の1割にあたる約6万人の死亡者を出した。
一方、共産主義の教育が定期的に施され、もともと共産主義的だったり、日本共産党の隠れ党員だったりした捕虜が大手を振い、また「教育」によって感化された捕虜も多数いる。新聞として『日本しんぶん』が発行された。
「革命」や「階級闘争」の思想を育てるため、兵卒や下士官に元上官を殴らせることもしばしばあったため、兵卒や下士官が(もともと農村出身者が多いことも影響しているが)熱心な共産主義者になることが多かった。また志位正二などソ連のスパイとなり、戦後日本で諜報活動を行った者もいる。
共産主義者の捕虜は「民主運動」を行い、革命思想を持たない捕虜を「反動」「前職者」と呼び、「反ソ分子」の執拗な吊し上げや露骨な暴行を行った。彼らは捕虜達からシベリア天皇と呼ばれた。
有名な者には浅原正基、袴田陸奥男がいる。また、抑留中に起きた事件として「暁に祈る」事件がある。
共産主義の労働ノルマに対する報酬、資本主義との違いゆえ、捕虜達の中にはストライキを起こした例もあり、小峰国保は不当に仕事量を増やされていたことが発覚し、待遇は後に改善されたと記す。
#シベリア抑留8
⭕ビヤホールの日(8月4日 記念日)
ビアホールチェーンの「銀座ライオン」を経営する株式会社サッポロライオンが1998年(平成10年)に制定。
1899年(明治32年)のこの日、東京・銀座の新橋際(京橋区南金六町五番地 現:銀座八丁目)に、日本初のビアホール「恵比壽(ヱビス)ビヤホール」(銀座ライオンの前身)一号店が開店した。ビヤホールの持つ、明るい雰囲気、親しみやすさを多くの人に味わってもらうことが目的。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
銀座ライオンについて
「銀座ライオン」の名前は、1911年(明治44年)8月10日、銀座四丁目の角に築地精養軒(上野精養軒の前身)が経営する「カフェー・ライオン」が誕生したことに由来する。
この店名は、当時の築地精養軒の経営者・北村宇平氏がイギリス・ロンドンを訪れた際に、ピカデリー広場の角で営業していたレストラン「ライオン(LYON)」(ジョー・ライオンズ商会経営)の名にあやかったといわれている。
この「ライオン(LYON)」とは、その創始者ジョー・ライオン氏の名前からとったものであるが、同時に百獣の王ライオンの貫禄と威厳に敬意をはらって使われていた。また、ライオンは英国王室の紋章であり、イギリスを象徴する動物である。