日本の伝統文化と、正しい歴史認識を伝えたい❗

日本の伝統文化紹介と、日本の現状と問題点。

今日は何の日

2022-06-15 07:48:19 | 日記


オウムとインコの日(6月15日 記念日)

埼玉県新座市に事務局を置き、鳥類を飼養する人たちへの啓蒙活動などを行う認定NPO法人「TSUBASA」が制定。



日付は「オウム(06)インコ(15)」と読む語呂合わせから。すでに亡くなった鳥たちの供養とコンパニオンバードとしての鳥たちの幸せを願う日。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

オウム

「人・鳥・社会の幸せのために」を推進する会「TSUBASA」(ツバサ)は、「The Society for Unity with Birds - Adoption and Sanctuary in Asia」(鳥と調和のとれる社会 - アジアの里親とサンクチュアリ)の略である。

TSUBASAでは、様々な理由から飼い主と一緒に暮らすことができなくなったインコ・オウム・フィンチを保護し、新たな里親を探す活動を行っている。また、飼い主と愛鳥が終生、幸せに健康に暮らしてもらうために、飼い鳥の適正な飼養に関する情報の提供、学びの場を日本全国で展開している。


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2022-06-14 08:23:26 | 日記


手羽先記念日(6月14日 記念日)

愛知県名古屋市を中心に手羽先店チェーン「世界の山ちゃん」を展開する株式会社エスワイフードが制定。



日付は「世界の山ちゃん」の創業日である1981年(昭和56年)6月14日から。この日は手羽先に感謝する日としている。

記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。この日を中心として「世界の山ちゃん」では特別価格でのキャンペーンなどが実施される。

世界の山ちゃん

この日「世界の山ちゃん」第1号店が開業した。創業時の名前は「やまちゃん」で、「世界の山ちゃん」に名前が変わった理由は、創業時の従業員がふざけてその名前で応対したのを創業者・山本重雄(やまもと しげお、1957~2016年)が夢が有ると評価したのがきっかけとされる。

1997年(平成9年)より、「世界の山ちゃん」の看板に描かれているキャラクター(3代目)の名前は「鳥男」で、山本重雄がモデルとされる。それまでは名前のない鳥のイラストだった。

2016年(平成28年)8月時点で、「世界の山ちゃん」グループは海外を含めて75店舗を展開している。手羽先の唐揚げ「幻の手羽先」が目玉商品であり、創業当時からの変わらぬ味を守っている。また、「世界の山ちゃん」は手羽先の唐揚げが名古屋名物と言われるほどまでに全国にその名を知らしめた。


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2022-06-13 08:22:07 | 日記


小さな親切運動スタートの日(6月13日 記念日)

1963年(昭和38年)のこの日、「小さな親切」運動本部が発足した。



この年の東京大学の卒業式の告辞で、総長の茅誠司かや せいじが「小さな親切を勇気をもってやってほしい」と言ったことがきっかけとなった。その後、実践例が新聞などで報じられ、社会から幅広い共感が寄せられ、6月13日のこの日に茅を始めとする学者・ジャーナリストなど8名の提唱者が運動を発足させた。茅が初代代表に就任し、以後23年間同職を務めた。「できる親切はみんなでしよう それが社会の習慣となるように」、「人を信じ、人を愛し、人に尽くす」をスローガンに運動が進められている。


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2022-06-12 08:32:16 | 日記


恋と革命のインドカリーの日(6月12日 記念日)

1927年(昭和2年)のこの日、東京・新宿に中村屋の喫茶部(レストラン)を開設し、日本で初めて「純印度式カリー」を売り出した株式会社中村屋が制定。

記念日の名前は、創業者の相馬愛蔵(あいぞう)・黒光(こっこう)夫妻の娘・俊子がインド独立運動の活動家ラス・ビハリ・ボースと恋に落ち、1918年(大正7年)に結婚したことをきっかけに、インドカリーが誕生したことに由来する。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

インドカリー

インドカリー誕生の歴史について

ラス・ビハリ・ボース(Rash Behari Bose、1886~1945年)は、当時、イギリスの植民地として圧政に苦しんでいた祖国インドを救おうと独立運動を行っていた。しかし、インド総督への襲撃をきっかけに、イギリス政府から厳しい追及を受け、1915年(大正4年)に日本に亡命した。

日本では、アジア開放運動の志士を守ろうという動きが民間で高まっていたが、日英同盟を結んでいた日本政府は、ボースに国外退去を命じた。ボースを気の毒に思った相馬夫妻は、アジア主義者の巨頭・頭山満の依頼もあり、政府の意に反してボースを中村屋の敷地内にあったアトリエで匿(かくま)うこととなった。

ボースと俊子

翌1916年(大正5年)にボースは中村屋を出て隠れ家を転々とするが、その逃亡生活で連絡役を務め、陰で支えたのが相馬夫妻の長女・俊子であった。2人は後に結婚し、2人の子どもを授かるが、逃亡生活の心労がたたり、俊子は1925年(大正14年)に26歳の若さで亡くなってしまった。

当時、日本に広まっていたカレーはイギリスから伝わった小麦粉を使用したもので、祖国インドのカリーとは別のものであった。俊子の死後も中村屋と交流を深めたボースは本場のカリーを日本に紹介したいとの思いから、中村屋で純印度式カリーをこの日に発売した。このカリーは中村屋の名物料理となり、「恋と革命の味」として現在に伝わっている。




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2022-06-11 08:16:21 | 日記


梅酒の日(6月11日 記念日)

チョーヤ梅酒が2004年(平成16年)に制定。



日付は、6月の「入梅」の時期から全国的に梅の摘み取りが始まり、梅酒づくりのシーズンとなることから。高品質の梅酒の美味しさを多くの人に味わってもらうことを目的。また、この頃から梅酒を飲んで夏を元気に乗り切ってもらいたいという想いが込められている。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。