今年の梅雨は例年になく重くてうっとうしい
洗濯物は乾いたんだか乾いてないんだかワカラナイ
なんとなく湿っとしてて気持ちが悪い
もぅ家中カラッとさせたい
ハイ♪ そういう時には薪ストーブの出番ですよ
私はランニングにジャージをまくり上げて頑張ります
一通り湿っとしていた洗濯物をパリパリに乾かして・・・
まだまだ焚き木が残っていたので
そうだそうだ♪と気になっていた竹べらや藤カゴを洗って乾かしております
本当ならお日様の光で乾かしたいところですが
まだまだこの雨は続きそうなので仕方ありません
そうだそうだ♪は続き
久しぶりの薪ストーブに萌えた私は
ランチの為のスープとカレーも汗をダラダラたらしながらこの上で作りました
さすがに暑い!
暑いのに辛いカレーですからw なおさら暑い
昨日の続きになりますが
私の幼年時代の頃はどこの家も貧しかった
貧しい時の親は子どもを虐待しなかった・・・とは言えないけれど
現代ほどのネグレクトな親はいなかったと思います
しっかり乾かしたので気持ちがイイ
私が商売をしていたころ一緒に働いてくれてた女性(私より5歳下)が
「小さかったころうちのママが男と家出して1ヶ月くらい帰った来なかったんだ」
「それって何歳の時?」
「私が小学2年で妹が1年生だった頃」
「・・・でどうしたの?」
「お金は置いていったからそれでパンを買って食べてたよ でもね近所のおばちゃんたちがみんな気が付いてくれて
ご飯を食べさせてくれたり、洗濯してくれたりいろいろ助けて貰ったの」
「・・・でママは」
「帰って来たよ 男と別れてさ・・・今でもたまに喧嘩をするとママに言ってやるんだ
あの時ママは子どもを捨てたんだよねって だって確かにあの時は捨てられたんだもの」
今と昔・・・決定的に違う事はなんだろう
近所が優しく お節介で お付き合いがり お互い様があった
知り合いの彼女もその妹も「お互い様」のご近所に助けてもらい生き延びた
「お互い様」のご近所は戻って来た母親を叱咤し、母親も素直に猛省したと言う
そういう時代だった
若くして子を産んだ母親はなにもかも捨てて好きな男のもとへと走りたかったんだろう
よく職場にも顔を出していた彼女の母親は笑顔のキレイなお母さんだった
「これから母とカラオケなのぉ」
「イイね いってらっしゃーい」
それでもやっぱり 彼女が結婚に踏み切れず 妹までもが同じく独身を通したのは
幼い頃のトラウマだろうと私は思ってしまう
そして一番そう感じているのは彼女たちの母親であり
言葉には出さなくても一生背負う十字架なんだと思う
私が7歳くらいの時
夜目が覚めたら両親が居なかった
一番最初に幼い私がやった事は
箪笥の引き出しを開けて母の洋服があるかどうか (不思議だなぁと今でも思う 本能的に?w)
泣きじゃくりながら母親の洋服を一枚一枚確認していた
それから妹を起こして捨てられたかも知れないと訴え 二人で大泣きしながら寝てしまった
目覚めたら父も母も普通に居て普通の風景がそこにはあって 本当に嬉しかった
(映画に行っていたらしい ちゃんと子どもに話して行けよな)
たったそれだけの事でもあの夜の不安と恐怖を今でも覚えているし忘れられない
小さく弱く繊細な子どもたちを傷つけないで欲しいよね