開校六十周年記念祭の開催
翌21年5月には、高等学校は3年制に復帰したが、政府は昭和22年3月には男女同権とする新教育制度、小学6年・中学3年・高校3年・大学4年のいわゆる633制の「教育基本法」「学校教育法」を制定し実施した。五高は熊本大学第五高等学校となり昭和23年を持って新入生の入学は停止された。男女共学ということで23年には60年にわたる女人禁制の学園が女性にも開放された。初めて数人の女性が入学したことは、消え行く五高に最後の花を添えた趣があった。第十四代校長河瀬嘉一は熊本大学法文学部部長も兼ねていた。
高等学校令廃止される。五高の開校六十周年記念式行われる。
昭和22年
2月2日 戦後初の大学高専音楽会が第一高女で開かれる。熊日主催、五高、
薬専,語専10校参加出演する。
2月15日 高等学校令廃止される。五高などに女子の受験が許可される。
3月20日 五高入試に初めて女子8名が受験したが合格者は出なかった。
3月31日 木下順二の「風浪」が発表される。
10月10日 五高創立60周年記念式開催される。
以下に五高60周年記念式の模様を続習学寮史から転載する。、
昭和二十二年十月十日開催、
混沌たる世情と窮迫せる生徒との中に時の白駒は瞬時も其歩を止めることなく、碧落高い肥州の秋深く十月十日五高創立六十周年記念祭は訪れた、
第五高等学校の終焉を包む美しいベールと共に、かねてより此準備ををさをさ怠りなかった学校記念祭委員会(委員長 長野吉彰、総務委員長)寮祭準備委員会(委員長 富田優総代、深沢立太郎総代)の手により記念祭の幕は切って落とされた
十日午前九時より講堂で記念式典、全校職員生徒十有余の参列あり、本島一郎第十二代学校長の祝辞を読まれる声も喜びにふるう。ついで職員代表として安達龍三教授の祝辞、生徒代表長野吉影総務委員長の祝辞、更に来賓先輩代表、福田虎亀熊本市長の祝辞、祝電披露あり。これらの間各新聞写真班のフラッシュが飛ぶ。
終って記念文化講演として、東北大教授、松隈健彦博士の「現在の宇宙観」と題する講演と熊日社長・参議院議員・佐々弘雄氏の『祖国の再建』と題する「延々4時間に亘る熱弁あり。此の間に午後一時より寮から富田総代の指揮で三十名程の有志JOGKより寮歌『武夫原頭』が放送の為録音される、・・・・(以下略)
翌21年5月には、高等学校は3年制に復帰したが、政府は昭和22年3月には男女同権とする新教育制度、小学6年・中学3年・高校3年・大学4年のいわゆる633制の「教育基本法」「学校教育法」を制定し実施した。五高は熊本大学第五高等学校となり昭和23年を持って新入生の入学は停止された。男女共学ということで23年には60年にわたる女人禁制の学園が女性にも開放された。初めて数人の女性が入学したことは、消え行く五高に最後の花を添えた趣があった。第十四代校長河瀬嘉一は熊本大学法文学部部長も兼ねていた。
高等学校令廃止される。五高の開校六十周年記念式行われる。
昭和22年
2月2日 戦後初の大学高専音楽会が第一高女で開かれる。熊日主催、五高、
薬専,語専10校参加出演する。
2月15日 高等学校令廃止される。五高などに女子の受験が許可される。
3月20日 五高入試に初めて女子8名が受験したが合格者は出なかった。
3月31日 木下順二の「風浪」が発表される。
10月10日 五高創立60周年記念式開催される。
以下に五高60周年記念式の模様を続習学寮史から転載する。、
昭和二十二年十月十日開催、
混沌たる世情と窮迫せる生徒との中に時の白駒は瞬時も其歩を止めることなく、碧落高い肥州の秋深く十月十日五高創立六十周年記念祭は訪れた、
第五高等学校の終焉を包む美しいベールと共に、かねてより此準備ををさをさ怠りなかった学校記念祭委員会(委員長 長野吉彰、総務委員長)寮祭準備委員会(委員長 富田優総代、深沢立太郎総代)の手により記念祭の幕は切って落とされた
十日午前九時より講堂で記念式典、全校職員生徒十有余の参列あり、本島一郎第十二代学校長の祝辞を読まれる声も喜びにふるう。ついで職員代表として安達龍三教授の祝辞、生徒代表長野吉影総務委員長の祝辞、更に来賓先輩代表、福田虎亀熊本市長の祝辞、祝電披露あり。これらの間各新聞写真班のフラッシュが飛ぶ。
終って記念文化講演として、東北大教授、松隈健彦博士の「現在の宇宙観」と題する講演と熊日社長・参議院議員・佐々弘雄氏の『祖国の再建』と題する「延々4時間に亘る熱弁あり。此の間に午後一時より寮から富田総代の指揮で三十名程の有志JOGKより寮歌『武夫原頭』が放送の為録音される、・・・・(以下略)