○卒業以来40年ぶりに訪れてとても懐かしく夫婦で感動しました。特に復原教室の机は一つ一つの落書きまで見入りました。元気なうちにもう一度来たいです。瀬戸
○念願の五高記念館を訪れることが出来感激です。漱石やハーンがここで教鞭を執って庭の樹木を眺めていたかと思うと嬉しい限りです。 ゆり子
○事情で大学に行けなかった青春時代に思いをはせながら見学しました。若きし頃勉強がしたくてたまらなかったのですが、生活のためそれもかなわず60歳になった今日やっと時間が自由になり気力が許す限り勉強したいと思った。 N,A生
○昭和十九年四月日本海の孤島佐渡が島より此処熊本に笈を負いしより早63年の星霜今、赤壁に向かえば万感胸に迫りて感涙に咽ぶ我が心の五高よ永遠なれ!
昭22 理乙卒
○赤煉瓦の巨棟がなつかしい理乙に3年間一階入り口で学んだ教室にたたずみ懐古にふける S16卒
○卒業する前に見ておいて良かったなあと思いました。記念館の中に入るだけで、こんなにも流れている時間、空気が異なるものかと驚きました。来春から社会人になりますが、旧制五高の熊本大学卒業生であるということを胸に刻んで誇りを持って歩いて行きたいと思います。素敵な時間をありがとうございました。法学部 女
○宮崎の学生さんが実家に金の無心された手紙を読み、私(s19、女学校入学)も親にこんな手紙を書いたことを思い出しました。親とはいいもの、子も孫も何よりいいものです。 76歳 女
○伯父が明治16年生で五高卒業です。夏目漱石先生を慕って東大に行き「熊本は森の都だ」と漱石は言ったと流布した人です。
○存命なら99歳の父の母校にやっと訪ねて来ました。五高時代の話を浴してくれた父を思い出し記念館を見学出来て嬉しかったです。
○在学中に1回も来なかったもので来て見て良かったです。 OB
○40年数前この建物で英語の授業を受けました懐かしく当時を思い出し、立派な資料館として開館され嬉しく思います. S45 医学部卒
○五高という学校が如何にすばらしかったが分かり感激しました。私は女性ですがこんな学生生活を送ってさえ思いました。 兵庫 kk
○熊本育ちのくせに今迄何故ここに来なかったか、一般の入場さえ出来ることも知らず恥ずかしい限りです気を切り替え今度は娘と来ます 春木
○ずっと前から訪問したいと思っていました念願果たせてよかったです。素晴らしい景観の中に校舎があり現大学生の私にとってうらやましい限りです。(東京女)
卒業して約二十年始めて記念館に入りました。こんな中で勉強できるなんて素晴らしい、娘も熊第大に入れたらと思った次第です。
○歴史あふれるこの記念館を見学して私もこの熊本大学で勉強したいと思いました。縁があることを祈ります。 福岡 Mk生
○戦前の学生たちの写真とても良かったです。青春を楽しんでいる様子が伝わりました。今の上通りあたりが五高生がよく行く場所だったのですね、面白かったです。
○五高の歴史と品格を感じました。息子も五高の伝統を少しでも受け継ぎこれから先の“何か”を見つけてほしいものです。 北九州市門司区在住
○今日は子供の入学式で訪れました。歴史を感じると共に息子もこの環境で学ぶことが出来ることに喜びを感じます。 福岡県
○蟻田先生の天然痘根絶の取り組み紹介の展示を見ました。世界的偉業を成し遂げた蟻田先生の取り組みに感動し、特に共同通信の新聞の銅板は人としてすばらしく日本人に欠けている道徳を教えていただいたように思いました。 熊本市
○昭和二十五年最後の卒業生です。今年卒寿を迎えました。昔懐かしくやってきました。当時の教科の時間割、五高山岳部にいましたのでその史料でもあればと思いました。 東京都 文甲卒
○文科学生の学徒動員の答辞の最後のさらばに涙を覚えました。これからも平和な日本であり続けれる様に祈ります。 Y・R生
○英文の案内書を文通相手のフランス人に送りましたところ『大変わかりやすい説明でとてもためになりました』と言われました。 女性
○寺田寅彦の故郷土佐から来ました。非常に懐かしく感激して見学させていただきました。
○明治以降の日本の教育を知る貴重な資料でした。校舎も周囲環境もよく整備さています。今後も大切に守ってください。 東京 日本橋在住
○五高時代のこの制度はすばらしい、戦後の6・3制で失ったものは惜しい。もうあの時代には戻れない。 岡山
○子供が熊大に入りたいという気持ちが持っていたのが充分理解できました。ありがとう御座いました。今後の熊本大学の発展を祈ります。 女性
○ボート部に所属しています。集会の際部歌を唄うのですが、そのCDがあってびっくりし、過去からつながっているものだなあと感じて感動しました。女性
○歴史を感じ、また五高の先輩方を改めて尊敬しました。熊大生として誇りを持って頑張ろうと思います。 HN生
○今日はとても良い勉強になりました。昔の生徒は今の自分たちに比べられないくらい勉強したのだと思いました。
○卒業して三〇年余り、在学中は外からしか見れなかったが、こうして中に入り、色々な資料を拝見させていただき考無量です。卒業生として何も出来ませんが在校生の皆さんの活躍を祈っています。
○漱石の声が聞けてよかった漱石の声は私の父を思い出させました。
○亡き父や叔父たちがここで学んだのかと思い胸が一杯になりました。在東京
○熊大の歴史を知って、又何度でも足を運ぼうと思いました、 男
○五高が無くなり半世紀、熊大としての資料も集めて五高―熊大資料館としたら?五高を語り継ぐ人も少なくなり熊大と五高はイコールとは思わないが、文化を受け継いでほしい。
○最近、旧制高校卒業生で健在であられる方々との交流も深まり、改めてその人格の素晴らしさに、魅力に引かれております。最近の人品貧しき日本人の言動を見るにつけ昭和25年3月閉校した、この「五高」を始めとしてナンバー・スクールを中心とする日本のエリート教育が廃止されて以来の、政治・教育の深刻なる後退を憂いているのは、私一人ではないでしょう。
天皇陛下の為に死ぬーと言う戦前の軍国主義と人生、いかに清く正しくあるべきかーという人間を深く内省し思索する修身教育を同一視してはならないでしょう。
友の信頼を裏切らず、親・兄弟・地域・国家に対する恩を忘れず、隣人と仲良くし、年長者を人生の先輩として敬い、他人が間違ったことをしても自分はやらないと云う倫理観を持ち、弱き人を助け、強き不正には断乎として立ち向かう正義感を持ち、日本人としての誇りを忘れず、アジアの友邦を友として大切にし、国際社会の一員としての義務を果たす。以上の様な日本人を育成しないといけないと思うのですが、よく考えてみると、これらはむしろ戦前の日本人、その中にあってとりわけ旧制高校の方々が受けたエリート教育の中にその根幹がありました。心の荒廃が益々進む日本の現状を見るにつけ追憶だ、ノスタルジーだ、懐古趣味だ、反動だ、右翼だという様なレッテルを貼ってしまい崇高な精神性を忘れたところにも原因の一端がありましょう。願わくば、旧制高校の卒業生の方々は八〇歳以上の方が殆んどで、あと十年で話して頂く生の継承の時間も、敢えて機会を作ってもらいませんと、歴史の真実を継承出来なくなってしまいます。どうか最後の任務として、この崇高な「真・善・美」を追求し、人間如何にあるべきかを哲学した旧制高校の姿勢を語り継いで頂きたいものです。戦後の日本人は経済的には成功したかもしれませんが、多くの大切なものを忘れてしまいました。その中の根幹とは、まさに旧制高校が尤も大切にした形而上学的な学問と美しき日本人の大和魂かもしれません 広島市在住
○念願の五高記念館を訪れることが出来感激です。漱石やハーンがここで教鞭を執って庭の樹木を眺めていたかと思うと嬉しい限りです。 ゆり子
○事情で大学に行けなかった青春時代に思いをはせながら見学しました。若きし頃勉強がしたくてたまらなかったのですが、生活のためそれもかなわず60歳になった今日やっと時間が自由になり気力が許す限り勉強したいと思った。 N,A生
○昭和十九年四月日本海の孤島佐渡が島より此処熊本に笈を負いしより早63年の星霜今、赤壁に向かえば万感胸に迫りて感涙に咽ぶ我が心の五高よ永遠なれ!
昭22 理乙卒
○赤煉瓦の巨棟がなつかしい理乙に3年間一階入り口で学んだ教室にたたずみ懐古にふける S16卒
○卒業する前に見ておいて良かったなあと思いました。記念館の中に入るだけで、こんなにも流れている時間、空気が異なるものかと驚きました。来春から社会人になりますが、旧制五高の熊本大学卒業生であるということを胸に刻んで誇りを持って歩いて行きたいと思います。素敵な時間をありがとうございました。法学部 女
○宮崎の学生さんが実家に金の無心された手紙を読み、私(s19、女学校入学)も親にこんな手紙を書いたことを思い出しました。親とはいいもの、子も孫も何よりいいものです。 76歳 女
○伯父が明治16年生で五高卒業です。夏目漱石先生を慕って東大に行き「熊本は森の都だ」と漱石は言ったと流布した人です。
○存命なら99歳の父の母校にやっと訪ねて来ました。五高時代の話を浴してくれた父を思い出し記念館を見学出来て嬉しかったです。
○在学中に1回も来なかったもので来て見て良かったです。 OB
○40年数前この建物で英語の授業を受けました懐かしく当時を思い出し、立派な資料館として開館され嬉しく思います. S45 医学部卒
○五高という学校が如何にすばらしかったが分かり感激しました。私は女性ですがこんな学生生活を送ってさえ思いました。 兵庫 kk
○熊本育ちのくせに今迄何故ここに来なかったか、一般の入場さえ出来ることも知らず恥ずかしい限りです気を切り替え今度は娘と来ます 春木
○ずっと前から訪問したいと思っていました念願果たせてよかったです。素晴らしい景観の中に校舎があり現大学生の私にとってうらやましい限りです。(東京女)
卒業して約二十年始めて記念館に入りました。こんな中で勉強できるなんて素晴らしい、娘も熊第大に入れたらと思った次第です。
○歴史あふれるこの記念館を見学して私もこの熊本大学で勉強したいと思いました。縁があることを祈ります。 福岡 Mk生
○戦前の学生たちの写真とても良かったです。青春を楽しんでいる様子が伝わりました。今の上通りあたりが五高生がよく行く場所だったのですね、面白かったです。
○五高の歴史と品格を感じました。息子も五高の伝統を少しでも受け継ぎこれから先の“何か”を見つけてほしいものです。 北九州市門司区在住
○今日は子供の入学式で訪れました。歴史を感じると共に息子もこの環境で学ぶことが出来ることに喜びを感じます。 福岡県
○蟻田先生の天然痘根絶の取り組み紹介の展示を見ました。世界的偉業を成し遂げた蟻田先生の取り組みに感動し、特に共同通信の新聞の銅板は人としてすばらしく日本人に欠けている道徳を教えていただいたように思いました。 熊本市
○昭和二十五年最後の卒業生です。今年卒寿を迎えました。昔懐かしくやってきました。当時の教科の時間割、五高山岳部にいましたのでその史料でもあればと思いました。 東京都 文甲卒
○文科学生の学徒動員の答辞の最後のさらばに涙を覚えました。これからも平和な日本であり続けれる様に祈ります。 Y・R生
○英文の案内書を文通相手のフランス人に送りましたところ『大変わかりやすい説明でとてもためになりました』と言われました。 女性
○寺田寅彦の故郷土佐から来ました。非常に懐かしく感激して見学させていただきました。
○明治以降の日本の教育を知る貴重な資料でした。校舎も周囲環境もよく整備さています。今後も大切に守ってください。 東京 日本橋在住
○五高時代のこの制度はすばらしい、戦後の6・3制で失ったものは惜しい。もうあの時代には戻れない。 岡山
○子供が熊大に入りたいという気持ちが持っていたのが充分理解できました。ありがとう御座いました。今後の熊本大学の発展を祈ります。 女性
○ボート部に所属しています。集会の際部歌を唄うのですが、そのCDがあってびっくりし、過去からつながっているものだなあと感じて感動しました。女性
○歴史を感じ、また五高の先輩方を改めて尊敬しました。熊大生として誇りを持って頑張ろうと思います。 HN生
○今日はとても良い勉強になりました。昔の生徒は今の自分たちに比べられないくらい勉強したのだと思いました。
○卒業して三〇年余り、在学中は外からしか見れなかったが、こうして中に入り、色々な資料を拝見させていただき考無量です。卒業生として何も出来ませんが在校生の皆さんの活躍を祈っています。
○漱石の声が聞けてよかった漱石の声は私の父を思い出させました。
○亡き父や叔父たちがここで学んだのかと思い胸が一杯になりました。在東京
○熊大の歴史を知って、又何度でも足を運ぼうと思いました、 男
○五高が無くなり半世紀、熊大としての資料も集めて五高―熊大資料館としたら?五高を語り継ぐ人も少なくなり熊大と五高はイコールとは思わないが、文化を受け継いでほしい。
○最近、旧制高校卒業生で健在であられる方々との交流も深まり、改めてその人格の素晴らしさに、魅力に引かれております。最近の人品貧しき日本人の言動を見るにつけ昭和25年3月閉校した、この「五高」を始めとしてナンバー・スクールを中心とする日本のエリート教育が廃止されて以来の、政治・教育の深刻なる後退を憂いているのは、私一人ではないでしょう。
天皇陛下の為に死ぬーと言う戦前の軍国主義と人生、いかに清く正しくあるべきかーという人間を深く内省し思索する修身教育を同一視してはならないでしょう。
友の信頼を裏切らず、親・兄弟・地域・国家に対する恩を忘れず、隣人と仲良くし、年長者を人生の先輩として敬い、他人が間違ったことをしても自分はやらないと云う倫理観を持ち、弱き人を助け、強き不正には断乎として立ち向かう正義感を持ち、日本人としての誇りを忘れず、アジアの友邦を友として大切にし、国際社会の一員としての義務を果たす。以上の様な日本人を育成しないといけないと思うのですが、よく考えてみると、これらはむしろ戦前の日本人、その中にあってとりわけ旧制高校の方々が受けたエリート教育の中にその根幹がありました。心の荒廃が益々進む日本の現状を見るにつけ追憶だ、ノスタルジーだ、懐古趣味だ、反動だ、右翼だという様なレッテルを貼ってしまい崇高な精神性を忘れたところにも原因の一端がありましょう。願わくば、旧制高校の卒業生の方々は八〇歳以上の方が殆んどで、あと十年で話して頂く生の継承の時間も、敢えて機会を作ってもらいませんと、歴史の真実を継承出来なくなってしまいます。どうか最後の任務として、この崇高な「真・善・美」を追求し、人間如何にあるべきかを哲学した旧制高校の姿勢を語り継いで頂きたいものです。戦後の日本人は経済的には成功したかもしれませんが、多くの大切なものを忘れてしまいました。その中の根幹とは、まさに旧制高校が尤も大切にした形而上学的な学問と美しき日本人の大和魂かもしれません 広島市在住