都内にも足を踏み入れていないところは数々ある。
今日はつれいあいと、そんな所に足を踏み入れることにした。
場所は北西部に位置する文京区、豊島区と新宿の境界。
先ずは月島駅に向かう。有楽町線に乗り東池袋で下車する計画。
相生橋を渡ると、春霞に煙る、それとも黄砂か、湾岸地域の高層ビル群が見える。
月島から東池袋までは約30分。先ずは雑司ヶ谷霊園へ、少し坂を上る。
この霊園には多くの文豪が埋葬されている。
最初はやはり荷風散人にご挨拶。
埋葬場所を地図で見当をつけて探し始めたが、少し手間取ってしまった。
つれあいの呼ぶ声で場所が判明した。
荷風らしく、霊園の北側の竹垣に囲まれた、3m四方だろうかこじんまりと落ち着いた雰囲気の墓であった。
挨拶をすまし次に向かう。
霊園の中央付近に鎮座するは、明治の大文豪である夏目漱石の墓。大きな御影石で組まれた立派な墓。
墓に近づくと同時に、向こうから数人のツアーが来た。やはり漱石は人気がある。
雑司ヶ谷霊園は、開設が明治7年と歴史のある霊園なので、樹木も大きく育ち、墓巡りではなくとも木立の中を散策するだけでも気持ちが良さそうである。
さて次の目的地は鬼子母神。
かねてから行きたかった雑司ヶ谷霊園を後にして、迷路のような軽自動車が1台通れるくらいの小道を西側に進む。
しかも霊園は高台にあるらしく徐々に下り坂となる。
鬼子母神は安産・小育(こやす)にめっぽう力を発揮するお堂のせいか、若い女性が目立つ。
高さ30m、幹回り10m、樹齢何と700年の神木公孫樹が、長い間庇護してくれている。
腹が空いたので、都電鬼子母神前駅近くにあるラーメン屋で昼食とする。
せっかくここまで来たので、もう少し足をのばしてみる。
鬼子母神通り抜け、目白通りに出てしばらく歩くと、不忍通りとの分岐点が見えてくる。
右手に歴史を感じさせる木造の家屋に目が行く。近づくと間口の広い酒屋であった。
しかし、その店に行くと、それよりも脇の道の方に目がいってしまった。
写真では表現されていないが、そこには恐ろしく急な坂道が、眼下に続いていた。遠くに見えるは新宿の高層ビル群であろうか。
面白そうだからここを下ってみる。住所は目白台となっている。
300m程下り、やっと平坦な道となる。
右手にあった住所をみると、高田となっている。高田は確か豊島区の町名なので、ここは文京区と豊島区の境界のようだ。
この道を東側に進むと、よく手入れされた日本庭園が前方に見えてきた。
案内版に、ここは細川家の下屋敷跡で今は文京区が管理する新江戸川公園とのこと。
このあたりは緑の多い区域で、神田川沿いには関口芭蕉庵、椿山荘などがあり、散策には良さそうだ。
さすがに疲れてきたので、江戸川橋から有楽町線にのり豊洲に向かう。
豊洲でコーヒー豆など買って、バスで帰る。
充実した1日であった。