月岡芳年 月百姿
『淮水月』 伍子胥
わいすいのつき ごししょ
明治二十年届
伍子胥(ごししょ)は中国・春秋時代末の楚(そ)の武人。
生年未詳 ~ 前485年 本名は伍員(ごうん)
讒言により父と兄が楚の平王に殺され
呉に亡命、のちに楚と戦いあだを討った。
讒言(ざんげん): 他人を陥れようとして事実をまげ
いつわって悪しざまに告げ口をすること。
国立国会図書館デジタルコレクション 035
黄河と長江の間を流れている川
淮水で平王の墓を探す伍子胥
紀元前513年、呉王闔閭(こうりょ)は伍子胥などをともなって楚に攻め入る
激戦が繰り広げられたが紀元前506年、
呉は楚の都・郢(えい)を制圧し、楚の昭王は隋に逃れた。
ついに伍子胥に父と兄の恨みを晴らす時がきた。
ところが、仇の平王はすでにこの世にはいない
怒りのやり場を失った伍子胥は恐るべき行動に出る。
平王の墓をあばき白骨化した死体を何度もむち打たせたのである。
これが「屍(しかばね)にむち打つ」の語源となった。
復讐の鬼とまで言われて後世に名を残したけど
人はそこまでなれるのかな? それも300回とか。。。