夕霧太夫(ゆうぎりたゆう)は江戸時代前期の浪花の人気遊女
承応3年(1654)? ー 延宝6年(1678)
死後、夕霧を題材とした浄瑠璃や歌舞伎などが作られ後世にその名を残す
文久1年(1861)出版 歌川豊国(国貞)絵
新町の夕霧
浪花新町扇屋の遊女なり
心優しく書に妙を得たり。惜しいかな早世する。
今も寺町浄國寺にこの妓の墓があり
花岳芳春信女という。
この妓の着た打掛は今なお存在し
夕霧の文も九軒町の揚屋「吉田屋」にあり
さらに版行して好事家の玩(もてあそび)となる
(柳亭梅彦記)
かの夕霧の墓にて伊丹の俳人・上島鬼貫(おにつら)が
『この塚は 柳なくても 哀れなり』