オオカミになりたい(遺言)

ずっとそばにいるよ

古今名婦伝 「祇園梶子」

2018-07-03 | 豊国錦絵

祇園梶子(ぎおんかじこ)は江戸時代中期(享保の頃)の歌人

生没年未詳 本名は梶 梶女とも

京都祇園社の茶店の女主人であったため「祇園梶子」の名で呼ばれた

文久2年(1862)出版  歌川豊国(国貞)絵

 

祇園梶子

今よりは百五六十年の徃昔(むかしむかし)洛東(みやこのひがし)

祇園林において茶店を出(いで)し、梶子という性質都雅(やさし)き女あり

幼年(いとけなき)より歌をよく作(よみ)

遠近(あちこち)の騷客に賞翫(もてはや)された

一世の秀吟を少なからず集めて一巻とし「梶の葉」と號(なず)けた

就中(なかんづく)逸(すぐれ)ていると、広く世の人々に知れわたったのは

夜の霰を詠んだ作品

「雪ならば 梢にとめて あすや見ん よるのあられの 音のみして」

この結句さる人刊行したる本には「音のみぞして」と錯(あやま)りあり

かくては手尓遠波(てにをは) 調(ととの)いがたし

              (柳亭梅彦記)

        崑山集に                 

『かじの葉に かけ七夕の せんどう歌』