祇園梶子(ぎおんかじこ)は江戸時代中期(享保の頃)の歌人
生没年未詳 本名は梶 梶女とも
京都祇園社の茶店の女主人であったため「祇園梶子」の名で呼ばれた
文久2年(1862)出版 歌川豊国(国貞)絵
祇園梶子
今よりは百五六十年の徃昔(むかしむかし)洛東(みやこのひがし)
祇園林において茶店を出(いで)し、梶子という性質都雅(やさし)き女あり
幼年(いとけなき)より歌をよく作(よみ)
遠近(あちこち)の騷客に賞翫(もてはや)された
一世の秀吟を少なからず集めて一巻とし「梶の葉」と號(なず)けた
就中(なかんづく)逸(すぐれ)ていると、広く世の人々に知れわたったのは
夜の霰を詠んだ作品
「雪ならば 梢にとめて あすや見ん よるのあられの 音のみして」
この結句さる人刊行したる本には「音のみぞして」と錯(あやま)りあり
かくては手尓遠波(てにをは) 調(ととの)いがたし
(柳亭梅彦記)
崑山集に
『かじの葉に かけ七夕の せんどう歌』