オオカミになりたい(遺言)

ずっとそばにいるよ

古今名婦伝 「丹前風呂勝山」

2018-07-07 | 豊国錦絵

勝山(かつやま)は江戸時代初期(承応・明暦の頃)に吉原で人気のあった太夫

生没年未詳

文久3年(1863)出版  歌川豊国(国貞)絵

 

丹前風呂勝山(たんぜんぶろかつやま)

初めは神田丹後殿屋敷前にあった津國風呂市郎兵衛(つのくにぶろ いちろべい)の

抱えにて、艶色比類なく性質(うまれつき)活達不羈(ふき)にして全盛つづく者はない

物詣などする時は腰巻・羽織に木造(きづくり)の両刀を横たえ

玉縁の編み笠に面(おもて)を掩(おお)う其の躰(てい)益々花麗(はなやか)なり

當時(そのころ)の俳優(やくしゃ)、其の姿を模して扮(いでた)つに

見物大いに感賞する。

丹後殿前を略して丹前と称(よび)、此の風俗を丹前風と云う

のち故ありて勝山は、北郭(よしわら)山本芳潤の家の遊女となり

弥(いよいよ)美名を高くして客の絶え間なし。

能書(のうじょ)にして歌道にも心を寄せ、一種の髷を結出し

勝山と今は傳う名誉の傾城(けいせい)なり

                   (柳亭種彦記)

汶村の句に             

『晴天に むかって開く 牡丹かな』