勝山(かつやま)は江戸時代初期(承応・明暦の頃)に吉原で人気のあった太夫
生没年未詳
文久3年(1863)出版 歌川豊国(国貞)絵
丹前風呂勝山(たんぜんぶろかつやま)
初めは神田丹後殿屋敷前にあった津國風呂市郎兵衛(つのくにぶろ いちろべい)の
抱えにて、艶色比類なく性質(うまれつき)活達不羈(ふき)にして全盛つづく者はない
物詣などする時は腰巻・羽織に木造(きづくり)の両刀を横たえ
玉縁の編み笠に面(おもて)を掩(おお)う其の躰(てい)益々花麗(はなやか)なり
當時(そのころ)の俳優(やくしゃ)、其の姿を模して扮(いでた)つに
見物大いに感賞する。
丹後殿前を略して丹前と称(よび)、此の風俗を丹前風と云う
のち故ありて勝山は、北郭(よしわら)山本芳潤の家の遊女となり
弥(いよいよ)美名を高くして客の絶え間なし。
能書(のうじょ)にして歌道にも心を寄せ、一種の髷を結出し
勝山と今は傳う名誉の傾城(けいせい)なり
(柳亭種彦記)
汶村の句に
『晴天に むかって開く 牡丹かな』