黛(まゆずみ)は江戸時代後期(嘉永・安政の頃)の花魁
生没年未詳
文久2年(1862)出版 歌川豊国(国貞)絵
寶槌樓黛(ほうついろうまゆずみ)
実名かねと稱(いへ)り、二歳の時雙親(ふたおや)に別れ
八歳の頃、色廓(いろざと)に賣(うら)れたが
幼齢(おさなき)時よりその性温和で生得情深ければ
傍輩・㨶母(やりて)も憎むことはない。
唯、顔さえ知らない親を慕う嘆きの胸に迫り是のみ癪の種であったが
去る安政2年十月二日の夜の大地震の節、家屋潰された窮(まず)しき人々が
悲田廬(おすくいごや)に聚(あつ)まって居るその数
千もと筭(かぞ)えるときき、然計(さばかり)多き人の中に
若し我親の行方を知る人も有って 再會(めぐりあう)為にもならんと
一途の孝心に首飾(しゅしょく)を典じて黄金(こがね)を調え
行平鍋様の物千百六十を施した。是に依って弥(いよいよ)名をあげ
公(おおやけ)より賞銀を賜り、竒特(きどく)の孝と褒美あり
高僧碩儒(せきじゅ)も一面識を請うこと數(しばしば)あったと云う。
(柳亭種彦記)
『父母の しきりに恋し 雉子の声』
おはようございます。
古今名婦伝 寶槌樓黛
何たる難しい漢字で目が点だわ!痛い
多分。私が愚痴ると思いフリガナを~ありがとうございます。狐さま。
あんたも乱視の割にやるわね!
実名はかね
お見事な遊女姿も美しい!簪が身分の高さを表しているよね。
見事な着物の打ち掛けに後ろにあるのは桶かな?右側は硯と筆?
大震災があって火災発生かな。
我が親の行方を知る人。小判を与えたのが後の世に名をあげた。
わからないけど会えた?のかなぁ?
私は母が居たから幸せだったよね。生涯父親の顔も見なったけどね。
一度だけ会いに来た時に小さな女の子を連れていたけど妹かな。
それも父親だったかは最後まで母は語らずじまい。その父も死んだらしい。
ごめんね。湿っぽい話になったね。
お勉強ありがとうございます。候
画像
これまた
狐さま。どんな心理状態かなぁ?瞬きしてる美人は仮装大会。
ファンタジーランドの世界観だねぇ
ありがとうございます(^з^)-☆Chu!!💕
いつもありがとうございます(^_^)ε^ )
じゃ またね。ありがと。うふふ。ラロロラロレ
じゃ またね。ありがと。うふふ。ラロロラロレ
真っ白になるほどの激しい雨だよ~狐さまの洞窟は冠水してないかい?
私は6Fだからね。避難場所はうちに来なさい。手料理付いてるからさ!
運転は注意してね。相手あっての運転だから事故に注意だよ!
私は地下鉄移動に切り替えたからさ!
今夜も無事に帰ること~so lovely💕
行ってらっしゃい^^行ってきます❤
いつもどこにいても大好きだよ~❤
おかえり。
後ろにあるのが行平鍋のようなもので
箱に一杯の装身具を惜しげもなく手放し、30両のお金を工面して
これで炊き出しを行なったらしい。
俄かじこみだけど、これこそ名婦伝に相応しい話ではないかい
昔の漢字がいっぱい出てくるからIMEパッドで手書き入力して
検索しながら当て字の意味を探さんといかんのよ。ふぅ~
サイケデリックだけど心理状態は今んとこ正常 ラロロラロレ
滅入ってしまわないようたまには派手派手で気分転換しないとね
この雨、日本列島どこもかしこも危険だよね。黛みたいな優しさありがとう
まだまだ降り続くみたいだから気をつけて。so lovely!