里の家ファーム

父の死言えず 

2人暮らし18年 父の死言えず 「介護大変、でも幸せでした」 

  東京新聞 2018年7月3日 朝刊

   自宅で亡くなったお年寄りの遺体を、家族が放置する事件が全国で相次いでいる。四月には東京都板橋区の女性(59)が、父親(98)の遺体を放置したとして死体遺棄容疑で逮捕された。なぜ、知人や役所に父親の死を伝えられなかったのか。理由を知ろうと、不起訴処分で釈放された女性の家を訪ねた。(木原育子)

 

 築六十年ほどの木造二階建て。和室には小さなテレビ、使い込まれたダイヤル式の黒電話。父親の服はハンガーにかかったままだった。「まだ父がここにいる気がして」。女性は今にも涙があふれそうだった。

 警視庁は当初、父親の年金をだまし取ろうとした詐欺の疑いを視野に捜査した。しかし女性は「そんなつもりはなかった」と否定。自宅へ通ううちに、胸の内を話してくれるようになった。「父親のいない日常はなかった。幸せな時間が急に切れてしまって…」

 父親は太平洋戦争の激戦地ラバウルに従軍し、戦後は医療器具の工場に勤めた。母親と結婚し、四十歳近くになって念願の一人娘となる女性を授かった。

 女性は高校卒業後、デパートの売り場で勤務。十八年前に母親を病気で亡くし、父親と二人暮らしをしていた。十二年前、父親の体が弱り、介護に専念するため仕事を辞めた。その後、父親は二度の心臓手術を受け、寝たきりに。貯金は底を突き、父親の年金と恩給で生活していた。

 「介護は大変だけど、幸せでした」。スーパーですしを買って帰ると、「ありがとう」と喜んだ父。その笑顔がいくつになっても安らぎだった。寝たきりになってからは、ラバウルの空や海の美しさを何度も話してくれた。

 そんな日々が終わりを告げたのは三月。いつものように「おはよう」と声をかけたが、返事はなかった。頭が真っ白になった。「二日くらい何もできなくて。これからどうやって生きていこうか、一気に考えなければいけなくなって…」

 「大切に育ててくれた父を、きちんと母の元へ送りたかった」。だが、葬儀代がない。「周りに迷惑をかける。お金を貸してと言えなかった」。部屋に異臭がするようになり、芳香剤を置いた。「罪の意識があり、もっと言い出せなくなって」。いっそ自分も死のうかと考えた。父親に叱られた記憶はなかったが、「今度ばかりは、空から叱られる」と苦しくなった。

 約二週間後、ようやく信頼する近所の女性に打ち明けた。「ごめんなさい。あのね、実はお父さんが死んじゃったの」。ぽたぽたと涙がこぼれた。

 生活保護受給者は、葬儀代の「葬祭扶助」を受けられる。金額は自治体で異なるが二十万円程度。女性は生活保護世帯ではないが収入がないため、都や板橋区によると、葬祭扶助を受けられた可能性がある。

 全国で介護サービスの受給者は五百万人近い。六十五歳以上の単独世帯の割合は全世帯の11・1%(二〇一五年国勢調査)に上る。いずれも年々増えている。ぎりぎりの生活を送る人ほど、周囲に頼る余裕さえ奪われる。もっと社会に寄りかかっていい。社会に頼っていいはずだ、と思う。

 女性は「生活を立て直したい」と求職中だ。父親は元気だったころ、近所の缶詰工場から桃の種をもらい、縁起の良いカメや小づちを彫るのが得意だった。女性は、その「お守り」を握り締め、前を向いて歩きだそうと誓っている。

 


 

 

「まだ、この政権でいいのか!」

 2018年06月27日 | 社会・経済  の記事である。

二階発言「“産まない方が幸せ”は勝手な考え」「食べるのに困る家はない」

何の責任も感じない「無責任政権」を支える幹部である。

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