よしGの百歳イブまで

喜びの「 よ 」良かったの「 よ 」よろしくの「 よ 」で、今世を生き抜こう。

比治山の防空壕探検の話。

2016年02月04日 | 日記

小学校のころの話です。

ロバのパン屋 http://blog.goo.ne.jp/morinoya/e/8fbae05c8be0186ffe78788d57148909

ポン菓子 http://blog.goo.ne.jp/morinoya/e/2f9ddf96fe6be4c0699393cfd79108e6

で思い出しました。

比治山には戦時中に防空壕が掘られていました。

ピカドンのときにはそこに避難したと聞いています。比治山下の防空壕が京橋川を渡ってこれれたようです。

その防空壕の中で2か所、

①の防空壕(丸1の地図表示です)と②の防空壕(丸2の地図表示です)に探検に行っていました。

私たちは「口の穴」と「狸公園の防空壕」と呼んでいました。

口の穴は、現代美術館別れのABCC方面へちょいと行った最初の大きな駐車場のがけの中腹に位置します。

写真は現在ですが、ピンク線は光茶屋駐車場まで崖で、みんなが登ったのか手が突っ込める穴がところどころあいていて、それをたよりに登ったものです。

記憶では、ピンク丸の位置だと思うのですが、現地のくぼみは青い丸が臭い?

今はつぶしてあって、分からない状況です。

なんでこんなところに防空壕が存在するのか、今思えば不思議な防空壕です。

ネットから、イメージに一番近い穴です。参考までに!

青丸のくぼみの現在の様子です。

口に様な楕円の一人ようやく入れるくらいの入り口です。なかは大きな空洞になっています。たしか12畳くらいの広さだったと記憶しています。

入る前にろうそくを点け、一人一人はいります。最初の奴が一番こわい!

全員はいったら、毎回お宝(なにがお宝かは探してあったらそれがお宝なのです)があるか壁や落ちているものをくまなく探します。

一人がゲジゲジを発見。

「出た~っ!」

何が何だか分からないうちに全員入り口へ一目散。狭い入口に我よ我よと駆け上がります。

最後は二三人が詰まってバタバタだったのを思い出されます。

 

もう一つが狸公園の防空壕です。

ピンクの丸あたりにあったと思います。

これは、長いトンネルのような穴です。よく掘ったなあと思うくらい長い。

行き着いたところは、浮浪者が住み着いているのか布団と少ない生活用品があります。(その方に出くわせたことはありません)

ここは度胸試しの防空壕です。

これもネットでイメージ近い防空壕を引っぱってきました。

一人一人ろうそくの明かりを頼りに布団があるところまで行きます。

二三回カーブを曲がったところが終点です。背後からは友達が「出た~」とか「こら~わりゃなにしょるんや」とか大人の声をまねて脅しをかけます。

ろうそくの揺れに影がおなじように揺れるのが不気味! 出るかもしれん? 浮浪者がおったらどうしよう?とか不安が頭を過ぎります。

ようやく終点、大きな声で「ついたぞ~」というと早足で出口へ……。

明かりが見えれば一安心とホットしたものです。

最近足を運びましたが、これらの防空壕はすでに埋められています。

口の穴も狸公園の防空壕もくぼみはあったのですが特定できていません。

地図には多分の範囲内ですが記憶をたどってマーキングしています。違っていたらごめんなさい。

地図の③・④(3・4ですMAC系は表示できない)は

明日記入しますが、

比治山の「天狗の足跡」がある岩に行った時の話です。

それと比治山貝塚です。

乞うご期待!(狭い地区の話なので、分かる人少ないだろうなぁ)


嬉しいことに母ちゃん退院、そして老健リハビリ入院。

2016年02月03日 | 日記

夕食時間に見舞いに行った弟からメールが来た。

 

「飯は沢山食べてるよ 母ちゃんは他の患者さんより比べものにならない位元気だよ 少しわがままにもなってるけど あれでいい 今日の食事はまあよく食べたほうかな あの環境でいいのかな母ちゃんだけ全く別にみえるよ それはそうと母ちゃんの靴新しくなってるけどお兄ちゃんが買ってあげた?」

 

中電病院入院中は飲食が細くて本当に心配した様態であった。

看護師がいうには、高齢だし自分から動こうとする意識がないのでこの状態を覚悟して設備の整った施設へ準備した方がいいと言われた。

一時的に歩けるようになったら、自宅介護を条件に仁保にある老健でリハビリ入院で受け入れてくれることになった。

五日目の昨日は、弟のメールにあるように食欲が湧いてきた。嬉しいことである。

榎本さんに母ちゃんの浄化をお願いして2か月目に入った。指示通りに意欲が湧くようにやり取り、バックでは見えない世界での浄化応援!

感激したのが、意欲の最大のトリガーである弟と三人で家に帰って旨い寿司と冷えたビールをわいわいパーティをすることの指示が素晴らしかった。

まだ入院中の時、自力で寝返りする意欲もなく看護師さんが手助けしなければならないとき、ベットの左右にその寿司とビールのチラシを貼り付けるというものであった。

この時の自作のPOPがこれだ

私たちがいる時は、退院するために頑張ると手足を自力で動かすのだが、看護師さんに聞くと意欲がないと言う。やはり意欲が続かないのだなあと思った、この方法アイデアは助かった。

この老健に来てからも寝返り(今は自力でする)が寝返った時に目に飛び込んでくるようにやはり左右に寿司とビールの写真をおいた。

老健のリハビリ師は3か月かかってゆっくる歩けるようにする、とのこと。

でも母ちゃんは早く退院したい、老人臭い老健では意識が感化されるというんです。すばらしい!

とにかく、①リアルリハビリとリアル団体生活と②見えない世界での魂の浄化と③我ら家族の愛情の三本柱でこの2月中退院をイメージするぞ!

そして、有休とって寿司パーティを家でするぞ!神様ご先祖様一緒に祝ってくださいね。

神様、親父、母ちゃん!

私たち兄弟を、親父とお袋のこどもに産んでくれて、ありがとう!

お袋には、いつも直接言おう!

そういえば、老健のみんなに「息子がやさしいでしょう」とよく言うようになった。

帰る時に手をふる姿が、親ながら可愛いと思った。

 

ちなみに、弟のメールでの靴は、老健で貸してもらった。どうやらかかとがつぶれて履かせにくかったので履かせやすい靴に変えたのが真相だった。

 

なお、見えない世界に興味ある方は、デーリールーツファインダーをお勧めする

非宗教組織論者の私のいうところの人間臭いすばらしい人である。(二三回会ったことぐらいだが、このブログを通して読まれると人となりが分かると思います)

http://dailyrootsfinder.com/

 


そういえば、シュッ~ボ~ん!と大爆発音のポン菓子も街角によく来ていました。

2016年02月02日 | 日記

ロバのパン屋と同じようにポン菓子もありました。

スーパーなんてない時代です。このポン菓子が来たときは嬉しかった。

 

シュッ~ボ~ん!ワァ~の歓声でいつもの裏通りの道路わきにポン菓子が来たことが分かります。

母ちゃんに言って、お米とお金と空の一斗缶をもらい急いで現地へ向かいます。

お~、やってるやってる。すでに何人もの列が並んでいます。

金持ちの子は、ポン菓子に砂糖を溶かして混ぜ合わし固め四角に切ったのを頼みます。

私んちは、ボ~んと網の中に出たポン菓子をそのまま一斗缶に入れてもらいます。

金額はいくらだったかは忘れましたがお米の甘さがポン菓子に出て、今でいう素材の味が……なんて言葉が出てきそうなおいしさでした。

へんな味付けをするより好きでした。

 

家に持ち帰り押入れの一角に納めて三時を待ちます。

毎日茶碗一杯がおやつの分量です。

 

1週間もすれば無くなりましたが、至福のひと時でしたよ。

あのポン菓子のおっちゃん、言葉はぶっきら棒だったがおもろいおっちゃんだったなぁ!


ロバのパン屋知っていますか?

2016年02月01日 | 日記

ロバのおじさん チンからリン
チンからリン やってくる
ジャムパン ロールパン
できたて やきたて いかがです
チョコレートパンも アンパンも
なんでもあります チンカラリン

 

だそうです(ネットから、 題名「パン売りのロバさん」矢野 亮作詞  豊田 稔作曲  キングレコード 近藤圭子歌)

このロバのパンですが、現在も移動販売をしているのは、京都・大阪・徳島・香川・高知・愛媛・大分・熊本だけだそうです。(ネットから)

わが50年前くらいまで、広島にもチンカラリンとやって来ましたよ。懐かしい!

ロバを見に駆けつけました、後年は馬に変わって、移動販売車になったそうです。

 

そういえば、50年前くらいには広島市内にも早朝だけ、馬が闊歩していました。車が少ないからですかね。

小学校の伝説に、馬糞を踏むと足が速くなるっつうのがあって、ワラ交じりの馬糞を踏んだものです。

早くなったのかなあ?

徒競走の順位変わらなかった。

 

話は戻って、ロバのパン屋さん。

私は実はロバのパン屋さんで買ったことないんです。

とにかく、ロバの追っかけのみ。なぜ買わなかったは不明です。

馬になってからの馬糞踏みをしたかって?覚えてませ~ん。

多分、買っている人を見て欲しがっていたのでしょうね。

 

でも、近所に駄菓子屋がありました。

たん子たん吉だったかな、くじ引きで引いてあたりだったら大きい袋のやつがもらえる。はまってました。

当時の駄菓子屋はくじ引き系のやつが色々あって小遣い無駄買いしたなあ。(無駄買いと思ってなかたりして)

 

そういえば、貸本屋もあったな!

サンデーにマガジン、後から出版されたジャンボ、キングと週刊マンガを食い入るようにみていました。

貸本屋のおばあちゃん、発売日になったら行くので自分分はのけておいてくれるくらい常連でした。

ほんと貯金もせず完全に遣っていました。

 

あとからこれらを編纂して自分史作りに役立てようと思うのだが、こんなこと載せていいのだろうか?

もっとためになることを残しておかなくっては?ね。

 

そうそう、高齢の母が退院しました。

看護師には1か月も起きていないので足腰が弱くなっているので立って生活することは困難かも!

と言われていたのですが、

病院はその病気が直ったら、退院予定日まで簡単なリハビリで終了なんですね。

立てないので生活に困難ですので、老人保健施設にと相談員から話があり、無事見つかり28日からその老健でリハビリ入院しました。

本人は退院と喜んでいましたが、再度リハビリ入院と聞いてがっかりしたことでしょう。

まあ意味がわかって早く家に帰れるようにと頑張ってくれていますのでよかったです。

 

母の状態は、看護師さんの言われる通り高齢でそうかなと思っていたり、あまりにも憔悴していたので覚悟までしていましたが、

 

母は、さらにリハビリし出ししたら、倍増でむっちゃ元気になり安心しています。まだ歩くことは無理ですがリハビリ入院さきの老健でさらなる効果を楽しみにしています。

母ちゃん、昔どおりのお隣さん的愛でわけ隔てのない愛をいろんな人に今まで通り与えれば、きっと神様は見放しにはならないから……。

神様!

ご先祖様!

親父!

すぐ頼り癖のある(いかんいかんと自分を強くする勉強中であります)軟弱な非宗教組織論者の私ですが、マザーテレサや渡辺知子さんなど個人ですばらしい聖職者は信じています。

個々はすばらしい能力をもっていらっしゃるのに、組織になると不都合さがその能力のじゃまにして組織論を優先し捻じ曲げる現象があると思うので、宗教団体のそれはあまり信じていないのが現状です。

組織が作った、お守り札とか仏像(美術的には好きです)、神社仏閣で拝礼するとかは宗教組織が形成したもので信用していません。

しかし、お葬式や墓をどうするかは親戚の手前や周りの状況でせざるを得ないかなと思ったりしている……。だから軟弱なのです。

 

でもこれらのことも含めて、人として生かされている自分として、学ぶべきものは探究していくものは死ぬまであると思っています。

89歳のおばあちゃんの命ってどこにあるのよ、と探究し続けていた姿勢は、亡くなった今でも心のなかに残っています。

気付かせていただいておばあちゃん感謝申し上げます。