NHKのドラマ 「いだてん」を視聴した。
いだてん=足の速い神様?
ドラマの背景は現実のそれはかなり異なる様に感じる。
四三が生まれた付近に、立派な石橋、トンネルは見当たらない。
ミカン畑もない。田原坂は遠すぎるし、貧弱に見える。
これがドラマであるう。
自分のおぼろげな記憶であるが、はじめて金栗四三を見たのは敗戦後の昭和21~22年で、
小学4年生の秋。運動会の来賓として祝辞を述べられたのを思い出す。
当時、住いは旧玉名郡小田村川辺田で急な山坂を登り切り、かなり下りきればやがてわが花族小学校(旧)。徒歩で来校されたのかもしれない。
お祝いの言葉は別にして、何を語られたのか記憶にない。恐らく、オリンピックにマラソン選手として出場し、途中、暑さのために精根尽き農家に休まれた事を語られたのかもしれない。
その後、熊本県教育委員長の任を努められた。
山坂を下りきった、山と水田地帯の境に立派なお墓がある。(旧玉名郡小田村川辺田)。
いだてん=足の速い神様?
ドラマの背景は現実のそれはかなり異なる様に感じる。
四三が生まれた付近に、立派な石橋、トンネルは見当たらない。
ミカン畑もない。田原坂は遠すぎるし、貧弱に見える。
これがドラマであるう。
自分のおぼろげな記憶であるが、はじめて金栗四三を見たのは敗戦後の昭和21~22年で、
小学4年生の秋。運動会の来賓として祝辞を述べられたのを思い出す。
当時、住いは旧玉名郡小田村川辺田で急な山坂を登り切り、かなり下りきればやがてわが花族小学校(旧)。徒歩で来校されたのかもしれない。
お祝いの言葉は別にして、何を語られたのか記憶にない。恐らく、オリンピックにマラソン選手として出場し、途中、暑さのために精根尽き農家に休まれた事を語られたのかもしれない。
その後、熊本県教育委員長の任を努められた。
山坂を下りきった、山と水田地帯の境に立派なお墓がある。(旧玉名郡小田村川辺田)。