昨年、計画(素案)が発表され、11月末から12月末にかけてパブリックコメントが実施されました。
今日の文教委員会にはそのとりまとめと、この間の議論に基づいて修正された計画(案)が報告されました。
質疑を通じて大変(だと思う)問題点が2つ浮かび上がってきました。
1つは、パブリックコメントのすべてが検討委員会に出されていないことです。私は質問で「パブリックコメントはどのレベルで見ているのか」と問いました。課長は「事務局ですべて見て、事務局の意見を付けた要旨を検討委員会に出している」と言うものでした。結局、事務局(行政の)フィルターがすでにかけられ、行政の意に沿わない意見は検討委員会に出されない可能性があるということです。これではますます教育がゆがめられてしまうと言わなければなりません。
2つは、目標の設定、指標の選定です。教師が精一杯努力してもできない可能性のある課題が指標として採用されています。たとえば「週1時間以上勉強する子どもの数」。先生が一生懸命指導しても、子どもの事情、家庭の事情は多種多様です。にもかかわらず、数値が上がらなければ先生が責められる可能性があります。ひどいのは「いじめの解消です」。当初は「いじめをなくすとりくみ」が指標でした。検討会議で「いじめはなくさないといけない」との意見が出され、目標値を「どれだけ解消したか」に改めると言うんです。これまた先生や学校の努力では解決できないいじめはたくさんあります。もちろん、いじめはなくすべき課題ですが、「いじめ解消目標」を設けることによって様々な悪影響が生じる可能性があると私は思います。
今日の文教委員会にはそのとりまとめと、この間の議論に基づいて修正された計画(案)が報告されました。
質疑を通じて大変(だと思う)問題点が2つ浮かび上がってきました。
1つは、パブリックコメントのすべてが検討委員会に出されていないことです。私は質問で「パブリックコメントはどのレベルで見ているのか」と問いました。課長は「事務局ですべて見て、事務局の意見を付けた要旨を検討委員会に出している」と言うものでした。結局、事務局(行政の)フィルターがすでにかけられ、行政の意に沿わない意見は検討委員会に出されない可能性があるということです。これではますます教育がゆがめられてしまうと言わなければなりません。
2つは、目標の設定、指標の選定です。教師が精一杯努力してもできない可能性のある課題が指標として採用されています。たとえば「週1時間以上勉強する子どもの数」。先生が一生懸命指導しても、子どもの事情、家庭の事情は多種多様です。にもかかわらず、数値が上がらなければ先生が責められる可能性があります。ひどいのは「いじめの解消です」。当初は「いじめをなくすとりくみ」が指標でした。検討会議で「いじめはなくさないといけない」との意見が出され、目標値を「どれだけ解消したか」に改めると言うんです。これまた先生や学校の努力では解決できないいじめはたくさんあります。もちろん、いじめはなくすべき課題ですが、「いじめ解消目標」を設けることによって様々な悪影響が生じる可能性があると私は思います。