この時期紅葉が見頃と思いみたらい渓谷とそれから国道309号線沿いに行者還トンネルを
越えて車で走り付近の紅葉を堪能してきました。
かなり早朝に出かけ下市町を過ぎたあたりから景色が一変、霧がでてきてみたらい渓谷に
着いたのが7時過ぎだったと思います。それから2時間ほどもそこにいなかったと思うのですが、
早く来てよかったと思いました。
二つの川が合流している所で川中は大きな岩がゴロゴロ。川沿いの岩肌と水の色、滝、木々の
色づきが合わさってよかったです。水はほんとうにきれいそうでした。観音峰登山口に車を駐車
してみたらい渓谷の遊歩道を歩きましたが主要なところは2kmもあるかないかでしょう。
その往復。
それから石倉トンネルを抜けて、国道とは名ばかりの対向もできないような危険そうな山道を
かなり走りました。主要な国道以外のこの国道309号線は26kmほどだそうです。
行者還トンネル付近はほとんどの木々は葉を落としていました。それもあって行者還岳には
登りませんでした。近くから見ますと険しい山のイメージで、何回かは一人でも上ったことが
あるのですが。遭難も時々あるようです。下山時に迷ってしまうとか。
中腹などは天気もよく一面の紅葉で見事した。雄大な景色。ただ天気がよすぎて写真には
ならない所もあり。また三脚を使って撮った方がよかったのでしょうが。
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飛鳥に都があった頃、そのあたりから見ますと東側に高くそびえます山々を多武峰
と言います。藤原鎌足と中大兄皇子(当時は若かったと思いますが後の天智天皇)
が乙巳の変(大化の改新)につながるような蘇我入鹿打倒の密談をしたともされる
山です。本当のところはよくわかりませんが。
そこに藤原鎌足を祀った談山神社があります。紅葉が始まっていました。
朱色の社殿と色々な色合いの紅葉の葉もよかったと思いました。
帰りに出口付近で折口信夫博士の詠まれた短歌が書いてありましたが、なかなか
興味深いです。今日私たちも同じように明日香の石舞台の方から山を登り、帰りは
また明日香の方へ下りました。同じような道。
飛鳥時代の人々は多武峰に天下った神々がこの多武峰からさらに天香具山へ
降りると考えたのかもしれません。山々が続いているようにも思えますので。
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高野山紅葉のつづき。
壇上伽藍から金剛峯寺へ続いていく道を蛇腹道と言うそうです。
両側色づいた木々に囲まれる風景が紅葉スポットらしい。
金剛峯寺の中の庭園にも紅葉がよく調和していました。
この時期、イベントも行われていました。
そこを出てから、紅葉のスポットとして有名な場所を回り最後に
女人堂まで行き、そこから駐車場所まで引き返しました。
女人堂はこの場所が高野山下から上ってくる高野七口の一つの登り口
にもうけられた女人の参篭所でただ一つ残っているものだそうです。
昔は女人禁制で高野山(一つの山ではなく地域)の中に女性は入れな
かったようです。
帰りの山道は雨が強くなりガスっていましたが、傘をさして歩けるような
山道でした。
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天気はあまりよくありませんでしたが、時期的に紅葉時期になっていました
高野山へ行ってきました。 自動車道が部分的に開通していますので奈良県から
でも比較的便利に行けるようになっています。
天気悪化が予想されましたが、やはり少しは山道を歩いて上ってからの方が
よいだろうと世界遺産になっています町石道を40町石付近から上りました。
1町(約109m)ごとに卒塔婆と言うのでしょうか町石が立っていますので
そこにかかれています数字で高野山壇上伽藍までの道のりがわかり、どんどん
数字が減っていきますので歩くのが短く感じます。平安時代に立てられたもの
もあり、藤原道長も歩いてこの道を上ったと言うことです。麓の慈尊院からで
は180町あるので20km弱です。
山道最後の方に急な登りがあって自動車道に出たところが高野山の入り口に
立つ山門の大門です。
今にも雨が降りそうで午後には雨になりましたので写真のピントが甘いのかも
しれません。壇上伽藍他紅葉がきれいだったところをあちこち見て回りその
写真です。
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