熊野古道の一つ小辺路は高野山から熊野本宮大社へつづく道で
世界文化遺産に登録されています。
1000mをこえる峠を3つほども越えて続いているようです。
その内、比較的バスの便がよいと言われる奈良県十津川村果無(はてなし)
から和歌山県の熊野本宮大社の間を歩いてみたいと最近思うようになりました。
色々調べた結果、奈良県側からでも先ず和歌山県側に車で行き、今回
歩き始めることになる果無越えの登山口(櫟砂古バス停)へ路線バスで
戻りそこから果無峠越えで本宮町の道の駅奥熊野まで歩くことにしました。
とにかくバスの便が少ないので、時間通りに歩けるかなど事前調べをして
行ったことがよかったと思います。
果無峠付近は少し急坂になり石を敷いた下り道など滑らないように気を
遣いました。雨がいつ降り出してもおかしくない天候で峠付近ではガスって
いて蒸し暑く汗まみれの道中でした。
道は思っていたよりもなだらかで、如意輪観音などの石仏が登山口から
和歌山県側の八木尾(やきお)バス停付近までずっと置かれています。
大正11年12年と書いてありましたので90年以上前に、地元の人たちに
より設置されたようでした。
高野山町石道でも卒塔婆が一丁毎に設置されて歩きやすかったですが、
こちらは約300m毎ぐらいの間隔でしょうか。とにかく石仏の表情がいいし、
千手観音、十一面観音などと違っていました。 小辺路の道を間違えないで
歩いている証でもありました。
果無峠登山口から峠まで4kmあまり、峠から八木尾バス停まで5kmあまりで
約10km。そこから1.6kmほど熊野川沿いの道を歩いて戻りました。
7月に「天空の郷」果無集落へ行った折、今度は果無峠を越えて雄大な熊野川を
見下ろす景色を見てみたいと思っていたことがなんとか実現できました。
朝「道の駅奥熊野ほんぐう」から十津川の登山口まで7:20発の路線バスで
戻りましたがなぜあのくらい時間がかかったのか未だに不思議です。25分から30分。
バス道が遠回りしているのでしょうね。
小辺路の一部を歩いただけでくたくたでした。参詣道とは言え、このような山深く
長い道のり(全部歩くと70kmらしいです)を行き来した人々がたくさんおられた
としたら、驚くべきことです。
天水田 次の写真の住居跡のお宅が稲作をされた跡らしい。
観音堂と言われる場所 道中唯一の水場
果無峠に置かれた十一面観音菩薩の石仏(第十七番目)
三十丁石手前の場所 熊野川が望まれる絶好の見晴らし場所。
○この橋の向こう側に八木尾(やきお)バス停があります。下ってきたところです。
明日香村稲渕はこの時期棚田と彼岸花で訪れる人も多いようです。
機会があり初めてですが棚田沿いの案山子ロードを歩きました。
今年はリオでのオリンピックをモチーフにした作品がほとんどでしたが、
単なる案山子とは言えません。
その時は知らなかったのですが、地元のNPO法人がテーマを決めて
毎年募集して案山子コンテストとして行っているものでした。
今年のテーマは「棚田deオリンピック」だそうです。明日投票で
コンテストの結果が決まるようです。興味あります。
万葉集に歌が載っていることで有名な「飛び石」も初めて見ました。
一度見てみたいと思っておりました。飛鳥川もこの付近ではまだ川幅は
広くはありませんでしたが、水が流れ落ちる音が随所に聞こえました。
稲穂も色づき始め趣のある景色でした。
「神奈備の里」の幟も見かけました。
神奈備(かむなび・かんなび・かみなび)とは、神道において、
神霊が宿る御霊代・依り代を擁した領域のこと。
稲渕あたりはその神奈備を思わせる風景ですね。森や岩。どこにでも
ありそうだが、明日香ならではとも言えます。
飛び石のことを詠んだ万葉歌
明日香川 明日も渡らむ 石橋(いしばし)の
遠き心は 思ほえぬかも
作者不詳 万葉集 巻第11-2701
(現代語訳)
明日香川、あの川を明日にでも渡って逢いに行こう。その飛石のように、
離れ離れ遠く隔てた気持など少しも抱いたことはないのです。
奈良県東部室生村、室生寺の近く「芸術の森」に行ってきました。
近くの室生ダムにも行きましたが道がわかりにくく取りやめました。
室生村に1930年12月に生まれた著名な彫刻家が発想していた風景彫刻を
奇しくも同じ日に生まれたイスラエルの世界的な彫刻家がその遺志をついで
「太陽の道」(大和盆地に一直線上に有名な古墳や社寺がならんでいると
いう北緯34度32分を指すようです)というコンセプトで造られたというものです。
周りの緑の木々とまた違った造形物との調和がすばらしいと思いました。
いくつかのポイントとなる造形物はあとから説明を読むとよくわかりました。
太陽の道や南中が造形物に組み込まれています。
水辺の景色もうまく取り込まれています。
秋の色づいた頃はまた違った風景になるのではと思います。
地滑り対策の事業がこのような芸術作品に生まれ変わるとは、本当に
優れた芸術家の才能は言うまでもなく素晴らしいです。
鹿の害などで一部実現されていない場所もあるようですが、いつか
それも見られるようになる気もしますので、もう一度行ってみたい。
詳しくはこちらのHPで。