Freewheeling life ver.Ⅱ

自由気ままな人生 ~第二章~

アウシュビッツ・ビルケナウ

2015年08月01日 | 2015年 夏 ポーランド&チェコの旅
本日は、現地ガイドさんとアウシュビッツ・ビルケナウ観光へ行って来ました。

旧市街地から車で1時間の郊外に収容所があります。

私達は、11時の入場だったの少し待ってから中に入りました。



ここが有名な死の入り口。

騙され連れて来られたら人も多くいたそうです。

初めは、罪人・土地を広げる為に邪魔になった人々を、アウシュビッツへ集められたそうです。

それから時代の移り変わりと共に、第二次世界大戦の勃発で、この場所が罪の無い人やユダヤ人・農民・女・子供あらゆる場所からここへ送られて来たそうです。

収容しきれない理由から、第二殺人工場(ビルケナウ)が造られたそうです。

そして中に入ると、SS(ナチスドイツ軍)によって仕分けさたそうです。

働ける者・病気の者・子供・女・ユダヤなど、ただユダヤ人はすぐに虐殺されたそうです。

しかしながら、この場所から生き残った人もいるそうです。

今回のガイドさんの義理のお母さんがその一人だったそうです。(昨年98歳・永眠)

その生々しいお話も聞きながら、いろいろ説明をしてくれました。



生き残った者は、すべてPoland人だったそうです。

ただ例外もあり、ユダヤ人とは言え双子の子供は人体実験の為、別扱いとなり生き残ったとのこと。

1人は、亡くなりもう1人は、現在アメリカに住んでいるそうです。

生き残った彼らは、この惨劇を語り続ける者・罪の意識に襲われる者いろいろ思いはあるそうです。

アウシュビッツ館長は、戦後解放されこの地で惨劇を語り続けたそうです。



ビルケナウ



アウシュビッツの10倍の広さがあるそうです。

収容場は、一棟に300人 2畳程の広さに6・7人が重なって寝ていたそうです。

想像を絶します。

トイレ使用も1日2回・お水も2回・食事は1度・ほとんどの人が骨と皮。

シャワーを浴びることが出きると言われ、全裸にさせられ、実は毒殺の部屋へ入る為、身包みをはがすためだった。

聞いた事を、全部話すには時間が掛かります。

また帰国後に時間があればアップします。

ここへ来て残虐卑劣な時代があった出来事を、詳しく聞けて良かったと思っています。

二度と同じ過ちを、繰り返してはいけいと強く感じました。

一言では言い表せませんが、何かが自分の中で変わった様な気がします。

全世界の平和を、切に祈ります!

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