何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

祥一郎………お前を奪ったものは………

2016年02月28日 | 日記
ぜ祥一郎は死ななければならなかったのだろう。

なぜ私は祥一郎を奪われられなければならなかったのだろう。


祥一郎と私…………


それほど人に優しくしていたわけではないけれど、さりとてそれほど人に冷たく接していたわけでもないと思う。


人並みに嫉妬や憎しみを持ち、関係が悪くなった人だって居たけれど、それとてやはり人並みだったはず。
その人を困らせる事をしたわけでもない。


夢が叶ったわけでもなく、成功を収めてきたわけでもなく、愛する仕事に巡り合ったわけでもない。

お金は………何とか食べていけはしたけれど、とても贅沢ができる時期があったわけでもない。


二人でなんとか住める小さな部屋を借りて、二人でなんとか食べていける収入を得て、たまにささやかな喜びを噛みしめて、後は地を這うように生きてきた。

20数年間、二人で喜怒哀楽を分かち合い、同じ釜の飯を食べ、頭を並べて眠り、ささいな喧嘩もし、それでも二人一緒に傍に居て、お互いの温もりを感じて、自分にはこの人が居るからと思える年月を過ごしてきた。

それのどこがいけなかったのだろう。

あんな、あんなに突然、あんな形で、あんなに後悔をするような形で、なぜ二人は引き裂かれなければならなかったのだろう。


これが何らかの罰だとしたら、いったいどんな行いに対しての罰なのか。

それとも単なる偶然の出来事か、様々な条件が重なった必然なのか。

祥一郎………お前は今どう考えているの?

おっちゃんは、おっちゃんは、何をどう、どれだけ深く考えても、お前を奪われた原因がわからない。

あと一日、いやあと数時間あればお前を病院に連れて行き、たとえ入院することになっても、その後なんとかなったと思えてならない。
いや、なんとかなったはずなんだ。

まるで、その一歩手前で誰かが、何かが、「いや、それはならぬ、許さん。」と言って、巨大な手でお前を連れ去っていったとしか思えない。

砂漠を歩き疲れ息も絶え絶えになり、あああそこにオアシスがある、やっと辿りついて水を飲もうとしたら、それは蜃気楼だったというような。

雪山を彷徨い歩き、凍えながら、やっと山小屋を見つけたはずが、それは屋根も無い、囲炉裏もない、ただの張りボテの絵に描いたようなものだったというような。

何かの悪意ある、筋書きだったとしか思えないんだよ。

 
お前もおっちゃんも覚悟を決めて、多方面に相談し交渉し、こんな貧乏な二人でも、なんとか医療の恩恵を受けられる手筈が整っていたはずなんだ。あの日に。


祥一郎よ………お前とおっちゃんは、その悪意ある何者かの筋書きに乗せられ、負けてしまったのか。


二人の絆は、それほど脆いものだったのか。

いや、そうじゃない。


お前とおっちゃんの間には、確かに愛があったし、情があったし、何よりお互いが帰る場所だったはずなんだ。


それを、それを、あの日あの時、気まぐれのように奪われてしまったんだよ。


祥一郎………、おっちゃんはそのことに対して、何に復讐し、誰を呪えばいいんだろう。

私がこの先どれだけ生きて行こうが、すぐ死んでいこうが、おっちゃんはお前の為にそれを探しだして、決着をつけたいんだ。


祥一郎………それが、おっちゃんがお前をこんなにも愛していたという事の落とし前だと思っている。


祥一郎………愛する祥一郎よ………お前とおっちゃんの縁(えにし)は、未来永劫、もし生まれ変わっても強く結び付いているんだよ


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