久しぶりの祥一郎の夢。
昨夜、祥一郎の遺影に酒を供え、一緒に飲んだ。その私の想いに答えてくれたのか、何日ぶりか、いや何週間ぶりかで彼に逢えた。
私は尋ねた。
「お前は自分の症状を分かっていて、もう先が無いことをだいぶ前から分かっていたの?」
祥一郎は答えた。
「そんなん、わかるはずないやろ!」
と、私はこっぴどく叱られた。
でも彼の容貌は、頭髪も綺麗に整え、清潔な衣服を纏い、もう死を覚悟したものだった。
さすがにもうすぐそこに自分の死が迫っているので、身支度をした彼を見て、私は見ていて居ても立っても居られず、外に飛び出した。
そこには映画館が有って、この世で最悪に悲しい映画が上映されているらしく、大勢の人々が泣きながら出てくる。後から後から。
それを見て私は思い直す。
祥一郎の死が目前に迫っているのなら、一分一秒でも一緒の時間を過ごさなければ。
そう思い直して、急いで部屋に帰る。
すると祥一郎が、もう死にかけているのに、一階にある部屋のポストの郵便箱を確認している姿が見えた。
近づくと、なんと、彼の身体はもうバラバラになっていて、手足や頭部が散乱しているのだ。
私はまだ意識が残っているような彼の頭部に、一生懸命何かを叫んでいる。
何か反応が無いか、一生懸命いつまでも叫んでいたのだった・・・・・。
悲しい、あまりにも悲しく、少々おぞましい夢だった。
いつものように、この夢の彼のメッセージを読み解こうと思う。
やはり彼は、自分の症状が死に繋がるものだという認識は持っていなかったのではないか。或いは、幾人かの人から指摘されたように、怖くて認めたくなかったのか。
そして後半のおぞましい光景は、死に際しての彼の痛みや辛さ、どれだけ悲しく悔しかったのかを私に伝えているのではないか。
彼はこの世にまだまだ想いを残して死んでいった。私はそう想えてならない。
この夢を見る日の夕方、彼の形身である指輪が無い事に気付いた。
仕事中に汚れてしまうといけないので、外して仕事着のポケットに入れたままで帰宅してしまったのだ。
明日でもいいかなと思おうとしたが、いや、やはりあの指環と一分一秒でも離れたくないと思った私は、急いで職場のロッカー室に戻り、指環を確認し、ほっと安堵して部屋に戻った。
祥一郎は、私のこの指環に対する想いに答えて、久しぶりに夢で逢いに来てくれたのかもしれない。
祥一郎・・・・・・・・
もっと逢いたいよ・・・・
もっと逢いにきておくれよ・・・・・・・
私の意志でお前に逢うことは、もうできないのだから・・・・・・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます