何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

私の支えだった祥一郎・・・・・・・・

2016年02月28日 | 日記
誰かに寄り添い生きる。


祥一郎、おっちゃんは兄弟とも親類とも殆ど赤の他人と同様な関係だから、お前しか寄り添う人は居なかった………


ゲイのカップルは殆どの場合、どちらかの実家で同居する事もなく、ましてや近所に住むことも殆ど無い。


知らない街に来て、まがりなりにも暮らして行けたのは、お前という支えが有ったから。


これがまだ、両親や兄弟、子供などが身近に居たら、悲しみを共有できる可能性はあるよね。


先日、レズビアンのカップルとも話したんだ。
我々みたいなケースは、片方が亡くなると本当にたった一人になってしまう。だからその時の為の心の準備や、そうなってもできるだけ一人きりにならないような方策を今から考えておいた方がいいって。

はからずも祥一郎、おっちゃんはそうなってしまい、たったひとりで今にも倒れそうになって辛うじて生きているんだ。


みんな誰かに何かに寄り添い生きて来た。

みんな誰かに何かに寄りそい生きている。


勿論そうでない人も居る。

一生ひとりで、天涯孤独で、そしてそのまま孤独に死んでいく。

おっちゃんもそうなるだろうなと、お前と出会う前は思っていたんだ。


それが、20数年お前と共に過ごす経験をしてしまった。


もうその経験をしてしまった以上、後には戻れないんだよ。出会う前には戻れないんだよ。

一人で気ままに、誰にも干渉されることもなく、好き放題に暮らすなんてことはもう出来ないんだよ。

お前を思い、お前と食べ、お前と喧嘩し、お前と眠り、お前と歩き、お前と笑い怒り泣き喜ぶ。

そんな生活から、お前が死んだからって逃れることは出来ないんだよ。


これからできることはなんだろうと四六時中考えるんだ………

やっぱりお前の思い出を24時間抱きつつ、お前の菩提を弔い、そしてそれをいきる意味にして、
いつかお前と再び出会えることを信じて、支えを失った古木のように古びた生をまっとうするしかないのかな。



祥一郎………そうするしかないのかな。そうするべきなのかな。おっちゃん一人では答えがでないよ。

教えておくれ……祥一郎…………







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