私を慰めようとしてくれる人達は言ってくれる。
「そんなに自分を責めないで下さい。貴方はやるだけのことをやったではないですか。これは貴方のせいではないのです。どうしようもないことだったのです。」
その事に対して私は反論したりムキになったりは決してしない。
純粋に良心から言ってくれていると思うから。
しかし、それで私は自分を責めるのを止めることができるだろうか。
できない。その人達には悪いができないのだ。
祥一郎は出逢った頃から生まれつき心臓に疾患があることはわかっていて、心臓の薬を飲んでいた。ニトログリセリンや求心という薬も常備していた。
だからちょっと興奮すると息が切れることもときおりあった。
風邪も私よりひきやすく、よく微熱を出していた。
インフルエンザになっても、私はあまり熱発しないのに、あいつは39度ほども熱発する。
出逢って暫くしてからそれはわかっていたことなのだから、祥一郎にはもっと働きかけるべきだったんだ。
仕事運が悪く、アルバイトも切れ切れで勤めたり辞めたりするものだから、国民健康保険証も有ったりなかったり。
私はもっとあいつの為に、長く続けられる仕事を探すのを手伝うべきだったんだ。
そしてまがりなりにも、いつでも病院に行ける体制と収入を準備してやるべきだったんだ。
そして出逢って10年あまり後の、肝炎での入院、加えてHIVキャリアであることの発覚。
あの出来ごとがひとつの転機だったのかもしれない。
泣いて落ち込んでいるあいつを見て、わたしはうるさく「働いて、ちゃんとしようよ。」とあまり言えなくなってしまった。
HIVのほうはまだ発症しておらず、それからも見かけはあまりかわらない年月が続いたため、やはり油断していたのだ。
HIVキャリアであっても、発症を抑える薬を飲みながらまがりなりにも働いている人は大勢いる。
現に私の知り合いにも居た。
それを考えると、「こういう例もあるのだから、お前もできるよ。ね?」とときおり説くこともあったが、以前のように小うるさく言う事はできなくなってしまった。
そして祥一郎の大きな体調変化も無く、年月は過ぎて行った。
私は仕事をし、祥一郎は家事全般をやってくれる。そんな生活の形も有りかなと、自分で納得しようとしながら、年月は過ぎて行った。
だが、それがいみじくもあの悲劇を招いてしまった。
心のどこかで、爆弾を抱えているのはわかっていたのに、今の暮らしに胡坐をかいて漫然と過ごしていった。
結果的に後になって、祥一郎の身体は肝ガンの為であろう、少しずつ確実に蝕まれていったことがわかり、それがあの突然の死に繋がった。
私はもっと行動するべきだった。もっと早くから。もっと強い意志を持って。
例えそれで二人の関係が険悪になろうとも。祥一郎を死なせてしまう事に比べれば、何ほどのことでもない。
愛していたのだから、かけがいのない家族だったのだから、きょう出来る事を後回しにするべきではなかった。
愛する人の命を守るために。
このブログを読んでくれている人にも伝えたい。
もし貴方に愛する人が居るのなら、そして身体に少しでもどこかに異常があるのなら、きょう出来る事を後回しにしないでほしい。私と同じ轍を踏んで欲しくない。
何とかなるさと思い、不安を押さえつけて今を過ごしたため、取り返しのつかないことになってしまった私の愚かさを、どうか他山の石にしてほしい。
私は後悔を続ける。自分を責める。自分の愚かさを恥じる。
おそらくそれは私が死ぬまで続くだろう。
けいさんは、祥一郎さんを大切に大事に
愛していた事は、皆さんが分かっていらっしゃる
でしょう・・。
私は、あまり人間が好きではありません。。
とても
悲しい人間です。
でも・・けいさんのブログを読んで涙がでるのです。
私も人間嫌いですよ。
対人関係でいつも悩んでます。人見知り、ぶっきらぼう、人をあまり信じない。友人も極端に少ない。
だからこそ奇跡のような祥一郎との出逢いが宝物だったのです。
悲しい人間は、何処にでも居ます。
偶然が有ったか無かったの違いでしょう。