お引っ越し 2016年05月27日 | 死別体験 こんにちは。 連絡が遅れました。 実はブログを引っ越しました。 新しいブログはこちらです。http://blog.livedoor.jp/mothra04281030/ 今後ともどうぞよろしくお願いします。
誰も乗らなくなった自転車 2016年05月20日 | 悲しい 住んでいるマンションの前に、まだ祥一郎の愛用していた自転車が置いて有る。 自転車置き場など設置されていないしょぼいマンションなので、私の自転車とともに雨ざらしになっている。だから傷むのも早い。 銀色のフレームの、もう誰も乗らなくなった自転車。 出勤、帰宅する度にじっとそこで誰か乗ってくれないかとばかりにそこに有る。ときにあいつが座っていたサドルを触って、切ない気持になる。 部屋の前をしょっちゅう廃品回収の車がうるさい音を立てて周ってくるが、とても処分する気にはならない。 そうだ、この自転車は一度盗難に遭っている。 確かスーパーで買い物をしているときに鍵をかけ忘れ、探しても見つからず、一応防犯登録はしてあったので盗難届を出したんだった。 それからは仕方なく購入した新しい私の自転車を二人で使い回していた。 数年経ったころだろうか、ある日警察から盗難車を回収したので、取りに来るようにとの連絡が有った。 保管場所は、赤羽から少々離れた埼玉県川口市。 いったいどこのどいつが盗んで行ったのだろう。 大阪ではしょっちゅう自転車を盗まれていた。まあそれが大阪の悪しき文化でもあるが。 でも東京では初めての経験だった。 せっかく見つかったのだからと思って、電車で現地まで行き、帰りはもうあちこち錆ついてボロついた自転車に乗って遠い部屋まで帰って来た。 傷んでいた箇所を修理してもらい、祥一郎専用にすることにした。 物には使っていた人の念が宿るという。 この自転車も何かの縁が有って、戻って来たのだろう。 それを無下に放っておくのもどうかという理由もあった。 元々祥一郎はあまり自転車に乗る奴では無かった。何処に行くにもテクテクと歩いて行く奴だった。健康のためもあったのだろう。 でも、ちょっとそこまで行くのに自転車で行く便利さに気付いて、それからは愛用していた。 以降、この小さな街で、二人が連れ立って自転車で駆ける姿が頻繁に現れることになる。 祥一郎は、公園に行くにも買い物に行くにも以前書いたフィットネスクラブに行くにも、何処に行くにもこの愛車に乗って駆けて行った。 元気に颯爽と短い脚を一生懸命漕いで、風を切って駆けて行った。 元気な頃の祥一郎・・。 そして・・・・・・・祥一郎亡き後、また誰も乗らなくなった自転車に戻ってしまった。 もう盗難から戻って来た時よりも傷んでいるだろう。 やはり物は使ってやらないと、どんどん風化していく。 前に設置しているカゴなどはもう錆でまっ茶色になっている。 (もう誰も、乗ってくれないの?)・・馬鹿な話かもしれないが、自転車がそう呟いているような気がする。 そうだ、この自転車をもう一度修理に出して、私の自転車とともに使い分けしよう。 カゴも新しいものに替えて、油を差して、錆びた鍵も替えて、散歩に行く時などに乗ろう。 新しい自転車を買った方が安くつくかもしれないが、そんなことは問題じゃない。 祥一郎の汗や匂いの痕跡があるこの自転車を復活させてやろう。ひょっとしたら祥一郎が後ろに乗って喜ぶかもしれない。(二人乗りしても警察には見えないね。) そしてこの街をまた駆けて行くんだ。あの頃のように・・・・・・・・・ 祥一郎・・・・・・一緒に夏の街を駆けて行こうね・・・・・・
フラッシュバック 2016年05月19日 | 喪失感 それは突然、何の前触れもなく襲ってくる。 朝起きて来て突然聞こえた祥一郎の悲鳴。そしてドスンという倒れる音。 倒れた祥一郎を助け起こすが、わたしの膝の上で大量に吐血し、急激に意識を失くしていき、目の焦点が合わなくなっていく。 大声で名を呼び、一生懸命心臓マッサージをする私。反応しない祥一郎。鳴き叫ぶクロ。 救急車を呼び、隊員たちが救急処置を行うのを呆然と見ている私。 あの時の光景がリアルに質感を持って眼前に現れるのだ。 部屋でぼんやりしている時、あても無くそぞろ歩きしているとき、電車に乗っている時、買い物をしている時、仕事をしている時。 時と場所を選ばずそれは襲ってくる。 そうフラッシュバックだ。 突然目の前で最愛の人が死んでゆくのを見てしまった人は、きっと誰もが経験するのだろう。 そんな時私は、ただでさえ俯き加減で過ごしているのに、更に顔を下に向け、目を閉じ、歯を食いしばり、眉間にしわを寄せ、ときに「うーーーー・・・・・」という唸りのような声を上げて耐える。 先日などは、部屋でひとりでじっとしていても塞ぎこむだけなので、友人の家へ行こうと思い電車に乗ったその時に襲ってきた。 電車内は座席が空いておらず、ドア付近に立っていた私はその場にしゃがみこみ、できるだけ他の乗客に気付かれぬよう声を押し殺して唸っていた。 何人か怪訝な顔をした乗客も居たようだが、声をかける人は居なかった。 あの時もし誰かに声をかけられたら、私は感情が爆発して大声で声をかけてくれた人に泣きついていたかもしれない。 それを想像すると、かえって声をかけられなくて良かったとも思う。 明らかにPTSD(心的外傷後ストレス障害)によるフラッシュバックなのだが、普段精神安定剤でふつふつと沸騰している大きな悲しみや孤独、 喪失感に無理矢理蓋をしているだけなので、ときおりそれが吹き出してしまうのだろう。 今のところ、フラッシュバックに決定的に効く薬は無いそうだ。 一番困るのは、仕事中にそれが襲って来た時だ。 何度か有るのだが、そんな時はこれ以上ないくらい感情を押し殺して、機械的に身体を動かしている。 何度か職場のご利用者に、「あなた、すごく赤い顔しているわねえ。怖いわ。」などと言われたことも有る。 我慢が過ぎて血流が顔に集中していたのだろう。そして心の中で、「落着け、落ち着け。淡々と淡々と仕事するんだ。」と呟いている。 このままで介護の仕事を続けられるのだろうか。不安でもあり、諦めている面もある。 自ら今の仕事を辞すか、解雇されるか、その内どちらかになるかもしれない。 しかし、こんな状態の自分を私は今すぐに抜けだしたいとは考えない。 最愛の人をあんな形で亡くした者にとって当然のことだと思っているから。 それだけ祥一郎を亡くしたことは私の人生において最大の試練であるし、そしてそれほどまでに祥一郎を愛していたその証なのだから。 私は病気なのかもしれない。いや、確かに精神的に病んでいるのだろう。 いつかこの状態を脱した時、私はどう思うのだろう。 もうフラッシュバックも起こさなくなるほど、祥一郎を亡くしたことを記憶の彼方に押しやってしまって罪悪感を感じるだろうか。 私は思う。 罪悪感を感じるくらいなら、今の状態のままでもいいのではないかと。 それは異常なことなのだろうか。治さねばならないことなのだろうか。 私は未だ、その答えを見つけられない。
自分を責め、後悔すること それは死ぬまで続く 2016年05月18日 | 菩提を弔う 私を慰めようとしてくれる人達は言ってくれる。 「そんなに自分を責めないで下さい。貴方はやるだけのことをやったではないですか。これは貴方のせいではないのです。どうしようもないことだったのです。」 その事に対して私は反論したりムキになったりは決してしない。 純粋に良心から言ってくれていると思うから。 しかし、それで私は自分を責めるのを止めることができるだろうか。 できない。その人達には悪いができないのだ。 祥一郎は出逢った頃から生まれつき心臓に疾患があることはわかっていて、心臓の薬を飲んでいた。ニトログリセリンや求心という薬も常備していた。 だからちょっと興奮すると息が切れることもときおりあった。 風邪も私よりひきやすく、よく微熱を出していた。 インフルエンザになっても、私はあまり熱発しないのに、あいつは39度ほども熱発する。 出逢って暫くしてからそれはわかっていたことなのだから、祥一郎にはもっと働きかけるべきだったんだ。 仕事運が悪く、アルバイトも切れ切れで勤めたり辞めたりするものだから、国民健康保険証も有ったりなかったり。 私はもっとあいつの為に、長く続けられる仕事を探すのを手伝うべきだったんだ。 そしてまがりなりにも、いつでも病院に行ける体制と収入を準備してやるべきだったんだ。 そして出逢って10年あまり後の、肝炎での入院、加えてHIVキャリアであることの発覚。 あの出来ごとがひとつの転機だったのかもしれない。 泣いて落ち込んでいるあいつを見て、わたしはうるさく「働いて、ちゃんとしようよ。」とあまり言えなくなってしまった。 HIVのほうはまだ発症しておらず、それからも見かけはあまりかわらない年月が続いたため、やはり油断していたのだ。 HIVキャリアであっても、発症を抑える薬を飲みながらまがりなりにも働いている人は大勢いる。 現に私の知り合いにも居た。 それを考えると、「こういう例もあるのだから、お前もできるよ。ね?」とときおり説くこともあったが、以前のように小うるさく言う事はできなくなってしまった。 そして祥一郎の大きな体調変化も無く、年月は過ぎて行った。 私は仕事をし、祥一郎は家事全般をやってくれる。そんな生活の形も有りかなと、自分で納得しようとしながら、年月は過ぎて行った。 だが、それがいみじくもあの悲劇を招いてしまった。 心のどこかで、爆弾を抱えているのはわかっていたのに、今の暮らしに胡坐をかいて漫然と過ごしていった。 結果的に後になって、祥一郎の身体は肝ガンの為であろう、少しずつ確実に蝕まれていったことがわかり、それがあの突然の死に繋がった。 私はもっと行動するべきだった。もっと早くから。もっと強い意志を持って。 例えそれで二人の関係が険悪になろうとも。祥一郎を死なせてしまう事に比べれば、何ほどのことでもない。 愛していたのだから、かけがいのない家族だったのだから、きょう出来る事を後回しにするべきではなかった。 愛する人の命を守るために。 このブログを読んでくれている人にも伝えたい。 もし貴方に愛する人が居るのなら、そして身体に少しでもどこかに異常があるのなら、きょう出来る事を後回しにしないでほしい。私と同じ轍を踏んで欲しくない。 何とかなるさと思い、不安を押さえつけて今を過ごしたため、取り返しのつかないことになってしまった私の愚かさを、どうか他山の石にしてほしい。 私は後悔を続ける。自分を責める。自分の愚かさを恥じる。 おそらくそれは私が死ぬまで続くだろう。
クロ・・・・・祥一郎はもう居ないよ・・・・・・ 2016年05月17日 | 何故死んでしまったの あれはまだ前の部屋に住んでいた頃。 大阪から再び祥一郎と二人で東京に舞い戻って来た時だ。 たいそうなボロアパートだったがなんとか住む部屋をみつけ、引っ越しも終り荷ほどきをしている最中だった。 いきなり黒い猫が部屋の中までずかずかと入って来た。 なんとまあ人馴れしている猫かと思ったが、祥一郎も私も猫は嫌いでは無いので、その新居に住み出してからも、クロと名付けたその猫になにくれとなく世話をしていた。 クロは元々野良だったが、どうせ誰かに飼われていたのだろう、人を恐れることは全く無く、自分のテリトリーの中であちこちの人間に可愛がられて餌をもらっていたようだ。 私達と仲良くなってもずっと部屋に居る訳では無く、表に出てはあちこちの家に挨拶にまわり、言ってみれば半野良状態。 それでも祥一郎が大変可愛がるので、その内に滞在時間が長くなり、冬の夜などは大概私達の部屋で寝ていた。 ただ閉じ込めておくと、やはり元野良なのでフラストレーションが溜まるらしく、表に出せと騒ぐので、 純粋な家猫にはなれないようだった。 そんな折、以前にも書いたが部屋の屋根が雨漏りするようになり、大家と揉め出してこの部屋を出ることになった。 さて、クロはどうするか。 祥一郎は連れて行きたがったが、すぐ近くの部屋に引っ越すのでまた逢いに来ればいいこと、私達が居なくなってもそこらじゅうに可愛がってくれる人は居る事、半野良だからテリトリーから離れるのはクロにとっても辛いだろうと祥一郎を説得し、新居には連れて行かないことにした。 さて新しい部屋に住み出して暫く立った頃、私はクロに逢いに前の部屋辺りに探しに行った。呼ぶとすぐどこからか出て来て挨拶してくる。 ひとしきり再会を喜んだ後、私が帰ろうとすると着いてくる。 「もう、帰りな。」と手を振っても、追い払おうとしてもいつまでも着いてくるのだ。 結局新居まで恐る恐る付いてきて、部屋の中で久しぶりに餌をやる羽目になった。 しばらく部屋で遊んでいったあと、私はまたクロを連れて元の場所まで案内してやり、部屋に戻った。。 人間の足なら歩いて10分くらいの近所だが、猫にしたらけっこうな距離だったと思う。クロの大冒険だ。 この話を祥一郎にしたら、今度は祥一郎が抱いて連れて来た。 同じようにひとしきり遊んだ後、祥一郎はまた抱いて元の場所に返しに行った。 ところがどうだろう。 今度はクロが自分ひとりで、道を覚えたのだろう新居にやってくるようになった。 なんということか。 猫はあまりテリトリーから出ないはずで、他の猫とも争いが起きるはずなのに、ひとりでやってくるようになったのだ。 そんなことが続いた内、どうやらクロはこの部屋周囲を自分のテリトリーに決めたようで、根拠地は私達の新居になった。 当然今まで居たその辺の猫達としょっちゅう喧嘩しては、傷だらけで帰ってくる。それを祥一郎は抱き上げ慰め、薬まで塗って可愛がっていた。 私は内心(どうしたものかなあ)と思っていたが、もう昔のテリトリーに戻る気はないようで、祥一郎も喜んでいるので私は諦めることにした。 それでもクロは懲りない猫だ。 新しいテリトリーでも表に出たがり、また喧嘩して戻ってくる生活の繰り返し。 祥一郎はますますそんなクロが愛おしかったのだろう。それこそ猫可愛がりしていた。 私が仕事で居ない間は、クロが唯一の祥一郎の遊び相手兼、話し相手だった。 5~6年も経った頃はもう新しいテリトリーにも馴れたようで、友達の猫もできるようになった。 しかし周囲に猫嫌いの住人が居るので、部屋に居る時間は以前よりは格段に多くなった。 もう祥一郎とべったりの生活が続いて行った。 そして・・・・祥一郎は居なくなった。 クロは何を思うのだろう。 あの日、祥一郎が倒れた玄関先で狂ったように鳴き叫んでいたクロ。 そしてがらんとした部屋の中で、誰かを探すように鳴きながら歩き回っていたクロ。 寒い日などは、ずっと膝の上で寝かせてくれる人が居なくなったクロ。祥一郎の胡坐の上はさぞかし居心地がよかったのだろう。 今はもう、あの二人と一匹の生活は無い。 私が仕事で居ない間、クロは祥一郎の魂とまだ触れ合っているのだろうか。 ときおり虚空をみつめ、突然ひと声鳴くことがある。何をその瞳で見ているのだろう。 大丈夫だよ、クロ お前はおっちゃんより多分早く、祥一郎に逢いに行けるはずだ。 後から行くおっちゃんを祥一郎とふたりで待ってておくれ・・・・・・・・