一つはず~と勤めてきた会社の副社長で、あと一つは新しくリサイクル法が出来た2001年に株式会社を立ち上げ頑張っているのです。
今は遠く離れていますが、検索するとHPが出て来るので会社案内を見ながら着実に伸びていると安堵している私です。
儲けることが狙いではなく少しでも世の中に役立つことをしたいと男のロマンを追いかけているようです。
退職金の一部を資金にしたようですから、これからのライフワークになることでしょう~
家に落ち着いて余生を楽しむ趣味はなく、仕事が趣味だと言っていますからね~
実家の養子にした次男が父の役に立ちたいと営業マンとして働いていますので、私も力を入れて応援しているところです。
お父さんもきっと力添えをして下さっているのでしょうねえ~
かなり息子の成績が良いそうですからね!
40年前に結婚の話が出た時はほんとうにご心配をかけてしまいましたねえ。
彼は大学2年の夏に再生不良性貧血という難病に罹り入院しました。
1万人に一人助かれば良いという難病で、後3ヶ月の命という宣告を家族は受けていたようです。
「元気になって学校へ行きたい」という気力で彼は助かったと言います。
1月から大学に戻ってきましたが、前期の試験を受けていないから、2回生に留年になる可能性が高いということが見通され、教授のところを廻りレポートの提出で認めてもらうことにこぎつけ、私と同じ年に卒業できました。
「薬は一生飲み続けなさい。徹夜は駄目です。」という条件付きの人生で、人を幸せにはできないと思った彼は、3回生になった時に薬を放しました。
命を懸けたのです。
生きられないのならそれでよしと~
薬局で袋にいっぱい受け取ったものを出口のゴミ箱に放り込んで帰ってきます。
運を天に任せたのです~
強く壮絶な決意だと思いました。
私は調布市に教職で勤め、彼は大阪の商社に就職しました。
他人より五分早く出社し、他人より五分遅く退社するというポリシーを今も実行し続けていますが、自分の限界を試していたのではないかと思います。
2年過ぎてプロポーズを受けました。
4人姉妹の長女で跡取り娘という自覚もあり、周りもそう信じていたことだったので簡単にはいきませんでした。
彼の病気との闘いの原点に私の存在があったと熱く聞かされ、説得する迫力のなんと強かったことか!
彼の押しの人生はこのときすでに顕著に出ていました。
「余命3ヶ月という宣告を受けた男に娘を嫁がせる、まして跡取りと託している子を・・・」と思う反面、「親は養育責任者で、神様からこの子を育ててみよと授かっただけだ。あとは神様のなさることだ~」という考えの交錯する父だったことでしょう。
この子の幸せのために天に貯金をしてやらねばと結納金の献金にその思いは強くつながっていったのでしょうね~
子どもの幸せを願う真の姿だったのです。
無欲に徹して居る姿は実は最高の幸せを神に請う姿だったのです~
傍で見ていた母はそれに気付いていたのかもしれません。
両親は自分たちに出来る最大の信ずるやり方で人並みの幸せを掴ませてやろうと祈ってくれたのかも知れませんねえ~
今になって親心がしみじみと分かり始めた私です~
お父さんの選択は正しかったと厚くお礼を言いたい気持ちでいっぱいです~
私につながるすべての人を幸せな運命に換えてくれたのですから~
ありがとう~~
誇れる親を持てたと声を大にしてみんなに伝えたい思いにあふれています~
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もっちゃんです
tuyosi
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