大和も現在は結婚してもマンション住まいや核家族化が進んでいますから、荷物も必要なものだけを送り込んだり、あとは持参金となって表面的には見えにくくなり良い時代となってきました。
当時の大和は、家との釣り合いとか、家の格を重んじる風潮がとても強かったと思います。
「あそことは家柄が違う」とか「格がちがう」という言葉はよく姑にきかされました。
家を重んじると言う考え方のところには、個人の尊重はありませんからね~
結納が済むと、次は荷物がいつ届くかが話題になります。
隣組の人を招いて披露するのです。
「トラック何台の荷物に、乗用車付きで、毛皮のコートも持ってきはった。
だから良い嫁さんだ。」とその時決まります。
私の場合は大分県と奈良県だから遠いので、家財道具はこちらで用意すると言うふれこみになっていました。
それでも荷物を見てもらう風習はありますので、和箪笥や整理箪笥の中には母が嫁入りに持ってきたものや義姉のものを詰めてくれました。
悪い嫁にはしたくないという親心か見栄だと思います。
今でも義母は、足袋や腰紐など、自分が一生買わないでも過ごせるだけのものを、嫁入りの時に持ってきていた名残として、黄ばんでいるけど新品をもっています。
難病をわずらった長男が、「自分の嫁はんは自分が決める。親は自分より先に死ぬものだし、世話をしてもらうのは、自分が決めた人にしてほしいから・・・」と両親を説得しました。
「親は子供より先に逝くもの!」と余命を一度は宣告された息子が、必死に頼む姿は両親にとって、家の格とか、嫁の荷物などは小さな問題であったはずです。
結婚してもいいといってくれる人が果たしているのか?
人並みな幸せを味わえるものなら、息子の連れてくる人を嫁に迎えると両親は決めたそうです。
私の実家の方はなってくることを喜んで受けるという無欲の姿勢です。
私はたとえ3日間で結婚生活が終わっても悔いはないという、全身全霊で私と共に生きたいと願う彼の支えになろうと思いました。
10年に1度は「もう駄目!これで終わり。」という病状の悪化がありました。
夕食後、私たち夫婦は毎日右手を堅く握り拳にして、1・2・3という掛け声とともに手を開き、5秒間に赤みがもどる速さを比べます。
再生不良性貧血の再発なら、彼の手のひらに赤みはもどりません。
彼の命を見つめながら長い年月が過ぎました。
一日一日元気であることが、私は「儲けの命」をいただいていると思っています。
たくさんの使命をもって生かされているのだとさえ今は感じているのです。
潔い格好よい生き様のできる人なんです。
お父さんもよくご存知ですよね~
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