人間賛歌・もっちゃん4649

一生涯を貫く仕事

お父さん、教職の35年が終わり、早5年が過ぎました。

人間相手の仕事だったので、出会いを大切にしたいと思って過ごしてきました~

教え子との出会いをブログの追憶に10月から2ヵ月半かかってまとめてみました。
激動の出会いであったり癒しの出会いであったり、とても愛しい日々でした~

中学生は真理を求める年代ですから、嘘やこちらの都合などを良く見抜きます。
よく大人は汚いと口走っているのを聞きました~

自分の弱さや醜さを隠さないで語って聞かせることによって心を開いてくれたように思います。

私の前を通り過ぎていったたくさんの教え子たちは同窓会で集まると、中学時代の名物教師として思い出話が多く出るのは私だと教えてくれました。

「辛いことがたくさんあってその時はたいへんだと必死でがんばるけど、優しいという字を良く見てごらん!
人の横に憂いと書いて優しいという字ができているでしょ?
優しい人は辛い経験をしたものがなれるのなら、私は条件を満たしているわって気付いたのです~
それからはこわいものがなくなり、なんでもドンと来い~って前向きに受け止めようと逃げ腰ではなくなりました~」と話して聞かせる教師になりました。

嘘偽りはすぐに見抜かればれてしまいます。
魂を揺さぶる話は真剣に損得抜きでぶつかったものに与えてもらえる褒美だと思います。

10年に1度は荒れや揺れの大波が中学校を襲います。
その激流の中を流されていく教え子を助けたいと命がけで闘ってきました。

もしかして死ぬかも?と感じた瞬間もあったほど、度胸の要る場面もありました。
私がたじろいで少しでも動いたら、きっと野球の金属バットは首筋に当たっていたことでしょう。

学級の子どもを守るために矢面に立ってベランダからの乱入を阻止したのです。

家に帰ってその夜話すと、「お前、無茶をするなよ~」と連れ合いが言っていましたが、命の危険の前にもひるまない気迫を見せ付けてやれました。

市内の2校ともマンモス校になりすぎて、分離統合して新設校ができた前の年の出来事でした。

新設校ができたおかげで転勤はなく、同じ校区に31年間勤めたことになりました。
教え子たちが親になって、とてもやりやすい勤め場所でした~

私のように3校で終わる教師は少ないと思います。

強運もあるけど、小さい時のすべての体験が生きる上でのバネとなって私を支えてくれていたのでした。

世の中で一番楽しく立派なことは一生涯を貫く仕事を持つことです。

しみじみと福沢諭吉さんの言葉を思い出しています

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コメント一覧

もっちゃんです
素晴らしい人生
tuyosiさんに会ってみたかった~~

箱の中の腐った蜜柑はつまみ出さないと他のも腐ってしまうという金八先生のドラマがありました。

つまみ出した蜜柑を切り捨てるのか拾い上げるのか~

乳児が道端に捨てられて助けられて施設に来て明るく育つ姿と接する経験を結婚前に2年間持てたことが大きな私の転機だったと思われます。

弱い長男を苦労して育てた経験も、目の前に生徒を見たときに親のご苦労が重なって分かり我が子のように愛せたんだと思います。

tuyosiさんもきっと素晴らしい導きを師にいただけたのではありませんか~?

素晴らしい人生ですもの~
tuyosi
大変な仕事
もっちゃん、先生って本当に大変な仕事なんですね。
自分が生徒だった頃は感じる事も無かったけれど
自分が親になり子供が学校にお世話になるようになるり、やっと少し分るようになりました。
そんな大変な中学教師を35年も勤め上げたもっちゃん、ご苦労様でした。

荒れる学校でも自分を持って教師をしていたもっちゃん先生に生徒として出会っていたかったです。
中学生の頃の自分はきっともっちゃんの手を焼かせた
どうしようもない生徒だった思います、はい。
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