人間相手の仕事だったので、出会いを大切にしたいと思って過ごしてきました~
教え子との出会いをブログの追憶に10月から2ヵ月半かかってまとめてみました。
激動の出会いであったり癒しの出会いであったり、とても愛しい日々でした~
中学生は真理を求める年代ですから、嘘やこちらの都合などを良く見抜きます。
よく大人は汚いと口走っているのを聞きました~
自分の弱さや醜さを隠さないで語って聞かせることによって心を開いてくれたように思います。
私の前を通り過ぎていったたくさんの教え子たちは同窓会で集まると、中学時代の名物教師として思い出話が多く出るのは私だと教えてくれました。
「辛いことがたくさんあってその時はたいへんだと必死でがんばるけど、優しいという字を良く見てごらん!
人の横に憂いと書いて優しいという字ができているでしょ?
優しい人は辛い経験をしたものがなれるのなら、私は条件を満たしているわって気付いたのです~
それからはこわいものがなくなり、なんでもドンと来い~って前向きに受け止めようと逃げ腰ではなくなりました~」と話して聞かせる教師になりました。
嘘偽りはすぐに見抜かればれてしまいます。
魂を揺さぶる話は真剣に損得抜きでぶつかったものに与えてもらえる褒美だと思います。
10年に1度は荒れや揺れの大波が中学校を襲います。
その激流の中を流されていく教え子を助けたいと命がけで闘ってきました。
もしかして死ぬかも?と感じた瞬間もあったほど、度胸の要る場面もありました。
私がたじろいで少しでも動いたら、きっと野球の金属バットは首筋に当たっていたことでしょう。
学級の子どもを守るために矢面に立ってベランダからの乱入を阻止したのです。
家に帰ってその夜話すと、「お前、無茶をするなよ~」と連れ合いが言っていましたが、命の危険の前にもひるまない気迫を見せ付けてやれました。
市内の2校ともマンモス校になりすぎて、分離統合して新設校ができた前の年の出来事でした。
新設校ができたおかげで転勤はなく、同じ校区に31年間勤めたことになりました。
教え子たちが親になって、とてもやりやすい勤め場所でした~
私のように3校で終わる教師は少ないと思います。
強運もあるけど、小さい時のすべての体験が生きる上でのバネとなって私を支えてくれていたのでした。
世の中で一番楽しく立派なことは一生涯を貫く仕事を持つことです。
しみじみと福沢諭吉さんの言葉を思い出しています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)